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古武術の発見―日本人にとって「身体」とは何か
 読書

古武術の発見―日本人にとって「身体」とは何か
養老孟司・甲野善紀  光文社

2004.8.6 てらしま

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 養老孟司はあまり好きではないのだが、どうもこの人は面白いネタにばかり首を突っ込んで本を出す。なんか悔しいのだが、この本も面白い、というか興味深かった。
 養老孟司はいつもいろんな人にインタビューをしているが、これもいつも、相手より自分の方がよく喋る。しかもそれをそのまま本に載せてしまう。主張の強い人なんだろうなあと思う。わたしのような小説読みからしてみると、こういう人がインタビュー記事を書くのは、なんというかフェアでないと思ってしまう。小説を書くべきじゃないのかと思うのだ。
 がまあそれはともかく、インタビュー形式というのは文章の出来に依存しないので読みやすい。古武術とはなんだったのか、現代の理屈で否定するのではなく肯定的に、なお科学的にとらえてそれを実践する甲野善紀という人は、いつも非常に面白いことをいう人で、わたしもこの人に興味があったから読んだ。いろんな話が展開するが、どれも興味深かった。例によって養老孟司がときどき的を外れたことをいうのが欠点だが。
 甲野善紀という人は、巨人の桑田が師事を受けたことで有名になった。「捻らない、うねらない、タメない」という、現代のスポーツの常識とは反対の立場で人間の身体の可能性を語る人である。
 余談だが、どうやら格闘技の突きには2つの方向性があった。
 一つは、インパクトの瞬間に身体中の関節を固定する方法。詳しく知らないが、これは空手などで信じられている思想らしい。そうすることで、打撃に乗る換算質量を大きくとり、力積を稼ぐ方法だ。
 そしてもう一つが、逆に身体中の関節の動きを使って、拳の先端の速度を大きくする方法。全身を使って加速し、最も遠い足から順に、今度は動きを静止させていく。一つ前の関節が止まることでその分の運動量が先に伝わっていく。鞭の動き、唐竿の動きである。ボクシングなどで「パンチは足で打つ」などといった場合、このことをいっていると思われる。
 現代日本における最も重要な格闘技啓蒙書である(?)『グラップラー刃牙』でいうなら、前者は「剛体術」、後者は「音速拳」である。
 だが今は、この後者の「鞭の動き」の方が優位にあるようだ。ハンマー投げの室伏の身体の使い方がまさにこれで、彼は体格的に劣っているにもかかわらず、事実上の世界最高記録を持っている。
 ところが、甲野善紀の主張はこのどちらでもない。「第3の」考え方だと思う。
 それは後半の、甲野が「最近発見した」という極意に関する話によく表れている。
「平行四辺形」「マジックハンド」などと表現されている。つまり、身体中の関節を、予告なく、同時に動かすという考え方だ。
 上にも書いた「剛体」「鞭」のいずれにもない特徴が、ここにはある。つまり、相手に動きを悟らせないことができるという点だ。
 普通、突きを撃つときはまず腰やら胸やらが動く。これについて甲野は「情報が漏れる」という表現をしていて、これは実におもしろいと思った。
 その、攻撃の前に漏れた情報に反応して、相手はガードすることができるのだ。
 それが、この「平行四辺形の動き」を使えば予兆を消すことができる、ということだと思う。
 これは相手がいてこその考え方で、相手がいない、百メートル走やハンマー投げなどの陸上競技では通用しない。そういった競技ではおそらく、上に書いた「鞭」の動きの方に優位があるだろう。
 しかし、そうした西洋的な競技が、日本では発達してこなかった。相手がいるため一つの軸では語れない、格闘技のようなものばかりが発達した。
 そのあたりが、この本の主旨だ。インタビュー形式ゆえ結論はないが、日本人は単純な競い合いで結論を出すのが嫌いなんじゃないかというような意見も出ている。
 日本人はその文化の中で「身体」をどう使ってきたのか、身体の使い方にだって文化は影響するのだ、という、あたりまえだがそれほど認められていない考え方が新鮮だった。


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