遊星ゲームズ
FrontPage | RSS


ゲームの本質はプエルトリコにある
 ゲーム・論考

 大袈裟なタイトルでもうしわけない。でもなんか最近そんなことを思いはじめたんです。
 本質なんてまあなんにだってあるんだろうけど、プエルトリコは特に、それが見やすいかたちであると思うのである。
 それに有名だから話のネタにしやすいし。

 プエルトリコは、どうみたってエレガントなゲームではない。ごちゃごちゃといろんなルールがつめこまれたシステムである。
 ということは、このシステムはすべてが人工物であり、偶然の産物ではないということ。
 ひとつひとつのロジックにはすべて製作者の意図がある。それぞれが深く結合しているわけでもないから、切り出して考察ロックスなどは、ブロックのかたちに製作者の意図がない。1〜5個の四角を並べるときの全パターンがあるだけで、いってみれば、未調整なのである。しかしファンが多い。おもしろさがあるのだ。
 しかし、そんなブロックスを分析することは非常に困難なのである。
 そういう意味で「プエルトリコには本質がある」と思うのである。

 まず、ゲームにはリソースが必要だ。それも、マルチゲームとなると複数のリソースが必要になる。
 リソースというのはたとえば「お金」とか「建物」とか「勝利得点」とか、いろいろである。そういうわかりやすいものでなくとも、たとえばブロックスならまあ「盤面と手持ちのブロック」。もう少し具体的には「角の数」とか?(厳密には「次に手元のブロックを置くパターンの総合計」。さらに厳密にはゲーム終了時まで先読みしなきゃならないけど、そこまでやるともう通常のゲームではなくなる
 そういうものが増えたり減ったりしていき、最終的に勝利条件に近づいていく、というかたちが基本だろう。
 これはどんなゲームでも、ムリヤリこじつければあてはまる。
 リソース間では変換がおこなわれる。プエルトリコなら「ダブロン」が「建物」になったり「商品」が「勝利得点」になったりする。
 ここで重要なことは、それぞれの変換ロジックはまったく別のものでなければならないということだ。
 ちょっとだけ理系ぽくいいかえれば、

「リソースの変換関数はそれぞれに相関の弱いものでなければならない」

 ということになる。直交していろとまではいわないが、できるだけ似ていないロジックが使われていたほうがいい。
 重要なのはこれである。
 プエルトリコのえらいところは、各リソースにそれぞれ別の意味をもたせてあるところである。けっきょくすべてのリソースは最終目標である「勝利点」を増やすために使われるわけだが、そこにいたるまでのロジックが、複数用意されているわけだ。
 なぜ重要かというと、プレイヤーの人数がちょっと多いからである。

 4人のプレイヤーがいるなら、たぶん4個以上の勝利点獲得ロジックがなければならない。そうしないと、脱落したプレイヤーは脱落したままで逆転のできないゲームになってしまう。

 勝利点を獲得するためのロジックがひとつしかない場合。これは単なる競争である。
 プレイヤーが二人ならこれでもいいが、3人になるとよくない。
 もちろんそれでもゲームにはなるんだけど、なにしろ道すじがひとつしかないわけだから、差がついたら基本的に追いつけないのである。
 二人なら「勝った」「負けた」を決めるだけだから、大差がついたら片方が投了すればいいが、3人以上のマルチゲームで投了は許されない。
 マルチゲームのデザインを一番難しくしているのはこれだろう。投了できないということは、大差がつかないデザインにするか、逆転のための手段が最後まである(あるように感じられる)デザインにするしかないのである。

 で、話が戻る。
 勝利に至る道すじが複数なければ、おもしろいマルチゲームにはならないんである。
 それも、まったく違うロジックを経由しなければならないし、たぶん人数分用意されていなければならない(※1)

※1: ……ただし、ここはほんとにそうなのかどうかは微妙。
 ひとつで足りないのは明らかだが、2つあればひとつよりはいい。プレイヤー数を4人〜6人くらいと仮定して、それぞれの道すじで複数のプレイヤーが競いあってもいいと考えるなら、3つあれば「おもしろいゲーム」の条件は満たせるというような気もする。

 そして、それらはすべて別のロジックでありながら、他の道すじに勝利しうるものでなければならない。強さに大きな差があれば、弱い道すじを選択するプレイヤーはいなくなり、実質的に存在しないのと同じになってしまうから。

 プエルトリコの話だった。

 ここでいってるロジックというのは、勝利点を加算するための関数のことである。この関数の引数には、勝利点以外の各リソースが入ることになる。
 プエルトリコでいえば「商品」「建物」「ダブロン」「市民」「プランテーション」あるいは「ターン(時間)」「商船」などももちろん含まれる。この規模のゲームとしてはかなり多いといえる。
 これらが、これまた複雑な変換ロジックでさまざまに遷りかわり、最終的に勝利点の加算につながっていく。
 ここまでで、基本的には「商品を出荷して得点に変換する」派と「商品を売ったダブロンで建物(勝利得点)を買う」派の二つの道すじが存在することになる。
 プエルトリコのおもしろいところは、これらのロジックを実行するために「役割カード」を選択するという点だ。これにより、プレイヤーの選択次第でゲームがいくらでも変化できることになる。
 非常に明確に各ロジックを(極めて人為的に)定義したデザインで、エレガントではないが解析しやすい。オブジェクト指向だ。

 さらに、建物の効果でロジックが拡張されたりもする。これは、ここまでのルールで発生している二つの道すじをさらに細分化している。同じ建物派でも「ギルドホール」と「市役所」は共存できるのである。
 この二つの建物は、本当に明確に勝利までの道すじを増やすために実装されたものと思えるわけで、製作者の試行のあとがうかがえておもしろいわけだが。

 ただし、プエルトリコが理想のゲームというわけでは決してない。リソースは多すぎだろうし、そのわりに勝利得点を得る手段はたった二つに集約されてしまっているわけで、これは5人プレイ時には少し足りないと思う。
 それにやはり、天才的なひらめきで作られたゲームの、単純さや美しさやとっつきやすさはない。
 でも、だからこそシステムの中に、必死に調整した「筆の跡」みたいなものがみえるわけで。それを追うことで、ゲームデザインのことやマルチゲームのことを考えてみることができる。

 そういうわけで。
 おもしろいゲームに必要なものは、プエルトリコを考えてみればわかる。という気がしているわけである。
 ……あ、でも「天才的なひらめき」があったならそっちを使ったほうがいいかな。


ゲームの本質はプエルトリコにあるを