遊星ゲームズ
FrontPage | RSS


マメじゃないよ
 ボードゲーム

2006.03.21 22:46 てらしま
マメじゃないよ
Nicht die bohne!
1999年
Amigo
H-R.Rosner
3-6人(5-6人)
30分

 始めに手札が配られるが、それは一枚も自分のものにならない。カードを獲得して得点を稼ぐゲームなのだが、そのカードは全部、他人から獲得することになる。
 なんかヘンなゲームだ。
 つまり、手札は自分のものというより商品であって、プレイヤーはこれから、これを元手に商売をしようとしている、ということだ。
 わらしべ長者?みたいな感じか。

 親プレイヤーが、まず自分の手札から一枚を提示する。それを見て子プレイヤーたちは、やはり自分の手札から一枚を裏向きに出す。
 いっせーのーでで、表にする。
 そうしたら、まず親が、自分の出したカード以外の中からほしいものをとる。
 カードをとられたプレイヤーは、親の出したカード以外から好きなものをとる。それでカードをとられた人はまた別のカードを選ぶ。
 これをくりかえす。
 最後に残ってしまった(つまり誰もほしくないカードを出してしまった)プレイヤーは、しかたないから親の出したカードをとり、次の親になる。
 なんとなくわかりづらいところがある。それはやはり、配られたカードが自分のものではないというあたりに原因がある。
 インスト中にカードを配られて「でもそれは君はとれないから」といわれてしまう。戸惑ってしまうのだ。
 だが、じつは非常に単純なゲームだ。
 ほしいカードを選び、とる。カードをとられた人が、次に同じことをする。ただそれをくりかえすだけ。
 カードには色と数字が表されている。数字が、そのまま得点になる。
 ただし、数字以外に「-(マイナス)」「0(ゼロ)」「×2」と書かれたカードが、各色にある。これは、その色の得点を「マイナスにする」「ゼロにする」「倍にする」効果がある。掛け算をやるのだ。
 たとえば青の得点をたくさん獲得している人は、青の「×2」がほしいけど青の「-」や「0」はとりたくない。逆に青の得点を一枚も獲得していないのなら、青の掛け算カードに関しては別に気にする必要はない。
 そんなわけで、プレイヤーごとにほしいカードとほしくないカードがある。そのあたりを考えながら、手札と相談して、出すカードを決める。
 基本的には、できるだけ早く選ばれたい。早く選ばれればそれだけ、自分もいいカードを選べる可能性が広がる。
 だから、基本的には強いカードを配られた人が有利ではある。そこはしかたない。運だ。
 でも、たとえば青の「-」や「0」を持っている人がたくさんいるなら、青の高い数字はあまり意味がない。それぞれのカードが、ゲーム中に何度も価値を変える。それを見切って、価値の高いタイミングで出品するのが重要だ。

 そういう市場取引のおもしろさを、再現できてしまっているゲームかもしれない。
 オークションをするわけではない。それどころか数値化された価格を決めることさえしない、原始的な物々交換なのだが、物々交換だって経済なのだ。
 私見だが、ボードゲームのシステムは物々交換と相性がいいと思う。
 間にゲーム内貨幣を仲介させるゲームもおもしろいが、そうしたゲームはリソースが多いぶん「エレガントな」ゲームにはならないのである。
「ゲームは現実を模倣する」のかどうかは意見がわかれるだろうが、しかし、現実の要素をボードゲームにとりこむのならば、できるだけシンプルに、エッセンスだけを抽出する必要があるだろう。
「シンプル」は「原始的」「イノセント」といいかえられる。
 経済をゲームにするならば、もっともシンプルでイノセントな商取引である、物々交換をテーマに置くことが、ひとつの理想ではないかと思っている。
 もっとも、貨幣が登場しないゲームを「経済ゲーム」といえるのかどうかはまた別の問題だが。

 さてこのゲーム。初期手札は、わらしべ長者のわら(・・)である。
 より高価なわら(・・)を持ってゲームを始めるほうが、有利に決まっている。
 手札がいいときは、普通に商売をしていれば普通に勝てるのである。
 しかしこのゲームの真骨頂は手札が悪いとき。
 このひどい手札をいかにして高得点につなげるか、知恵と勇気をふりしぼって考える。すると、綱渡りのような道筋が見えてきたりする。そういう時が一番楽しい。
cut4.jpg


マメじゃないよを