「ボードゲームはコミュニケーションツールだ」という。
そのとおりだと思う
ボードゲームのことを真剣に考えたことがなければ出てこない言葉だと思う。こういっている人の意見は信じていい。その発言がコピペでない限りは。
でも、コミュニケーションできればそれでいいわけじゃない。とも思うのだ。
たとえば真剣な議論をしていると「喧嘩をやめろ」と割りこむ人がいるように、真剣に勝ちにいくことが理解されないことが、あるのである。
善意で場を和ませようとしてるんだろうけど。でも、真剣なゲームをこそ楽しんでる種類の人もいる。理解されないのでは残念だ。
それはもしかしたら「コミュニケーションツール」だからかもしれない。コミュニケーションが目的だから、勝利を目指す必要がなくなってしまうんじゃないか。
と考えた。
だからあえて「コミュニケーションツールではない!」と。いってみる人がいてもいいんじゃないかなあと。じゃあわたしがいってみようかなあと。
勝利ではなくコミュニケーションを目的としてしまうと。つまり、ゲームの勝ち負けにこだわらず、楽しめばいいじゃんといってしまうと、どうしても、友人関係が有利になる。
そりゃそうだ。彼らはゲームがなくても楽しいのだから。
逆に、部外者には不利だ。
考えてみればいい。
はじめて参加したゲーム会で、お気に入りの「アップルトゥアップル」をやって、いつものメンバーなら爆笑をとれるはずのネタに首を傾げられたら。「ジョージ・ブッシュって誰?」という顔をされたら。次もそのゲーム会に参加したいと思うだろうか?
初参加の場でパーティゲームにまきこまれてしまったら、あなたははじめから負けているんである。
みんながなぜ笑っているのかわからなかったり。メンバーの空気に溶けこめなければ、疎外感を感じるばかりになってしまう。
あまり好かれていない人も不利。社交が苦手な人も不利だ。なにより、苦手な相手がいると楽しめない。
パーティゲームを楽しめるかどうかは、メンバーによる。パーティーゲームには実は、そういう危険がある。
(ちなみに、個人的にアップルトゥアップルは好きなんだがw)
初参加の人がいるからと気を使って「いつも盛り上がる」パーティゲームをとりだすのは、逆効果かもしれない。
「盛り上がる」かどうかは、決して一般的なものではない。新しいメンバーが一人いるだけで、急に白けてしまうかもしれない。
そのあたりはたぶん、ゲームに限らず誰でも経験があることと思う。
いっぽう、勝利のみを追及するゲームは違う。
どんなに嫌いな相手とでも、楽しむことができる。ゲーム自体がおもしろければ。
プレイヤーはみな同じ「このルールの上でどう勝つか」を考えている、そういうゲームの上では、相手のことが好きか嫌いかなど関係ない。
ゲームとしてのおもしろさのほうが、普遍的なのじゃないか。
そう考えるとむしろ、初参加の人はガチガチの真剣ゲームに放りこんだほうがいいのかもしれない。(むろん逆かもしれないけど)
パーティーゲームには「攻撃」に関する問題もある。
たとえば「嫌いな相手を無条件に攻撃する」という選択は、多くの場合ミスチョイスだ。そのプレイヤーはおそらく勝てない。勝ちを目指しているなら、その選択はありえない。
だが「楽しめばいい」のであれば、そうした行動も肯定されてしまう。「俺はこれで楽しい」といわれた場合、否定できるだろうか。
さらにいうなら、一人のプレイヤーに攻撃が集中する、いわゆる「いじめ」は、さらに肯定されやすくなってしまう。現に「盛り上がる」だろうから。
これはけっこう、他人事ではない。
ゲーム会に初参加の人を無視して盛り上がるとか、初参加の人がゲーム会の不文律を犯したために攻撃されてしまうとか。
残念ながら、まったくない話ではない。
初参加の人はまだコミュニティ外の人間だ。コミュニティが、外の人間を攻撃することで結束するという現象はよくあるのである。残念ながらだけど。
もちろん、パーティゲームだって楽しい。しかし、ゲームの真価はもっと先にある。
「嫌いな人間とどうつきあうか」という問題の、解答になりうるのである。
このことをさして「コミュニケーション」というなら、わたしもうなずこう。
どんなゲームでも、プレイには性格が出る。「この人はこんな顔でこんな手を打つのか」と思うことができれば、それはふつうの会話より、ずっと密度の濃いコミュニケーションとなりうる。
通常の会話とは違う、ゲームというプロトコルでのコミュニケーションである。それならもちろん大賛成なのだ。
ピッコロ大魔王やベジータがなぜ仲間になっちゃったかというと、主人公が彼らと、密度の濃いコミュニケーションをしてしまったから。あの話ではそれが自然な流れだったんだよなーという話。
いわゆるパーティゲームというのは、コミュニケーションをゲームルール外の環境に委譲してしまったゲームのことだ。
パーティゲームを無条件に楽しめるメンバー同士は、ゲームがなくてもコミュニケーションできてしまう。
じつはゲームが必要ない。ビールでいい。
だからあえて「コミュニケーションツールではない!」と。いってみた。
ゲームはゲームなのである。ゲームだからこそ、友人同士の会話とは別のコミュニケーションができる。
真剣に勝とうとすることで、はじめてなりたつコミュニケーションがある。それこそビールでは実現できない、ゲームにしかできないコミュニケーションなのじゃないか。
通りすがり -2010/01/16 16:51
パーティーゲーム理論
ゲームの勧めるチョイスが悪いのをゲームが悪いと
決めるのは早計ですよね。
単にその人の判断ミスでは?
