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イリーガル・エイリアン
 読書

イリーガル・エイリアン
ロバート・J・ソウヤー ハヤカワ文庫SF

2005.8.16 てらしま

amazon 発売から二年近くもたって書くことじゃないかもしれないが。実は買ったままいままで忘れてたのだが。
 べらぼうにおもしろいのだ。
 殺人事件の容疑者はエイリアン!
 ってあらすじはそれだけなんだけど、アメリカの陪審員制度やいまも残る人種差別や、人間の身体の構造や進化論や宗教や、ともかく様々な問題が絡んでくる。
 なぜそれほど色々書かれなければならないかといえば、それはこれがファーストコンタクトの話だからだ。エイリアンはもちろん地球の人間とはまったく違う環境で進化してきたんだから、生物学的にはもちろん、哲学も宗教も社会構造もすべてが根本的に違うのである。しかもそれを裁判にかけるのだから、そうしたあらゆる問題を考慮しながら審議しなければならない。
「真実を述べることを神に誓います」といったところで、真実と嘘という概念がエイリアンにあるか、神の存在を信じているのかどうか、というところから確認する必要がある。エイリアンが殺人を罪と思わない可能性だってある。
 果たして陪審員はエイリアンに対して正当な判断を下せるのかとか、エイリアンは裁判費用をどう支払うのかとか、。
 ばかばかしい話といってはいけない。いや、いってもいいが、それはワレワレSFファンがゴジラ映画を見ていうような、愛情のこもった言葉でなければならない。
 たしかにばかばかしい。しかし、異星人とのファーストコンタクトが本当に起こったとして、それがばかばかしくないはずがない。『未知との遭遇』の音楽とライトによる交信だって、考えてみればばかばかしい。でも感動的だった(まあここではそうしておく)。その意味では『2001年宇宙の旅』はちょっとできすぎだった。
 なにしろ異星人なのである。
 この本に登場するのは、肩から生えた脚と、腹と背中から生えた腕を持つ種族である。目は前に二つ後ろに二つ。頭には犬のしっぽみたいに揺れて感情を表現する毛が生えている。
 そんな生物が、都合よく人間と理解しあえるはずがあるだろうか。いろいろな理解不能の問題があるはずだ。
 この異星人の身体的特徴がまずあり、そこから、この種族の文明、歴史、宗教、哲学などを演繹してく。もちろんそんなたいそうな問題ばかりではなく、このエイリアンが座れる椅子の形だって人間とは違うわけである。もちろん法廷にはエイリアン用の椅子をよいしなければならない。
 余談だが、ソウヤーはわりと椅子にはこだわる。それは、収斂進化などというご都合主義では測れない、宇宙生物の自由な進化を描こうとする上でのことだろうと思う。宇宙にはいろんな生物がいたほうが、楽しいということだ。それも、たくさんいたほうがいい。この本のエイリアンは、なんとも楽観的にも、もっとも近い恒星であるアルファ・ケンタウリからやってくる。アルファ・ケンタウリに知的生命がいるならば、宇宙にはものすごくたくさんの宇宙人がいることになる。なんとも楽しい宇宙ではないか。宇宙は楽しいほうがいい。
 そういったファーストコンタクトのおもしろさが、ちからいっぱいつめこまれた本なのである。
 そんなエイリアンを理解しようとする手段として、裁判というのは悪くないかもしれないではないか。いかにも人間らしく愚かしいやりかただが、人間の理知を注ぎこむことができる舞台でもあるかもしれない。
 ついさっきまで異星人との感動的なファーストコンタクトをやってたものがだ。裁判が始まってみれば、もうまるで異星人がちょっと有名な被告と同じ程度の感覚で話が進み始めるのである。マイケル・ジャクソン裁判と似たようなもの。このあたりはばかばかしいのだが、実にリアルでもある。
 宇宙人だって知的生命なわけで、そうならばもちろん被告になりうる。というかたぶん、人間はその方法しか知らない。そう納得できるだけの材料が、ちゃんと描きこまれている。
 その法廷。陪審員の選定から始まり実に細かくリアルに描かれていくわけだが、そのうち異星人が証人席に現れたり、異星人の精神が人間の法律に照らして正常といえるのかどうかとか、異星人の脱皮について説明しだしたりとか、たまらない場面が次々と現れる。
 かたちは法廷ドラマなのだ。
 法廷ドラマがおもしろいことはみんな知っている。少なくともアメリカ人は大好きだ。この本も、半分くらいが法廷の場面に費やされている。ちゃんと組みたてられていれば、それだけだっておもしろいのだ。
 しかもそこに、実に上質のファーストコンタクトがからむ。ソウヤーらしい、非常に細かい考察に裏づけられたバカ話。サービス精神たっぷり、SF魂たっぷりの傑作だ。


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