2002.4.28 てらしま
新作ではなく、91年の作品の復刊である。
冒頭、数ページも読むとスパイダーマンが死ぬ。そういえば映画公開直前だし、タイムリーなのかも。
続いてスーパーマン、バットマンと、おなじみのスーパーヒーローたちが立て続けに死んでいく、ショッキングな場面が、オープニングなのである。
思い出されるのは、ヒーローたちが抱える矛盾とノスタルジーを描き、彼らもまた人間であることを痛々しいまでに示してみせた傑作『ウォッチメン』だろうか。
実際、テーマ的には近い部分もあるのだが、そうでない部分も多く、はっきりと「ジャグラー」イコール「ロールシャッハ」と断言してしまうことはできなそうではある。
もちろんジャグラーは本作の主人公であるスーパーヒーロー。ロールシャッハとは『ウォッチメン』の主人公の名である。
あらすじというか、設定を紹介してしまおう。
コンピュータの演算能力には量子的な限界点があった。しかしこれは、実は霊的な現象であることが解明されてしまった。世界中の霊媒師が集められ、彼らの力によって製造される「量子効果コンピュータ」。これは霊に干渉できる力を持ち……。
もういいだろうか。いや、これではまだ、アメコミ的原色世界の説明がまだだ。
量子効果コンピュータを使えば、あの世を覗くことが可能になる。しかし、あの世からの情報は断片的で、それを人間の目に理解させるためには、コンピュータを使って映像を再構成してやる必要がある。結果、色も形もすべてが誇張されることになり……。
あの世はアメコミのような原色俗悪世界なのである。
まあ他にもいろいろあって、東京にあの世への扉が開いていたりもする。
量子コンピュータというのは、万能の小道具の一つだ。効能としては「四次元ポケット」とさして変わらないのではないだろうか。これは山田正紀を読んでいる誰もが感じることに違いない。
さて、主人公は「ジャグラー」と呼ばれているスーパーヒーロー。「五使徒」と呼ばれる悪役たちを一章に一人ずつ、次々と倒していくという構成は『地球・精神分析記録』あたりを思い起こさせるが、設定はもっと複雑で多層的だ。
その分、まとまりに欠けるきらいはある。アクションなのかSFなのか、ナンセンスなのかオマージュなのか青春なのかと、読んでいるこちらがいろいろ考えてしまう。そのあたりが、とても山田正紀っぽいといえばまあそうなのだが。
らしいといってしまえばこれほどらしい作品もない。パロディでありアクションであり、ナンセンスでありながらなおかつ、最後にはどうしようもなくSF。
だから少なくとも、山田正紀のファンならば楽しいだろう。なにを隠そう、私も楽しかった。
題材が題材だけに、アメコミ好きに薦めやすい本だ。とりあえず手に取れば、にやにや笑いながら読み始めてくれることだろう。でもそうやって読み進めていくと、後半は少し戸惑ってしまうのではないか(どう読んでも戸惑う気もするが)。そのあたりが、惜しいといえば惜しい。