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サッカーの敵
 読書

サッカーの敵
サイモン・クーパー 後藤健生 白水社

2001.5.30 てらしま

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「サッカーはもっとも人気のあるスポーツである」
 そんな話から、この本は始まる。
 だから、サッカーは数十億の人間に影響するスポーツだ。クーパーが言うとおり、それはもう確かに、ただのゲームではない。
 それは当然、政治と呼ばれるものにも影響するし、強く影響されもする。
 この本は、著者が、サッカーと人々の生活の関係に興味を持ち、世界中を巡った紀行記だ。そのために9ヶ月をかけて世界22カ国を巡ったというのだから、著者クーパー自身こそ、もっともサッカーに揺り動かされた一人ではないかとも思える。
 題にある「サッカーの敵」とは、サッカーを愛してやまない世界中の人々のことだ。サッカーが好きだからこそ、人々はファンになり、しばしば純粋なゲームを妨害する。ロシアの有力者は敵チームの選手をシベリアに送り、カタルーニャ人はバルサを民族の象徴だと言う。
 そうすればするほど、彼らの好きなサッカーは純粋さを失っていき、おとしめられていく。
 そういう悲喜劇は、世界中どこにだってある。この本は、そういう話を集めた本だ。
 世界にはさまざまな人々がいて、文化があり、それらの間に横たわる価値観の相違はとうてい埋められないほど深い。だから、サッカーという共通語が必要なのではないか。この本を読んでいるとそう思う。
 さて、著者はファンを「サッカーの敵」としているが、しかし、彼らのことを否定しているわけではない。なにより、著者のサイモン・クーパー自身が、この本に登場する「敵」たちに劣らない、熱心なファンなのだ。
 もちろん、サッカーがどんなスポーツよりも魅力的なのは、「サッカーこそが人生だ」と言ってはばからない、そうしたファンが多くいるからだ。過去のワールドカップでドイツ対オランダがあれほど盛り上がったのには、スター選手がいたこともあるが、やはりファンたちが過去の歴史からその試合を「戦争」と捉えていたからなのだ。
 彼らは自分の境遇や民族の歴史を、サッカーに置き換えて考える。どちらの方がより重要だ、ということではなく、どちらも、彼らの生活の一部なのだ。
 この本を読んでいて、私がもっとも強く感じたことは、そんな彼らが羨ましい、ということだ。地域、民族意識の薄弱な日本人が「サッカーの敵」になることは難しい。唯一国際戦で、韓国との間に確執があるくらいである。それも、強く意識しているのはたぶん日本ではなく韓国の方だろう。Jリーグでも、地域との密着に成功しているチームはほとんどない。私は茨城県に住んでいるが、totoを買うときはまず始めに水戸ホーリーホックの負けにチェックしているのだ。
 煽っても仕方がないが、日本を戦争で負かしたアメリカとの対戦でも、日本人のファンは特に意識することはない。
 私も「サッカーの敵」になりたい。しかしそうなりきれないところも日本人の民族性なのだという気もするし、そこにいくばくかの誇りを感じたりもするのだ。


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