遊星ゲームズ
FrontPage | RSS


リピート
 読書

リピート
乾くるみ 文藝春秋

2005.1.25 てらしま

amazon
 現在の記憶を持ったまま、意識だけが過去にタイムスリップする。つまり人生をやりなおすというわけである。
 なんのことはない。ケン・グリムウッドの有名な小説
『リプレイ』
だ。元ネタの存在を、この小説では隠そうともせず、本編の中にこの『リプレイ』が登場してしまったりする。
 突然、電話がかかってくるところから話は始まる。電話の主は、一時間後に地震が起こることを予言してみせる。
 電話の男は、自分が「リピーター」だという。もう何度も、同じ人生をくりかえしているのだというのだ。そして主人公を含め無作為に選ばれた9人を「ゲスト」として過去につれていくというのである。
 乾くるみにしては珍しい、というべきだろう。まず最初に、異常なできごとが起こるのである。キャッチーなのだ。
 なんというか、もはや全然ミステリーではなくなってしまった。
 いや、文法は間違いなくミステリーの感じではある。たとえば登場人物たちが、性別や立場に関わらずやたらと理屈っぽいところとか、まきこまれた一人称の主人公がいつのまにか探偵として行動していたりとか。当面の謎に対して登場人物の誰かが長台詞で推理を披露し、その推理をいあわせた別の人物が論破する、という、ある種の小説では見なれたパターンで話が進んでいくわけである。
 そういう感じではあるのだが、しかし、ミステリーではない。半分くらいまで読んでも、物語の目的、つまり解くべき謎が明確に示されないからだ。謎がないのでは探偵も推理も必要ない。真犯人がわかったカタルシスも生まれなさそうだ。
 ではなにかというと、SFなのである。『リプレイ』だし。
 が、そこは乾くるみ。20年も前のSFに書かれていたことをそのままなぞったりなど、するはずもない。
 いつもの、読者を裏切る大転回は少し鳴りを潜めている。むろんあることはあるが、やはり、大きな謎があるからそれを裏切ることができるわけで、この小説にはそれがない以上、いつものようなとんでもない事態にはなりようがない。
 それに、なにしろはじめっからとんでもないことが起こってしまっているのである。これはSFの難しさそのものなのだが、始めにすごいことが起こってしまうと、終幕のカタルシスを演出するためにはさらに大きな衝撃を用意しなければならない。極端な話、タイムスリップを認めてしまった以上、もはやここにゴジラが出てこようが地球が滅びようが、不思議ではなくなってしまうのだ。
 そういう意味では、思ったよりもふつーの話だった。もっとも『リプレイ』を下敷きにして同じような話をやっておきながら(つまりパロディやオマージュのたぐいなのだが)、つまらなくはならず「ふつー」で留まることができたのはやはり作家の実力というものだろうか。
 解くべき謎が示されないと書いたが、少なくともSFファンにとってはそうではない。『リプレイ』を知っているからである。
 わたしは『リプレイ』を読んでいたし、話の筋もだいたい憶えている。そういう立場からは、この物語には始めから目的が示されている。『リピート』というタイトルから、すでに『リプレイ』を想定しているわけで、そういう視点で読み始めれば、どうしたって『リプレイ』とどう違うのだろうという読み方になる。
 どう『リプレイ』から離れていくのか、というところが、物語最大の謎になるのである。おそらくはそのつもりで書かれているだろうとも思う。
 そういう読み方で読んだ結果の、感想が「ふつー」だったわけである。もしも『リプレイ』と大して変わらない内容だったら「駄作」といっているだろう。ようするに、一応おもしろくはあったのだ。
 人間に対する悪意というか、性悪説というか、そういうものに裏付けられた乾くるみの世界は健在だ。あいかわらずの、ひどい読後感(念のため補足するが、誉めているのである)もある。
 だが、なんだろうな。「ミステリーの皮をかぶったSF」を書いてきた人が、今度はその皮を脱いでみた、そうしたらセンス・オブ・ワンダーが感じられなくなってしまった、という感じが少し、あるのだ。なんか残念。


.コメント

リピートを