よーし話題のうちに記事上げるぞまだ読んでないけど(ぉ
ごめんなさい……。読んだらまた書きますので。
ドミニオンといえば、つい最近もあたりまえのように日本ボードゲーム大賞を受賞したモンスターゲームだ。
そのドミニオンの、攻略本が発売されたんである。商業出版で。
これはすごいことだ。
なにしろ『アクワイアへの招待』なんて本は見たことないし、ましてや『カタンへの招待』も『プエルトリコへの招待』も知らない。
アナログゲームの攻略本といえば、囲碁、将棋、麻雀、競馬、宝くじというあたりはかなりある。宝くじの攻略本と霊感商法の差はよくわからないけど。
だがそれ以外となると、バックギャモンの本ですら日本では捜すのが難しい。トレーディングカードゲームの本ならまあある、という程度だろうか。
(どうでもいいが、おなじホビージャパンから昔『ドミニアへの招待』というマジック:ザ・ギャザリング解説本が出ていた)
そんなマイナー趣味であるところのボードゲームの、本が出てしまったわけで。
しかも、1冊まるごと、ドミニオンの話題だけ! なのである。
これはひどく珍しいことだ……ではあるのだが、わたし自身は、こんな本が出てもおかしくないと感じていた。そう感じる理由があった。
なにしろわたし自身も、ドミニオン攻略同人誌を書いたんである(→)。
メロンブックスにいけば、まだ購入できるんである(宣伝)。
ドミニオンレシピを書いたときに思ったのは、ドミニオンは規格外だということ。
正直、ボードゲームの攻略本なんてほとんど売れないだろう、と思っていたんだけど。でも、わたしの予想よりもずっと売れたのだ。
ゲームをしてるだけでは足りない。いろんな意見を知りたくなるし、いいたくなる。ドミニオンには、そういう力がたしかにある。それを感じていた。
そういう盛り上がりかたは、ボードゲームの世界にはあまりなかったものだ。ゲームに対するプレイヤーたちの姿勢が、ボードゲームというよりもトレーディングカードゲームに近いという気がする。
だからだろうか。いまではもう、ドミニオンはボードゲームとはなんか違う世界のものという気さえしている。ドミニオンはおもしろいけど、ボードゲーム会でやらなくてもいいとでもいうような。
さてしかし。
ここで思い出すのは、かつてネットであった論争。ドミニオンが、日本で出回りはじめて間もないころの話だ。
くわしくはぐぐってほしいが。
という流れの論争が、あったのだ。
いちおう書いておくと、お金作戦は解答ではない。たとえ最適の戦略だったとしても、ドミニオンというゲームはそれをプレイヤー全員がやれる。誰かひとりしかやれない必勝法ではない。
また「お金を買う」というだけでは、まだとうてい最適といえない。得点をいつ買うかが確定していないし、アクションカードを1枚買うほうが明確に強い。最適な戦略を作るためには、もっとずっと細部まで配慮した研究が必要になる。
そんな、まだ研究が成熟していなかったころの話だ。
でもそんな話題に、ブログ界隈では大変なレスポンスがあった。
けっこう、個人的には驚いていた。
攻略を見ることを、イヤだと思う人もいるのか。あーそうなのかと、けっこう新鮮な思いだった。
あれはなんだったのだろう。ミステリーの犯人を教えられたくないと思うような感覚なのだろうか。しかし、なんとなく、そうではないという気がする。
おそらく、あれがイヤだと感じたプレイヤーたちにとって、ゲームというのは攻略するものではなかった。のではないかと想像している。ではなにかというと、その場を楽しむもの、コミュニケーションのためのツールなんじゃないか。
それであれば、攻略記事を読みたくないという意見もなんとなくわかる。読んだ人と読まなかった人との間にコミュニケーションの齟齬が生まれてしまう。極大値ではあっても有利な戦略を知ってしまったら、知らないプレイヤーとはもはやコミュニケーションが成立しない。なにしろ、そのプレイヤーを完全に無視しても勝ててしまうのだから。
そうなってしまったら、台無しだ。せっかくおもしろいコミュニケーションをできそうだったのに。そういうことだったのかなあと、いまでは思う。
とはいえ、不特定多数の口をふさぐのは不可能だし、そうした意見は危険をはらんでいる。むしろ、戦略があるならどんどん発表しちゃっていいだろうというのがわたしの立場で。だから『ドミニオンレシピ』を書いたわけではある。
ドミニオンがもたらすコミュニケーションがあるとしたら。
それはもっと、ずっと深いところにあった、とも思っている。
「この戦略が最適!」なんて、短い言葉では足りない。「このカードはこういうときには使えるがこういうときには使えない」とか「相手プレイヤーがこういう戦略だったときはこういう戦略が有利」だとか。そういう、もっとずっと細かいコミュニケーションのためのツールだったのではないかと思う。
そういう話はふつう、誰にでも通じるものではない。一部の気持ち悪いマニアたちが楽しむ種類の話だ。
誰とでも楽しめる、いわゆる「盛り上がる」を信条としたゲームとは違う。
本来の構造は、かなりマニアックなゲーマーズゲームだと思う。
だけど、そんなゲームであるにもかかわらず、プレイヤーは増えている。それほどに、巨大な魅力のあるゲームなのだ。
簡単にいうと、遊べば必ず楽しいという種類のゲームなのだと思う。
ふだんならマニアックな戦略談義をしない種類のプレイヤーでも、議論にまきこんでしまった。だからこそ、ゲーム外でもさまざまな議論をすることができてしまう。
だから本を書けてしまうし、読者もいる。
すべては、楽しいからだ。
そこがすごい、という気がしている。
とか。
そんなことを、読む前からつらつらと考えてるのです。