それがいいか悪いかは別の話で。そういうプレイを見てしまったときどうするべきかというお話。
例によって古い話だけど、2ヶ月以上ぶりにmixiのぞいたらそんな話があったのです。
まあたいていのゲームは「プレイヤー全員が勝利を目指している」ことを前提においてデザインされている。勝利を目指さないプレイヤーがいると、この前提が崩れてしまう。
その人のせいで負けたから腹が立つとか、そういう問題もあるだろうが、それ以上に、こうしたプレイはホイジンガ(『ホモ・ルーデンス』)のいう「
遊びにとって、遊び破りはイカサマ師よりもたちが悪い。なぜなら、卓を囲んだメンバーが共同で作りあげているはずの遊びの幻想を壊してしまうから。
(ただし、ゲームのルールとは別の遊びを遊んでいる場合というのはありえるし否定できない)
イカサマ師は少なくとも、遊びに参加している。遊びの結果を受け入れる心がまえがあるから、イカサマをしてまで勝とうとするのである。
しかし遊び破りはそうではない。
遊び破りは、勝敗以前に、遊びそのものを危機に追いやってしまう。それも容易に。
小説『麻雀放浪記』に登場するキャラクターは誰一人としてゲームのルールを守らない悪人ばかりだが、それでも、どこかに一体感がある。それは、彼らがイカサマ師ではあっても遊び破りではないからだ。
という話はわき道だが。
正直感心したのは
後で「あのとき、どうしてこの手を打ったの?」と感想戦する
という意見だ。まったく正しいやりかたという気がする。オシムのコーチ法でも重要な位置を占めるのが試合後の感想戦という話だし。なにかを習得する方法として、実に理に適っていると思う。
ただ、これでこちらの意図が伝わるとは限らない。たぶんみんな感じていることだろう。
よく思うのは「勝利を目指す」という概念自体があまり一般的じゃないんじゃないかということ。
言葉として理解できても、人と競争をするという概念が意識の中に形成できているとは限らない。
その場の誰より早く勝利条件を満たす、高い勝利得点を獲得する、という、いってみればそれだけのことだけど、考えてみれば、日常生活の中でこうした思考を必要とする場面は少ないんじゃないか。むしろ、ゲームをしても常に「目立たない無難な手」を捜してしまう人も多い、のかもしれない。
ひとつ、読んでて思いあたったことがあった。わたしも、とあるサークルで、ゲーム後にいわれたことがあるのである。「このときどうしてこうしたの」みたいなことを。
ああ、あれは、遠まわしになにか反省を促されていたんだなあと。
もちろん、こういわれたら必ずそうだということではなくて。むしろ、もちろん、そうでないことのほうが多い。純粋に、感想戦は常に有意義だし、ゲームのあとには必ずやることにしてもいいというのが個人的な意見だ。
しかしあのときは、特殊な雰囲気というか視線というか、そういうものがあったから気になっていた。
わたしとしては当然、自分なりに勝利を目指す一手だったわけだけど。
たぶんあのとき、わたしはその場の遊び破りになってしまっていたんだろう。おそらくは、そのサークルが求める「お仕事」の基準を無視してしまったのだと思う(わりとそういうところのあるメンバーがいた記憶がある)。
おもしろいのは、こうした経験が負けたときに限らないということだ。勝ってさえ、遊び破りになってしまうこともあるんである。
まあしかし、いちプレイヤーとしては実際のところ、こんなことは気にしてもしかたない。
同じ「勝利を目指す」でもメンバーによって意味が違う。それは具体的には「お仕事」が求められるかどうかなどに顕れる。
……そんなの、何度もプレイしている相手でなきゃわかるわけないし。
これは複数の人間が集まっている以上しかたのないこと。卓による意識の違いなんて、気にしていたらゲームなんてできない。それにたぶん、完全に順応してしまったら勝てないだろう。
全部にあわせることは不可能だし、最終的には、明確な自分の基準を持っているしかないと思ってみたりもする。
またわき道でした。話を戻すと、
極端にいえば
「道を伸ばすことに勝利以上の魅力を感じさせてしまうカタンが悪い」
を結論としてしまうこともできるし、そうだと思うし(ぉ
しかしそれじゃあアレなので、解決方法を考えてみると、けっきょく
ということになる。遊び破りを減らしたければ、そのゲームで勝利することの魅力をアピールする必要がある。
カタンでいえば
「勝つことは道を伸ばすよりも楽しい」
と、そのことをはっきりとアピールしなければならない。実はこれ、いわれなければわからないことだと思う。
確実な方法とはとてもいえないけど、たぶん他にどうしようもない。なにしろ他人の意識の問題だ。解決策を考えるなら、とりあえずは地道な方法しかない。
最長交易路のないカタンをやってみるというのもいいかもしれないけど、よほどの仲間内でない限りあまり現実的じゃない。
効果がありそうな方法としては、賞品を出すとか。
あるいは、上にも書いた「常に感想戦をする」というのもこれまた地道だが、いい方法だと思う。