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スパイダーマン(映画)
 読書

スパイダーマン(映画)
サム・ライミ監督 コロンビアピクチャーズ

2002.5.20 てらしま

「大いなる力には大いなる責任がともなう」
 たしかにこれはスパイダーマンというヒーローのアイデンティティそのものたる言葉なのであり、なくてはならない要素だ。そのことを、サム・ライミ監督は充分に理解していた。たぶんそれが、少しだけ過剰だったのだろう。
 スパイダーマンの独特な、ダイナミックな身体の動きはかなり再現されていて、私の見た範囲ではゲーム『マーヴルスーパーヒーローズ』に次ぐ出来なのではないだろうか。実写でこれを実現したというのは、確かにすごいのである。もっとも、半分以上はCGの力によるものだが。
 したがって、アクションシーンは本当によかった。特に、次々とビルに糸をかけて飛び移っていく場面はかなり、癖になる。あれだけでも、「何度でも見たい」と本気で思わせる魅力を持っている。
 だから、この魅力をもっと全面に押し出していてほしかったのだ。
 放射能グモ(映画では遺伝子改造クモ)に噛まれてスーパーパワーを身につけたピーター・パーカーは、叔父の死から「大いなる責任」に気づく。あのなれそめの物語というのは、私自身もものすごく好きなところなのだが、映画にするには少々、地味だ。ここには宿敵も絡んでこないのだから、思い切って割愛する選択だってあったはずではないのか。
 だがそこは、長年のファンだというサム・ライミ監督。スパイダーマンの魅力を表現するためには、原作を踏襲する以外の方法を思いつけなかったのだろう。ファン(オタクといったっていいが)とは悲しい生き物なのである。
 しかしやはり、このオープニングストーリーの存在感というのは圧倒的で、この映画でもやはり、輝きを失ってはいなかった。先の展開なんか全部わかっているにも関わらず(このあたりは原作を知っていると損だと思うところだが)、不覚にも涙しそうになった。
 それが、不幸だった。
 原作でもそうだったが、ライバルが現れてスパイダーマンと戦う話がいくら繰り返されても、第一話のインパクトを超えられない。それほど読んでいるわけではないのであまりいえないが、私の場合、偶然古本屋で手に入れた光文社版の第一巻でこの第一話を読み、満足してしまったというのが本音だ。こんなにおもしろい漫画はない、とさえ、そのときは思ったわけだが……。
 要するに、グリーンゴブリンなのである。あの宿敵が、このオープニングを超えられるだけのポテンシャルを持っているかといえばそれは「否」。映画としては、しりすぼみになっていかざるをえない。
 少し、私の好みの話をさせていただこう。
 格闘家同士の試合では、格下が格上の周囲を動き回る。そんなことをいったのは『グラップラー刃牙』の板垣恵介だが、この言でいえば、ダイナミックに跳び回るスパイダーマンの魅力とは、常に「格下」であることだろう。
 つまりスパイダーマンがもっとも光り輝くのは、どっしりと構えた「格上」のライバルと戦うときのはず。スパイダーマンと戦った敵の中で、私が好きなのはベノムやキングピン。それは、こいつらがあまりアクティブに飛び回らないからなのである。
 しかし、グリーンゴブリンは飛ぶ敵の代表のような奴だ。私の好みとしては、嫌なタイプなのである。
 だったらもう、いっそのことアクションなどは省き、青春映画としてもっと練られたものになっていれば納得できたのに。
 ……
 私のこれだって、原作ファンのはしくれの意見である。純粋にアクション映画『スパイダーマン』を見た感想となっているかどうかについては、自信がない。
 ファンの性、オタクの性が、こんなところにも現れてしまう。監督もファン、観客もファン。そのために映画が純粋に楽しまれないとしたら、それはこれほどのファンを獲得してしまったスパイダーマン自身の罪だ。「大いなる力」とはこのことなのかもしれない。


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