読んだ本の感想や紹介を書く場所です。
グループSNEのボードゲーム紹介誌。2010年以降に発表されたゲームを紹介する。
とりあえずページを開くと『世界の七不思議』『サンダーストーン』『ビール侯爵』『オートモービル』とカラー写真の紹介ページが並ぶ。
そのあと白黒ページに入って、安田均の各ゲーム紹介文が十数ページ、秋口ぎぐるのリプレイが20ページくらい、笠井道子の「簡単お手軽」なゲームを紹介するというコーナーと続く。
2010年(一部2009年後半のものも混じっているらしい)にしぼった内容ということで、ネタの新鮮さがいい。
そうしないと、もう15年以上もカタンを紹介しつづけてる気がしてくるし……。
去年まではあんまりなかったかもしれないと思うのが「日本の同人ボードゲームが熱い!」というコーナー。けっこうなページを割いて、日本の同人ゲームを紹介してるんである。
2010年はたしかに、日本のゲームがだいぶ盛り上がっていた。もちろん商業もなんだけど、同人のほうも、見るからにレベルが上がっていたと思う。
まあ、どこからどこまでが「同人」なのかというのは難しいところだけど。
即売会イベントで見る同人ゲームが、まず見た目からいままでと違う。きちんとした箱に入り、きれいな印刷を施されて並んでいるんである。
(それについては、萬印堂の貢献が非常に大きいなあと思う)
そうなれば、もう商業と同人の区別なんかない。そりゃあ買う。
わたし自身も、そんな同人ボードゲームの世界に参加してたわけなのだけど。じつにタイミングがよかったものだと感じた。
あ、この本にも『ビーンストーク』と『テラフォーマー』を紹介いただいています。興味を持たれたら、ショップで取扱中なので、ぜひ。宣伝。
2010年で取りこぼしてるゲームがけっこうあるなー。とか、そんな気持ち悪い感想はマニアだけでいいけど。
なにしろネタが新鮮なので、ショップにいけば手に入るゲームが多い。いままさに話題になってるゲームもある。紹介誌として正しいなーと思った。まあ網羅しているわけではないし「あれが載ってない」とかはあるにせよ。
というわけで読んだ。ゲームデザインの視点から語る、ゲームの本。
読みかえしたいところはけっこうあるけど。
「全員読め」といいたいなどと。こないだ書いたけど。
まあそりゃそうなのです。なにしろこの本、わたしがこのサイトでグダグダいってる内容とだいたい同じ立場だから。わたしがこの本を読んでほしくないなら、このサイトも読んでほしくないということになってしまう。それじゃあなにを書いてるんだかわからない。
立場が同じなので、書いてある内容も理解しやすい。いちいち納得してしまうというわけで、ページ数多いわりにはずいぶん読みやすかった。
ただこれ、逆にいえば、それほど大きな新発見もなかったということになる。それぞれの記事も概説にとどまる感じになっていて、それほど深いところまではいかない。
たぶん、これに書かれた内容というのは、意識的なゲームデザイナーとか、ゲームについていろいろ考えてきた評論家とかならだいたいいきついている範囲の話だと思う。
もちろん、わたしにとっては知らないことはたくさんあったし(なにしろいいかげん知識が足りないので)、読んだことない本もたくさん紹介されていたけど。
でもとても丁寧に説明されていて、わかりやすい。
知っている人はいたかもしれないけど、ちゃんと言葉にすることができていたとは限らない。ここまでちゃんと、いろいろなことをふまえてまとめてくれたというのは、大変価値があることだ。
そういう、よくできた教科書という感じの本だった。
丁寧なだけではなく、とても慎重に書かれているという印象もあった。
これはやっぱり「ゲーム」という言葉があまりにも広すぎるんだろうなと思う。一般的な用法の意味でも、あつかわなければならない内容の面でも。
さまざまな方面からの反論が当然ありえるし、それに対するための防御を施しておかなければならない、のかなあという印象はある。このあたりは、日本もアメリカも同じなんだなあというか。
広く、妥協せずにゲームをとらえようとしている結果だとも思う。ここまで正面から、ちゃんとゲームを解説する本は他に知らない。
