某人のブログで柄にもなく議論してしまったせいで考えたこと。
http://white.niu.ne.jp/Freetalk/article.cgi/0604b210001a
とりあえず、ゲームの神(whiteさんの文章では「オラクル」)が必敗側でプレイした場合どうなるのかという視点は考えたことなかったので、いくつか発見があった。
下はわたしなりの結論。
ゲームに関するかぎり「絶対唯一の神」は存在しないんである。
# ゲームにそれがいえるってことは現実のすべてにいえるってことで、ってことは一神教は嘘か?とかそれは余談。
性格があるといっても、オラクル同士の対戦なら、席決めだけの勝負なのは同じ。だから、ゲーム上で絶対のプレイヤーであることに変わりはない。「絶対」にも幅があるということだ。
問題は、3人以上に話を拡張したとき。
「ティカル」のレビュー記事にも書いたけど。具体的には、n人零和有限確定完全情報ゲームの場合である。
オリンポスか高天原かどこかで、オラクルがn人集まって卓を囲んだらどうなるか。
まず「全員に勝利の可能性がある」ということはない。このゲームは零和だから(ゲームによって引き分けはありえるけど)。
二人の場合と違うところは、ゲーム開始時点で「複数のプレイヤーに勝利の可能性が残っている」場合があるというところ。
では勝者は誰になるのか。
プレイヤーは全員オラクルなんだから、ミスはしない。であれば、勝者を決める要素はあまり残っていない。
ゲーム開始時に決定している敗者の、ゲーム中の選択。あるいは勝利の可能性があるプレイヤーが、複数の最善手の中からどの手を選ぶか。そうしたものの組み合わせ次第で、ゲームの展開は変わることになる。
つまりプレイヤーたちの性格の組み合わせによってゲームの展開が左右されるのである。
最強のプレイヤーたちが完璧なプレイをしているはずだったのだが。勝敗を決めるのは、ゲームに対する能力ではなく「性格」なのだ。
あー。まあそりゃそうだよねー。神さまでも大差ないねー。ゲームっておもしろいねー。