2003.4.11 てらしま
前作『パーティーのその前に』が正直いって微妙だった。でもほら、好きか嫌いかというのはまた別の問題でさ。作品の完成度は「高い」というほどではないけど、私はわりと好き、というか気になる作品だったのだ。
こだわりがない、気楽な文体だけど、その中にちょっとまじめな人間心理も描こうとするのがこの人のスタイル。でありながらどこかオタクっぽいのも、私が惹かれる理由なのかも。雑誌「コバルト」2002年10月号に載った「ソルジャー・シンドローム」が私的にかなりハマリで、それでこの作家に注目した。長編2作目の本作になって、とうとう久藤冬貴の真価が発揮されてきた気がする。
舞台は大正時代。コバルト文庫なので(というか大正時代といえばって感じだが)、袴を着たハイカラ女学生が主人公である。
銅山成金に嫁いだ親友が困っていると手紙をもらい、いてもたってもいられず山の別荘に向かう主人公。そこで色白の美少年に出会い恋に落ちてしまったり、タイトルにある青い薔薇が絡んだ陰謀が出てきたりする。
余談だが、なんだか大正モノというのが一つのジャンルのようになってしまっている。でもこれはよく考えると面白い。大正時代はたったの十数年しかなかったはずで、時代のはざまであらゆるものがめまぐるしく変わっていくことこそが大正という時代であったはずだからだ。この時代をとりあげる最大の利点は袴姿の女学生だと(うーん)私は思うのだが、これだって流行していた時期はさほど長くない。
まるで「大正」という時代が以前からずっと続いていたかのように描かれる作品すらある。この原因は、年号が変わっただけで「時代」と呼んでしまう日本の慣習にある気はする。
こだわりのない文体で気楽なキャラクターたちが描かれる。そうでありながら主人公の少女が世の中の闇に触れてしまい、しかし絶望せずにがんばる。そういうのがこの作家がこれまで貫いてきたスタイルだ。時代の変革とともに人間たちの本音が表出せざるをえない(と想像できる)大正時代というのは、これに合っていると思う。
前作『パーティーのその前に』が微妙だったとは最初に書いた。なぜかといえば、悪いことをすべておしつける「悪役」が登場していたためだ。このテーマで主人公ががんばるなら、悪役がいてはならないと思う。少なくとも主人公がそれを「悪」と断定してはならないんじゃないか。
それが、本作では悪い奴が最後まで登場しない。愚かな人、不幸な人は登場するが、主人公が同情する余地を残してある。お気楽なキャラクターたちは読んでいて楽しいし、これはけっこう面白かった。
あとは、この先大正の世に次々と訪れる変化をどう料理するか。もしシリーズが続くなら、そのへんにも注目したい。