ゲームを真剣にやってる人云々…
真剣にプレイするというと勝ち負けに執着するのとを
混同してはいけません。
ゲームに真剣になること自体は良いことだと思います、
でも勝利に執着し、フランクなプレイになってしまうとか
非人道的なプレイとかは困りますよね。
まずゲームのルールを読み、ゲーム制作者の意図を理解
出来れば、どう楽しむのが適切なのから解ると思います。
その上でげームのインスト(説明)の時に一言話せば、
それで済むと思いますよ?
特に近年のボードゲームはプレイヤーに優劣を付ける
様なルールにはなっていないので、それこそワイワイ楽しく
楽しむのがいいと思いますよ。
てらしま -2010/01/16 18:15
ゲームの勧めるチョイスが悪いのをゲームが悪いと
決めるのは早計ですよね。
単にその人の判断ミスでは?
ゲームを選んだ人の判断ミスです。プレイヤーのミスではないところが、問題となりえますね。また、ゲームが悪いとはいっていません。
できるだけ、ゲームの範囲を超える議論はしないことにしています。とはいえこの記事は、けっこうゲームの外に踏み出し気味なので微妙ですが。
この立場から語れる範囲では、どんなに非人道的なプレイも許されます。あえていえば。また、真剣にプレイすることと勝敗にこだわることは完全に同義です。
もちろん現実には、ゲーム外の要素がからんできます。ゲームをするというのはそういうことです。そこで、できるだけみんなが楽しめるにはどうしたらいいか。という話が、上の議論の前提です。ご理解いただきたいですが。
「みんなでワイワイ楽しく」という方法で、本当にみんなが楽しめるでしょうか? もちろん、それでいい場合がほとんどでしょう。ボードゲーマーはいい人ばかりです。ですがいっぽう、部外者が入りづらい、閉じた世界になってしまっているサークルもあるのが現実です。
そろそろお気づきと思いますが、上の議論ではパーティーゲームを否定していません。ワイワイ楽しくという主張も、もちろんそれはそれであると思っています。
でも万が一、そうしたサークルが部外者を排除してしまっていたら(気の合う仲間であるほど、危険が高いでしょう)、残念だなあと。
まつざわ -2010/01/17 02:13
「パーティゲームか否か」という話題は、ひっくり返せば「(そのコミュニケーションに用いる)プロトコルがゲーム内で閉じている否か」って視点ですかね?
切り口として面白い話ですね。
以下馬鹿話。
上記切り口に則ると、非パーティゲームの方向性として
(1)非ゲーム外プロトコルを不要とする為、ゲーム内プロトコルを豊富にする
(2) 〃 プロトコル少なくてもゲーム進行可能なルールにする
(3)そもそもゲーム外プロトコルを禁止する
ってのが考えられますね。
(3)はなんつーかディスコミュニケーションを楽しむパーティゲームって気もするし、(1)は究極的には自然言語に近づくだけだし、やっぱ(2)の系統に進むのが真っ当なゲームなんでしょうかね?
部外者の閉鎖感とは… -2010/01/17 09:16
その人に対し、いかに説明下手であるか、その人を引き込めるだけの
プレイが出来ていないかを露呈している様に聞こえますね。
それ以前にみんなが遊べるゲーム選びはとても大切だと思います。
その結果うまれた「読めない空気」とかによる疎外感であれば、
やはりゲームを選んだ人に責任がありますよね、ゲームにも段階を踏む
必要はあると思います。
しかし、実際みんながゲームのプレイ上の目的のために夢中になって
遊んでいる状態での閉鎖感とはどういうことなのでしょう?
TRPGじゃあるまいし、自分の順番があってきちんとゲームを
プレイしているのですから、本来閉鎖感なんて発生するはずは
ないのです。
そのプレイ上で場を盛り上げる、とか面白いトークをすることが
より楽しくなる、パーティゲームでなくともワイワイ楽しむこと
などいろいろ出来ると思いますが、こういた疑問が出ることにすら
疑問に思います。
簡単に言ってしまえば「遊び方の問題」なだけだと思いますよ?
協力型ゲームに「スコットランドヤード」がありますが、あれって
十分ワイワイ楽しむゲームですが、パーティゲームなんですか?