もちろん、ゲームにはボードゲームも、RPGも含んでいる。上巻の内容でいえば、ボードゲームの話が一番多いくらいだ。我々にはなじみ深いゲームタイトルがちょろちょろ登場したりもする。
ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』が、再三引用されている。この本もとても好きなのだけど。
ホイジンガが語ったのはゲームだけではなく、遊び全般の話だったはずだ。「ゲーム」の本なのだが「遊び」の話がけっこうな割合で入っている。
ゲームデザインからゲームを考えるといっても、そのゲームとはなんなのかと考えると、どうしても遊びに踏み込まざるをえない。ゲームを語るために必要な「遊び」を、再検証しなければならなかったということだろう。
特に、ホイジンガに触発されたという「
そういう外堀の話もあるけど、ゲームを構成せしめる内部の話もある。
この本、下巻までを通して4つのユニットに分けられている。
ユニット1は「核となる概念」。上に書いた魔法円の話や、そもそもこの本が語ろうとするゲームとはなんなのか、この本が語る範囲はどこまでなのかといったことが、注意深く詳細に書かれている。
ここで、ゲームを構成する3つの視点が紹介される。「ルール」「遊び」「文化」だ。
以後のユニットは、この3つを論ずるという構成になっている。
この上巻に入っているのは、このうち「ルール」のユニットだ。ルールの視点から見たゲームを解説する。
ルールはゲームを定義するが、ルールとはなんだろうか。ルールはどのように働きゲームデザインにどう関わるか。
「情報理論」「フィードバックシステム」「ノイマンのゲーム理論」なんて言葉が、矢継ぎ早に出てくる。
たしかにゲームに必要な要素ばかりだ。
とりわけ、ゲームデザインの視点からと思ってみると、デザイナーならどこかで意識しているだろうと思える内容ばかり。
ただし、それぞれの解説は概要にとどまり、くわしくは別の本を読んでねという感じになっている。そのあたりは教科書的というか、今後の研究の土台になればいいのだろう。
「全員読め」といいたい、などと書いたのだけど、じつはそれどうなんだろうとも思いはじめている。
もちろん、できるだけ多くの人に読んでほしい。日本のゲームはアメリカに遅れをとっているなどということを見聞きするけど、その差を埋められるのがこの邦訳かもしれない。そんなことさえ思う。
でも、ゲームデザインの視点から考える本なので、プレイヤーの視点にとっては不要な知識かもしれない。評論には役立つと思うけど(紹介されているいろいろな言葉とか)。ゲームを遊ぶ上では不要という気もする。
また、基本的に教科書なので、内容については全部知ってるよという人がいてもおかしくない。そういう人は、この本の先の議論をすればいいような気もする。
発見する本ではなく、整理する本なのだ。
とはいえ、とてもよくできた教科書です。おすすめ。
この本にはたくさんの参考文献が紹介されている。
まだ読んでる途中なんだけど、ちょっと先どりしてまとめてしまおうかと。
といっても、網羅的に注釈にあるもの全部とはいかない。面倒だし。もしあればわたしは見たいけど(笑)
第1章と第2章に、読書案内というものがある。まずそこに紹介されているものを挙げる。中には、ウェブで日本語訳が公開されているものもあるのでそっちにもリンクを張っておく。
第3章以降は、冒頭に引用されてる本へのAmazonリンクだけで。
ゲームデザインの観点から見た、ゲーム研究についての本。
ゲームというとコンピュータゲームを思い浮かべるかもしれない。じっさいこういう研究は、コンピュータゲームの分野のほうがはるかに進んでいる。人口が違いすぎるのでそりゃそうなんだが。
だからもっとコンピュータゲームよりかと思っていた。しかし意外とそうでもない。
この本が扱うのはとにかくゲーム全体だ。内容を見ると、むしろコンピュータゲームよりもボードゲーム寄りという気さえしてくる。
(あと、クニツィアやガーフィールドの寄稿なんてのもある)
まだ読みはじめたところなんだけど。これは本当に超おすすめの本という気がしてる。
英辞郎によれば「ルール」という言葉にはけっこう広い意味がある。
ゲームのルールや法律はもちろん。日本語でいうルールには微妙にない「支配」とか「公式」なんてニュアンスも含まれる。
