2004.4.18 てらしま
更新したくなったので少し前に読んだものを。マリみての今野緒雪だが、なんとSFなのである。
陸地がないことを除けばほぼ地球と同じ環境の星オーナ。超能力を持ったサカナたちが平和に暮らす惑星なのだが、そこに、なぜか一匹だけ人魚がいる。
調査団の一員だった父親が原因不明の事故で死んだという主人公は、単身この水の惑星に向かい、人魚と出会い恋に落ちる、とまあそんなお話。
中盤までの煽り方がかなりいけてて、「おお、SFしてるじゃないか」と思った。
過去の調査団に起きた謎の事故というのがキーポイントになるわけだが、これが『ソラリスの陽のもとに』を思わせて、なかなかおもしろそうなのだ。
というか本当にかなりソラリスっぽいのだが、元ネタがあるのかどうかは不明である。口をきく魚たちとそこに突然変異で生まれた人魚の惑星というのは、観念的すぎてわけわからないといわれそうなソラリスの風景を具体的な目に見えるかたちに描きなおしたものとわたしには思えたのだが。
ともあれ、今野緒雪的は、『夢の宮~奇石の侍者~』のテンカ(本当は漢字だが、出ない)みたいな、聡明ではないが純真無垢な少女というキャラクターを描かせるととてもいい。この話の人魚もそういうキャラクターなのだ。
ただやはり、終わり方がコバルト文庫であってSFじゃなかった。物語に登場するガジェットの数々になんらの説明もなされない、そのあたりにもSFとしては不満が残る。
まあ世間一般的にはSF読みの方が異常なんだろうことにはうすうす気づいているし、目をつぶることには慣れているのだが、中盤までの描かれ方がここまでSFだとなあ。
とまあ不満はあるのだが、でも。これでいいんである。
なにしろコバルト文庫で、異例のアニメ化までした大人気の少女少女小説作家が、宇宙飛行士(訳すとロケットマン)が主人公のSFを書こうとしていた時期があった。この事実だけでも喜ばなければ。
発行は1996年、SFへの風当たりがもはや常識となってしまっていた、そんな時代にだ。
しかも書きっぷりをみるかぎり、これはまったく、環境が違えばこの人はかなりのSF作家になっていただろうと思わせるに充分なものがある。
マリみてを読んだ人が『夢の宮』も読んだという話は、わたし以外では一例しか報告がないし、サカナの天が重刷されてふたたび読まれるなんてことはほぼありえないといっていいのだが、SFファンとしては可能性を信じなければならないと思う。
それにやはり、マリみての作者でさえSFを書きたかったのだ。SFの可能性をまた信じようと思うこともできるじゃないか、うん。「マリみてのおもしろさは実はSFなんだよ」と強弁する理由に、ならないでもないかもしれないし。
それにしても、今の今野緒雪が書く『サカナの天』が読みたいものである。やっぱあれか。こういうことはデュアル文庫にお願いか。