2002.8.27 てらしま
あらすじはもう書いてもしょうがないので書かない。これまでに何度も書いているが、この作家の小説はストーリーを追っても意味がないのだ。
裏表紙の紹介文にこんな文がある。
『容赦なく裏切られながら、強烈極まりないラストまで一直線。その衝撃音が世界と読者の魂を揺るがす。』
よくもまあ大袈裟にあおったものだが、最後まで読めば意味がわかる。うんまさにそのとおり、とうなずくしかなくなるはずだ。
さて、それにしてもあいかわらず他人に勧めづらい。どこがおもしろいのか説明しようとするとネタばれを避けられず、かといって講談社ノベルスの裏表紙にあるようなあらすじを説明したところで、なんの魅力もない。
しかも悪いことに、この人はミステリー作家ではない。いや、少なくとも小説はミステリーの形態をとっているのだが、おもしろさの中心はミステリーではない。それなのにミステリーの皮を被っている。
これはたぶん、むしろSFに近いのである。
つまり、ミステリー好きにはセンス・オブ・ワンダーのなんたるかを説明しなければならず、SF好きには慣れない講談社ノベルスを手にとってもらわなければならないのだ。
しかも、ネタばれを避けながら。けっきょく、「読まない?」という一言しか残らない気がして、挫折しそうになる。
本書の正体はミステリーの皮を被って地球に潜入した宇宙人である。その目的はいったいなにか……。
地球の征服にしろなんにしろ、そこにあるのは悪意だろう。それも読者に向けられた、強い悪意である。
読み終わったとき。乾くるみを好きだという奴はマゾなんじゃないかと考えてしまった。騙され、裏切られ、自分の世界観を激しく揺さぶられると、逆にそれが快感になってしまう。
だが人間は誰しもマゾヒストの要素を持ち合わせているに違いないし、それは『塔の断章』を読めばきっとわかる。
あまりに見事に騙されてしまったために、一瞬ぽかんと我を忘れ、やがて怒りよりも先に笑いがこみあげてくる。
その騙し方はあまりにすさまじく、まずはこちらが信じていた小説世界への幻想が、次には我々の世界観そのものをうち砕いてしまう。
そのやり方がまた、周到で抜け目ないのでたちが悪い。
この乾くるみワールドの、『塔の断章』は一つの完成形である。
他の作品に比べてスケールも小さく、内容もかなりまともだ。だがその分完成度は高い。ギミックの中に読者自身を組みこんでしまうのがこの作家特有の部分だが、それも見事に計算され、活かされている。
ただ……。
この人はもっとすごいものを書けるはずだ。私はそう思う。
たとえば遊んでいる子供の人数を数えたらなぜか一人多かったとか、ウェブサーフィンで見ていたページの管理者がすでにこの世になかったとか、そういう感覚を読者に味わわせてくれる、思わず後ろを振り向きたくなるような小説が読みたい。そしてこの人にならそれが可能だ。
現実の影を見せつけ、異界への扉を開いてしまう、そんな小説こそ、まだ見ぬ乾くるみの最終形ではないだろうか。