彼の言わんとする非難は、このようなものである――ゲーム批評はフリーク向けに偏りすぎており、ノーマルを蔑ろにしている。
うーんたしかに、フリークだから批評するんだしなあ。ありがちな難しい問題です。
ほんとにノーマルな意見が出るとすれば、それはゲームがちゃんと社会にかかわってるときだと思う。
日本ではコンピュータゲームが現にそうなっていて、フリークじゃない人にゲームを語らせることができる。小説やマンガはいわずもがな。
しかし、そうすると今度は、本当にいいゲームかどうかが評価されなくなって、ファイナルファンタジーがベストゲームということになってしまう。(ファイナルファンタジーが悪いというわけじゃないが)
個人的には、やっぱりフリークが批評してればいいと思う。
ネットで捜すボードゲームの情報は、かなり確度が高い。日本語に限ってのことしかいえないけど。それはほとんどフリークしかいないからで、やっぱりフリークが発信する情報のほうが信頼できるからだ。
……いってて悲しくはなるけど。
いわゆる「ノーマル」の人だってバカにしたものでもない。教えればけっこうすんなりと、複雑なゲームを憶えてしまう。
たぶんドイツの人が想定してる「ノーマル」は子供のことだと思うんだけど、それこそ子供は大人より頭がいいわけで。興味さえ持たせれば、じつはなんでもやれてしまうのが子供だ。
と思えば、別に「ノーマル」を意識する必要なんてない気がする。
『ダイスビンゴ』もフェアプレイ誌ではよい評価だし、分かりやすくて適度に運任せの『テーベの東』は我々のベストゲームに入っている。結局フリーク(趣味をゲームと自認する人)でも、シンプルで短いゲームを好むのである。
けっきょくそうだと思うなあ。おもしろいものはおもしろいよなあ。
あと、テーベの東についての記述がおもしろいと思った。あのゲームはおもしろいけど、わかりやすくはない。少なくとも、説明しなければならないルールが少ないとはいえない気がしていた。
つまりこの人(Der Juror)は、フリークかノーマルかの区別をルールの単純さ以外のところから求めているということか? と感じた。個人的にちょっと意外。