2006ドイツW杯 一次リーグF組
ブラジル 4−1 日本
瞬発力、キープ力、ミスの少なさ、パスのスピード、シュートの正確さ、強さ、身体の強さ、ほとんどどこをとってもブラジルが上だ。
日本で、テクニックで匹敵しうるのは中村だけ。意思で匹敵するのは数人。唯一ゴールキーパーは戦えるレベルだったかもしれない、というのがこの大会の日本である。
そう見えるのはつまり志向するサッカーが似ているからなんだが、その理由はブラジル人監督だからというだけではない。
技術への信仰のようなものが、遺伝子の中にある。そういう遺伝子が、日本とブラジルに共通している。
……なんて冷静に書いているのは、まあ、もう終わったからである。
ではなぜこれほどふがいない結果に終わるのかといえば、それはつまり、まだ日本がまだ本気でサッカーにとりくんでいないからだ。
この大会に限れば、日本が敗退した原因は勝つための意思が足りなかったからである。それがあれば、オーストラリアにもクロアチアにも勝てたはずなのだ(終わったからいうのだが、このブラジル戦はしかたない)。
ジーコはトルシエと違って、選手にそうした意思を求める監督だ。ある意味では、トルシエジャパンが負けたら監督のせいだが、ジーコジャパンが負けたときは監督のせいではない。
まだ子供だった(と判明した)今の日本にとっては、ジーコのやりかたは早すぎたのかもしれない。ジーコに似たタイプの王監督が、WBCで世界一になったことを考えれば、やりかた自体がまちがっていたわけではないのだろうけれど。
おもしろいと思うのは、そんなサッカーに足りないものが、野球にはあるというところだ。
やはり世界最大規模の、しかも最高レベルの大会を高校生のときに経験してきている選手たちはなにかがちがう。勝つということの意味と、勝つために必要なものを、知っている。
わたしはボードゲーマーなので、ボードゲームにおきかえればそういうところがイメージできる。ボードゲームの勝敗を決めるのは、記憶力がいいとか、ダイス運がいいとか、そういうことではまったくない。いつでも、どんなゲームでもたいていは、勝とうとする奴が勝つのである。
そういう意味で、数ヶ月前に話題が盛り上がった「長考反対キャンペーン」は実はけっこうショックだった。というのは余談だが。
本当に日本国民の大多数がそういう考えかたをするのだとしたら、そりゃあワールドカップだって勝てないだろうと思う。ボードゲームとサッカーは関係ないようだが、そんなことはない。国際大会は文化のぶつかりあいそのものなのだから。
たとえば格闘技では、軽量級なら、日本は世界最強である。野球もトップ争いをやれる位置にいる。正しいやりかたを憶えれば、身体のない日本人の技術力への執着心は、とんでもないレベルまで到達しうるのである。
日本はたぶん、まだ正しいサッカーのやりかたを知らない。だから、自信がもてないのだと思う。自信がないから意思を維持できないんじゃないかという気がする。
けっきょく、まずは技術が足りない。自分自身がイメージするサッカーをやれない、そのことが問題なのだという気がする。
この試合を見ていて実感したのはとにかくトラップの距離。ブラジルの選手は全員、日本選手の3分の1以下の距離にトラップできる。
できないわけではない。これは技術の問題で、身体はあまり関係ない。たぶん、育成段階に間違いがあると思う。ボールを短くとめて正確に蹴る、そのことを、もっとしっかり叩きこまれて育ってくるようにならなければいけないだろう。
それと、正しいやり方だ。ブラジル人は激しい競争の中で自然に身につけてくるのだろうが、サッカーに関しては、日本は事情が違う。やりかたを憶える必要がある。たとえば「トラップするときは足を引け」というのは間違いで「力を抜け」が正しい。
それを考えると、本当に日本が強くなるにはあと12年(3大会分)は必要かなという気がしている。
[2006.06.23 17:45]とりい :
育成段階以前に子供が生まれたときからサッカーボールで遊ぶ環境って大事だよね。神経系の一番発達する年代って、日本での育成段階より早かったりするし。
[2006.06.25 14:21]てらしま :
好意的にいえば、いま代表やってる年代はまだアジアで勝つために育成された年代といえないこともないので、これからの年代に期待したいところなんだけど、育成システム自体はそれほど変わってなさそうなのよね。
敵が野球なのは間違いないが、なんとなくだけど、子供の憧れの対象は野球よりもサッカーになってきてないかなあ。あとは6歳くらいからそれを受け入れられる環境があるといいですね。