世界の狭いボードゲーム界隈では、ちょっと悪いレビューをウェブに書くとすぐに作者にエゴサーチされる。しかもそれがたいてい知り合いの知り合いくらいの人だったりするわけです。
特に国産ゲームの場合。こりゃもうしかたないんだけど。
さらに、たまにその作者が反論してきたりもする。
さらに、批評は自由だろという再反論があったりもする。
これ本当は議論がすり変わってるんだけどね、けどまあ両者とも気持ちはわかるわけじゃないですか。
それでもう、めんどうだから感想をいわないみたいな空気がじっさいにあって。めんどくさい。
そういうのが、とてももったいないと思うわけです。
自分の立場は何度もいってるけど、誰がなにをいってもかまわないというもの。レビューは好きにすりゃいいし作家からの反論もあって当然。そして、そういう言葉がオープンな場所に残ったら、それは全部貴重な財産だと思う。
ただこれは大きな立場でいってる話で。自分個人の話でいうなら、めんどうだからいわないことは現にあるし。
そもそも批評ってなんですか、と訊かれて、答えられる人は少ないと思う。つまりなにを書くべきか書かれるべきかがわかっていない。
そういう状態で、でも誰もが批評家になれてしまうここはインターネット。勢い、表現が誤解を招くものになってしまうことはとても多い。
例えば、批評は説教じゃないわけです。人に読ませるために書いているものではあっても、誰かを説得するためのものではないだろう。
具体的にいうと、
「これはつまらないのでオススメしません」
例えばこれ。よく見る文だけどこれ、作品自体じゃなく読み手に向けての表現になっている。つまり少し批評から外れはじめてると思うのだ。
こういうのが作家からどう見えるかというと。作品の内容に関係なくレビュアー対読者の関係だけで評価が決まっちゃってるように見える。少しおもしろくない。
べつに、書いた人には大した意図はないんだろうけど、ちょっとした表現の問題で。
こういう齟齬が、けっこうある気がする。
こんな表現の逸脱がどうして起こるかというと。要は「批評」がなにを語ればいいのかが、書き手の中で決まってないんだろうと。
本題。
「批評」はけっきょくよくわからないし難しい。ならもういっそ、あきらめたらどうだろうか。
「攻略」なら、ゲーム自体のことだけを考えることができるんじゃないか。
などと考えてた。
んーどうだろうな攻略を嫌がる人もいるけど。