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サムライ・レンズマン
 読書

サムライ・レンズマン
古橋秀之 徳間デュアル文庫

2001.12.21 てらしま

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 主人公は日系アルタイル人の「サムライ・レンズマン」。柔術を精神波に応用した「アルタイル柔術」を駆使し、向かい来る敵を次々に刀で斬り伏せる!
 読んでいて思ったのは、「俺はやっぱりレンズマンが好きだ」ということ。読んだのは中学生の頃で、学校の図書館には途中までしかなかったから、そこまでしか読んでいない。ファンと名乗るのはおこがましいのだが、やはりそういう時期に読んだものというのは私に少なからぬ影響を与えているようだ。
 本書はレンズマンに対する、というよりも翻訳SF全体に対するオマージュ、という趣の本になっている。
 文章はあえて翻訳っぽく、「彼は……なのだ」みたいな文体をあえて多用し、懐かしい雰囲気を醸し出すのに成功している。私のように前からそういうものばかり読んできた身にとっては、普通の日本語よりもむしろ心地よく、この文体だけでなんとなくわくわくしてしまうようなノスタルジーがある。きっと古橋秀之にとっても、レンズマンと翻訳文体は切り離せるものではなかったのだろう。
 それにしても、エーテルがあり光速が「遅い」といわれるような世界というのは、完全に想像の中にしか存在しない。さらに人間の精神波を増幅する「レンズ」とか、銀河の歴史を太古から見守っている種族だのとはったりをうち、そんな世界をよくもこれほど魅力的に構築したものだ、とは前から思っていた。なんといっても希有な小説なのである。
 そんなレンズマンを『ブラックロッド』(電撃文庫)の古橋秀之が書いた。
 考えてみれば『ブラックロッド』にあったけれんというのは、時代性もあって、本家E・E・スミスに比べると幾分スケールが控えめなものの、レンズマンの自由奔放さに通じるものがある。
 この自由な宇宙を応用しつつも、アレンジも忘れていない。主人公の「サムライ・レンズマン」や宿敵のガンマンなどは明確に古橋秀之自身のキャラクターだが、レンズマンの宇宙は鷹揚にこれを許容してしまっている。
 エンターテイメントに徹したところも功を奏していて、実際かなり楽しめた。
 意外なほど自然に、「これはレンズマンだ」と思って読める。しかしふと立ち止まってみると、そこは古橋ワールドであり、E・E・スミスの時代にはなかったはずの小説世界なのだ。この連続性の感覚が面白い。


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