あとあまり関係ないが「抜群である、最高である」というニュアンスをもつ俗語にもなる。たとえばアメリカのジャパニメーションオタクは「K-ON RULES!!!」と叫ぶ。
この本のタイトル「ルールズ・オブ・プレイ」を直訳すれば「遊びのルール」ということになる。しかし、そうするわけにはいかなかっただろう。日本語の文脈に組みこまれてしまえば、日本語の慣用に限定された「ルール」にしかならない。たぶん、このタイトルはもう少し広い意味を含んでいる。
「プレイ」も同じだろう。
あとこれ、間違いなくゲームについての本なのだけど、ルールズ・オブ・ゲームではなくルールズ・オブ・プレイなのだ。このあたりには強い意欲を感じるわけで。
まあ「遊びのルール」じゃいかにもつまらなそうだし。
この本の存在は知っていた。でもいままで読んだことがなかった。なぜなら、英語力が足りなすぎるから……。
でもなんか影響力大きい本らしいし、ずっと気になっていた。
それが、つい2日ほど前、邦訳版が出たのだ。
もちろん大喜びで買って、いま読みはじめたところである。
とりあえず最初に書いてあったのは、この本が語ろうとする領域の定義。ゲームデザインといったときの「デザイン」とはなにを意味するのか、プレイヤーとはなにか、ゲームが与える意味とはなにか、ゲームに必要不可欠な「インタラクティビリティ」とはなにか。ひとつひとつ、丁寧に定義していく。
そして最後に、この本が語る「ゲーム」を定義する。
ここまでで、170ページ。
この部分の丁寧さと慎重さには、やはり、デリケートな問題なのだなあというのを感じるわけだけど。
「定義の話なんてつまらない」?
まあ、そういう意見もあるだろう。たしかに世の中には、つまらない定義論も多い。
でももちろん(せめて、もちろんといわせてくれ)、正しく使われる定義には意味がある。
少なくとも。わたしにとっては、こんなにエキサイティングな本はないですよ。
この本の重要なテーマとして「意味ある遊び」というのがある。らしい。
英語でミーニングフルプレイ。
意識的なゲームデザイナーや論客なら、この言葉だけでいくらでも語れると思う。
この本に語られているのは、そういう領域の話。なかなか問題がややこしすぎて明文化されないけど、職人たちがじつは理解し実践していたものだ。感覚的にではあっても。
そういうのを体系づけてまとめるという試みだ。そういうふうに見ている。
代表する一冊的な。マスターピース的な。そういう雰囲気を(いまのところ)強く感じている。
なにしろ、わたしがこのサイトとかでグダグダいってることと、立場が非常に近いんである。
これはもうしかたない。わたしはこの本を高く評価することになるだろうと思う。
なので、そのあたりは差し引いて聞いてもらっていいのだが。わたしがいまいいたいことは、
「全員読め」
だ。
#あくまで読みはじめたところの感想だけど。
サンダーストーンけっこう好きなわけです。ソロプレイ何十回もやっておいて、嫌いだとはなかなかいえない。
そのサンダーストーンのガイドブックが出たというわけで、買ってきた。
内容は、ガイドブックの名のとおり。ガイドだ(完全かどうかは知らないが)。
リプレイ、カードの紹介、マンガ、あとルールの紹介と解説、といった感じ。
構成的にはリプレイが最初にあって、まずおもしろさを伝えるところからという意図はわかる。
ただこれ。
他の人はどうか知らないけど個人的には、リプレイ形式の文章に拒否感がある。でもボードゲームの本というと必ずあって、しかもだいたい扱いが大きいんだよなアレ……。
誌面を稼げるコンテンツなのかなという気はするけど。
じっさいのところ、攻略記事はまったくないです。そういう本ではないです。
それならコラムやエッセイを読みたい気もするけどそれもない。
ルールブックの内容を転記したような記事とか、まあこういう本の一部としてあってもいいだろうとは思うし、間違えやすいルールの解説は悪くないなーと思ったけど。読みたい記事ではないよなあ。
読むところがなかったというのが本音でした。
せっかくなので褒めるところ捜したいんだけど、見つからないのよね……。
あ、デザイナーのインタビュー記事はあった。インタビューというか、一問一答という程度の1ページしかない記事だけど。あれをもっと読みたい。
