CEDECというイベントがあったらしく。別にわたしが参加したわけじゃないけど。コンピュータゲームの開発者たちが集まるイベントらしい。楽しそう。
で、そこの話題を追っていたら「ナラティブ」という言葉が聞こえてきた。物語性、くらいの意味なのだが、これがいま、欧米のゲーム開発者たちの間で注目されているのだという。
↓のあたりでも見てください。
なんだろうこれ。「ゲーム性」と同じかそれ以上の炎上特性を感じるような。というのはともかく。
ゲームと物語、ルドロジーとナラトロジーというのは、昔からしょっちゅう語られていた話ではあって。イェスパー・ユール(ジェスパー・ジュール)とかがいろいろ書いてておもしろいのでそっちを読むといいですが(あっちでも炎上するらしいけど)。
ここではあんまりめんどくさいことは話さない。とはいえなんの定義もないというわけにもいかないので、とりあえずここでのわたしの理解くらいで、
「物語を読んだときに似た感動を、ゲームプレイから感じること。またそれを起こしやすいゲームの性質」
とかそんなところかと思う。
くりかえすけど定義論とかする気はないので、ここではこういう意味の話をしてると思ってほしい。細かいこといわなければだいたい通じると思ってます。
ところで、わたしが話したいのはもちろん、もっぱらボードゲームのことだ。
物語そのものである必要はない。と思う。というのはつまり、キャラクターも世界観も必須ではない。そういうのがあっても物語性あるとは限らないしね……。
というか、ボードゲームはそういう饒舌な表現が苦手なのだ。特にドイツ流のボードゲームは。使える手駒は少ない。ゲームシステムと、あとボードやカードのイラストが少々、というくらいだろう。
だから、言葉や映像を介さずに表現できる物語の要素を考えたいのだけど。
物語、といえば起承転結じゃないだろうか。
いや序破急でもなんでもいいのだけど、ともかく物語にはそういう起伏がある。
ちなみに、ここにはわたしの解釈が含まれている。物語にだっていろいろあって、起承転結がない物語だってある。けど、たぶん、ゲームにわざわざ物語性を感じたいというのは「出来のいい物語を感じたい」のだと思う。つまらないものの話など誰もしたくない。
出来のいい物語ってなんだろうということで、とりあえずわかりやすいところでは起承転結かなあというのが、ここでの解釈になる。
ボードゲームの限られた用具では、コメディもロマンスも無理だろう。でも起承転結だけなら、ゲームシステムだけで表現できそうな気がする。
上に紹介した記事では『風ノ旅ビト』が例として出てきていたりする。あと『ファイナルファンタジー』はナラティブじゃないよねなんてこともいわれている。
そのへんのニュアンスは超微妙だが、物語を言葉で直接語るのではなく、ゲームプレイを通じて想起されるようなものということになっている。作家が書いたお話そのものではなく、プレイヤーがゲームプレイから感じるものでなければならないと。
映像表現や文章はあってもいいが、なくてもいい。コンピュータゲームと比べたら表現力に乏しく、ほとんどゲームシステムしかないといってもいいのがボードゲームだが、それでも表現できる部分がある。そういう話だと思う。
あいまいな話だしいろいろあるだろうけど。ひとつの理解としてはそんなところじゃないか。
つまり、局面の多様な変化じゃないだろうか。感動つまり感情が動くときというのは、状況がなにか変化したときではないか。
ずっと変わらない単調な作業に物語はない。
そしてその変化が、起、承、転、結という順に発生するようにデザインされているということじゃないだろうか。おもしろい物語に似た展開を作るために。
そう思ってみると、そんなことを感じるボードゲームはたくさんある気がする。特に、傑作といわれるゲームに多い。かもしれない。
いい例は『カタンの開拓者たち』とか。開拓地を建て、都市を建て、ときには盗賊にジャマされ、ゲームの状況は常に変化する。変化は感動の元なので、これはひとつの必要条件だ。そうして拡大していくのだけど、途中で、拡大が難しくなる。カタンは、8点まではわりとスムーズにとれるがその先がとりづらく、足踏みすることになる。起承転結の「転」が、そのあたりで起こりやすい。
カタンの手法はたぶん、ひとつの典型だ。ゲーム終了の手前で足が止まるようにして、そのあたりで逆転が起こりやすくする。状況が大きく動き、物語性を感じやすくなる。
ゲームで起こるイベントの順序をあらかじめ決めておくという手もある。『ティカル』では、登場するタイルの裏にアルファベットが書かれていて、登場する順序がある程度決まっている。最初は弱いがだんだん強くなっていき、しかし最終盤にはまた少し弱めになる。これはまさに、ゲームデザイナーがそういう脚本を書いたんである。
劇的に状況が動くイベントを何度か仕込むというのもいい方法だ。『ユニオンパシフィック』には、いつめくられるかわからない決算がある。いつ起こるかわからないのだけど、山札のこのあたりに入っているということだけはわかっている。セットアップで山札を作るときに、このあたりに入れろと指示されているのだ。つまりこれも、ゲームデザイナーが書いた脚本だろう。『パンデミック』あたりもこの手法をとっている。
そんな風に、起承転結の演出が組み込まれたゲームが、ボードゲームにもあるのだ。
とか。
物語性といいながら、あんまりそれっぽいこと書いてないなー。
テーマ性とかキャラクターや世界観とかそういうのも、もちろんある。あったほうがいいと思う。でもたぶん、そういうのを使うにしても、ここに書いたような話が必要になるんじゃないかという気がする。
バズワード臭はしても大事な話ではある気がして、だから考えてたんだけど。自分の理解はけっきょくそういう感じになったという話。
じっさいのところこのあたりのことは、物語とか関係なくゲームだけの話として語れる。それで充分に語られてきたことでもある。わざわざ新しい概念を持ち出さなくてもというところはあったりする。ボードゲームに限定して解釈しちゃうとそうなるのかもなー。