2006.05.20 02:03 てらしま
個人的に、なにかとても懐かしい感覚で読んだ。わたしが中学生のころ、小松左京やら星新一やらの短編集を読み漁っていたころがあったわけなのだが、ああいうSF短編集の雰囲気があったのだ。
ただし、文法はいまのトレンドにあわせたボーイミーツガールである。主人公は中高生の少年で、電波な少女に出会う。全部ボーイミーツガールの話。
でもその状況設定が、いかにも短編SFなのだ。なんかもう無性にうれしくなっちゃうのだ。
わたしが読んでいた小松左京の文庫本とかだと、SFの短編集ではあっても、科学の話ばかりではない。幽霊とか妖怪とか、非日常的なものならなんでも出てくる。長編として話を膨らませる必要がないから、とにかく自由なのだ。
科学じゃなくてもSF。
そう考えてみると、いまの、やけに極まっちゃった萌え文化というのは、SFの後継者そのものなのかもしれない。
まあ、個人的には、病気の少女を出して泣かせる話だけは認めたくないのだが。アレで泣くのは騙されてるから気をつけたほうがいいよ(誰にいってるのか)。
もともと日本には落語やら講談やら、非日常を平気で扱う文化があったわけで、そういうものがSFになり、萌えになったのだと思えば、そもそもそういうジャンル分けには意味がないのだ。おもしろければなんでもいいんである。
……つまり、全部SFなのである(ぉ
さてこの本。昔のSF短編みたいな、ネタをとことんまでつきつめた、いけるところまでいっちゃったオチはそれほどない。小松左京の「わー」と話が大きくなっていく感じに慣らされたせいか、SFとしては少し物足りないかもしれない。
いや充分SFだしおもしろいんだけど、やはり電撃文庫、どうしてもSFがメインではない。あくまで個人的な感想ではあるが、そこがなんとなく不満といえば不満だ。
でもちゃんとオチがある、ちゃんとした良質の短編ばかりだ。さすが古橋秀之。
はっきりいえば「まともな」恋愛文学系の作家がよく出す短編集なんかの百倍は楽しめる。この人はたぶん、ライトノベルじゃなくてもかなりレベルの高い小説を書くだろう。
それがライトノベルにとどまっていることは、まあラノベ読み的には喜ぶべきなのかもしれないが、ちょっともったいないとも感じる。
電撃文庫でなければ、この同じネタを、もっと自由に膨らませることができたかもしれないと思ってしまう。本質がSF作家なのは間違いないだろうとは思うし。