あと例によって、カード解説には、やめときゃいいのに点数づけをしてあって(「爆発力」「安定感」「特殊性」をそれぞれAからCで、点数というか特徴を示してる)。
もちろん例によって、まるっきり納得できない点数づけで……。なんでこういうのって、いつもこうなっちゃうんだか……。
まあ付録のプロモカードはほしかったんだけど。しかし日本語じゃなかったという。
ボードゲームの紹介誌ということで、買ってみた。
内容は、かなり一般向けの紹介。写真が大きく、文字が少ない。ゲームの内容をくわしく書くのではなく、そのゲームのどこが楽しいのかを写真で紹介する。
全部フルカラーで、装丁もきれいでわかりやすい。眺めていて楽しくなる、紹介誌としていい内容だと思った。
ボードゲームショップに置いてあるとのことだが、これはむしろ一般書店にあってほしい。
1ゲームを1~2ページで紹介するページがメイン。それ以外の、少し文字が多い記事で、人生ゲーム、野球盤などが特集されている。
特徴的なのは、黒ひげ危機一髪! や脳波トイ『マインドフレックス』などがいっしょに紹介されているところ。これらはもちろん、ボードゲームというよりおもちゃだ。この本は、ボードゲームとおもちゃがいっしょくたに紹介される本なのである。
(マインドフレックスは興味深い。だれか買って遊ばせてくれないかなー)
こうなると、考えてしまう。
ボードゲームというのは、中途半端な立ち位置にいる趣味だ。ゲームなのか、おもちゃなのか。マニア向けなのか、子供向けなのか。本当にさまざまな顔をもっている。そういうものの狭間でゆらゆらしてるのが、我々ファンなのだけど。
この本はその中でも「おもちゃである」という視点から作られたと見ることができる。
たしかに、ボードゲームの裾野は広がっている。顔見知りのマニア同士で語り合っている世界とは、少し様子が違ってきているかもしれない。そうなればもちろん、マニア向けとは逆の方向のベクトルに振れていくことになるわけだ。
おもちゃである。そうであっていい。
徹底してそういう視点からの内容であることが、この本を特徴づけている。むしろ、そここそを高く評価している。
ただそんな本を見せられたファンとして、考えてしまうのだ。
ボードゲームはどうなりたいのか? どうなれば成功なのか?
これは誰かが決めることではないだろう。けっきょくは、マクロな市場が判断することだ。
しかし、こういう本がそこに多少の影響力をもっているとするなら。
そういうことを考えたとき、この本には、個人的な思いからどうしても納得のいかない欠点がある。
それは、ゲーム紹介ページにデザイナー名が表記されていないこと。
わたしもゲームを作ってしまった人間だ。だから、これは本当に個人的な思いなのかもしれないのだけど。
ゲームを作るのは人間だ。ゲームは誰かの作品だと思う。
個人を消してしまうのは、日本らしいのかもしれない。ゲームのパッケージにさえ、デザイナーの名が乗っていなかったりする。それが、どうしても納得いかない。
こういういいかたは好きではないのだけど。日本は、開発者の評価が低すぎる。
ゲームを作るのはゲームデザイナーであり、ゲームに責任をもつのもゲームデザイナーだ。ゲームにデザイナーの名前が付加されて、デザイナー名がひとつのブランドになってはじめて、品質に関する競争が生まれるんじゃないか。
個人的には、パッケージにデザイナー名がないゲームの評価は一段低くなる。それは、たとえばドイツやアメリカの、それこそデザイナー名がタイトルの上に書かれているようなゲームとは、乗っている土俵が違うと感じてしまうからだ。
個人的な願望として。ゲームはもう1レベル上の文化であってほしい。
そのためには、デザイナーが尊重されることが必要条件だ。漠然とそう感じているのだがどうだろうか。
2010/04/13 05:56 てらしま
あまり、コンピュータゲームはやらないほうだと思うけど。それでもこの人の名前は知ってる。桃太郎伝説とか、電鉄とか、天外魔境とか作った人だ。
あとリンダキューブとか俺の屍をこえてゆけとか。そういう、コアなコンピュータゲーマーに人気ある人。