私はお通やの様に寡黙にプレイするのが必ずしも良いとは私は
思わないですね。
あと気になる点が一つ、勝利条件にどん欲であればプレイスタイルが
非人道的でも良い、真剣にプレイしているなら当然だ。的な意見は
間違っていると思いますね。
ルールの範囲内で普通にプレイしていれば非人道的なプレイなんて物は
本来存在無いはずです。
(シミュレーションゲームでもしない限り)
圧倒的な一人勝ちの状態であればそれこそ場の雰囲気がシラけるでしょうし、
上記の投げやりなプレイに発展してしまうのでそれはそれで良くないですが、
最近はそんなゲームバランスのゲームはそれほど無いはずです。
(あるかもしれないですけどね)
であれば、非人道的なプレイは真剣と同意語にはなり得ないと思います。
「真剣=プレイに集中」くらいが私の解釈です。
プレイには集中してもらいですものね(^-^)
長文失礼しました。
P.S ちなみにこんな私が好きなゲームはバルバロッサや手抜き工事、
レーベンヘルツといったたぐいのゲームです。
てらしま -2010/01/17 10:57
いろいろと議論になっていない部分があったり、わたしの発言が曲げられていたりする部分があります。本来はひとつひとつの言葉につっこむべきところですが、ここではやめておきましょう。よくお読みいただければと思います。
ここでは論点だけ。
TRPGじゃあるまいし、自分の順番があってきちんとゲームを
プレイしているのですから、本来閉鎖感なんて発生するはずは
ないのです。
TRPGに問題が発生しうることはお認めになられましたね。であれば、あと一歩で、ボードゲームでも同じ問題が起こりうることを演繹できるはずです。
もともと上の記事では、TRPGも含めているつもりでした。
ちなみに「自分の順番があってきちんとゲームをプレイしているのですから、本来閉鎖感なんて発生するはずはないのです。」というご意見は、上の記事でのわたしの主張とほぼ同じものです。いくつかの言葉が反感をあおってしまった様子ですが。
あと気になる点が一つ、勝利条件にどん欲であればプレイスタイルが
非人道的でも良い、真剣にプレイしているなら当然だ。的な意見は
間違っていると思いますね。
ルールの範囲内で普通にプレイしていれば非人道的なプレイなんて物は
本来存在無いはずです。
わたしがいったのは「この立場から語れる範囲では、どんなに非人道的なプレイも許されます」で、「この立場」というのは、あくまでゲームの中での話です。ゲームの中だけといえば、あるのはルールブックだけです。ルールブックに「対戦相手を刺し殺してはいけない」と書かれていなければ、刺し殺してもいいことになる。そういう、あくまで論理上の話です。
たしかに非現実的な議論なので、反感を感じるのはわかります。わたしだって、そんなプレイヤーと卓を囲みたいとは思いません。ですが論理の話なので、感情を排除しなければなりません。
現実には、対戦相手を刺し殺すことは起こりません。それは我々が人間だからですが、そこから先はゲーム内の話から外れてしまう。でもそういう矛盾の中でしかゲームは成立しない。
で、そこで「いじめ」や「部外者無視」、「嫌いな人がいて楽しめない」などが発生しやすいゲームというのは、ゲーム外の人間関係が反映しやすいゲームでしょう。それは、いわゆるパーティーゲームと呼ばれるものに近い種類のゲームが多いだろう。
という話です。
(あと、個人を指定して攻撃できる、いわゆる「インタラクションが強い」ゲームもそうです。が、これは論点を外れた話です)
要は、非人道的なプレイを認めたつもりはないですと。
あとTRPGと同じく、もともと上の記事ではシミュレーションゲームも含めているつもりでした。
最近はそんなゲームバランスのゲームはそれほど無いはずです。
これがけっこうある(笑) ですが、最近は短いゲームが多いので、差がついてもすぐ終わるから次にいこうという面はありますかね。
てらしま -2010/01/17 11:47
>まつざわさん
(1)はたぶん、プエルトリコとか情報量の多いゲーム? じっさいゲーム外の会話ができないほどいろいろ考えるゲームとか、けっこうありますね。
じっさい、(1)に進むか(2)に進むかというのは、ゲームの仕上げの方向として分かれてる気もします。
ルールブックに「自分の手番が終わったら『どうぞ』といってください」「ルールに規定された以外の会話は禁止です」とか、ちゃんと細かく書かれていれば(3)になる……? 既存のゲームでも、本気の大会ルールとかは(3)に近い気がします。コントラクトブリッジとか。
理想型は(3)なのかな。
アポロ -2010/03/17 11:12
前提が違う。
コミュニケーションのきっかけに使える物。であって
ボードゲームの根底としては「勝つ事」が目的だ。
誰も勝つ事を目指していないゲームはそもそも成立しないし、面白くもなんともない。むしろ気遣いなんかを始めてしまったらそれこそ嫌な気分になる。
どのような場合にしても、あくまで
「このような手順で勝ちを目指すゲームで、途中で会話が必要になります。」
なんだから、誰もコミュニケーションツールだからといって勝ち負けに拘ってはいけない。とか、そんなことは一言も言っていない