そのあたりプレイしてないので、ほとんど聞きかじりなのだけど。いわゆるドラクエやファイナルファンタジーとは違う、毎回新しい、ちゃんとゲームとしてのデザインを考えてくる人というイメージを持っている。
その人が書いた、ゲームに関する本というわけで。基本的にボードゲーム専門のわたしではあるのだけど、この名前は気になった。
あと、この人は小説も書く。実現しなかったゲームの企画がネタらしいのだが『ハルカ』とか、わりと好きだ。
そのあたりも期待していたところではあった。
文章を書くというのはじつは特殊技能だ。世の中に出回っているハウツー本だの解説書だのというのは、ほとんど文章の体をなしていない。と感じている。いくらいいことが書いてあっても、文章になってないのでは評価できないという思いがあったりもする。
小説を書ける人なら、そのあたりは安心できるんじゃないか。
と思ったのだけど。
その面では期待はずれだった。まあ、ゲームデザインに関する思考過程についての、メモ書きていどのもの。
わりと、各話題が唐突に登場する。考えを整理してまとめた感じも少ない。
いちおう、全体をまとめるストーリーは与えられているのだが。記事自体は、ブログやtwitterの文章を読んでいるようなものだ。
ひとつの作品としての評価は低い。
とはいえ、着想から調整までの流れがあり、最後にゲームに関する哲学が語られる、最低限の構成はちゃんとある。少なくとも、ブログよりはいいだろう。
辛口の評価にならざるをえないのだが。しかし、書かれている内容はたいへん興味深い。
ゲームデザインの体験談とか、企画を作るまでにどんな思考過程があったかとか、そういう内容が非常におもしろい。
この人は、本当に「ゲーム」を考えてると思う。それも、本物のゲームだ。
コンピュータゲームという未定義の現象に限定したために論旨が崩壊してしまう、よくある「ゲーム論」とはちがう。それは強く感じる。
コンピュータゲームは、ゲームであることを考える必要がない。
おもしろい小説を画面で読ませれば、ユーザは感動する。すごい映像があればCMを作れる。コンピュータ「ゲーム」にしかできない体験というのはあるはずだと思うのだけど、そんなことは考えなくても商品を作れてしまう。
枡田省治は、しっかりとそこを考えていると感じる。この本では、プリミティブな子供の遊びなどにも触れられている。
いや、他の連中が考えてないというわけではなく。むしろ、わたしが住んでいるボードゲームの世界とは、デザイナーの層の厚さが4ケタは違うわけで(笑)。レベルはぜんぜん違うはずだ。
むしろ、そっちの世界ではこんなこと考えてる人がいるのかと。
結論から書く。僕が思う、テレビゲーム向きのネタとは、“趣の異なる前向きなジレンマが適度なストレスをともなって、適当な頻度で繰り返しプレイヤーに提示され、その意思決定の結果によって、状況が変わりえる構造を有する事象”だ。
「結論から書く」と書いてある以上、前後の文脈があるわけで、ここだけ引用するのもアレだけど。
著者のブログに、この部分の試し読みが掲載されている。興味があれば、むしろそちらを見てください。
これはわりと、ボードゲームでもそうだろうなと思うわけで。
(ただしボードゲームの場合、さらに条件が厳しい。勝敗を決めるのがボードゲームだ。「前向きな」という部分は、さらに明確に「勝利の可能性を残した」でなければならない)
コスティキャンのゲーム論的な話題だなという気もする。コスティキャンはもともと、コンピュータゲームにもけっこう言及している。そっちのほうが多いくらいだ。
枡田省治が、そういうところを明確に意識しているかどうかはわからない。でも、そのものではなくとも、少なくともあれくらいまで深めた思想があると思う。
だからこその思考過程がおもしろい。
きっと、まだ理論というほどにはなっていないのだろう。職人の頭の中が、きれいに整頓されている必要はない。だからこの本も、きれいにまとまったかたちにはならなかったのかもしれない。
第3章の章題は「かんがえる 哲学/裏技」。これが哲学ではなく科学か工学になったら、もう一度まとめてほしいという気もしていたりする。
ityou -2010/05/16 23:53
「桝田省治」ですよー
てらしま -2010/05/17 00:19
ご指摘ありがとうございます。修正しました。