こういう科学本には2種類ある。おもしろい本と、笑うべき本だ。
もちろん、内容が間違っているとか、トンデモとか宗教とか、そういうのはのぞく。
笑うべき本といっても、特別内容に間違いがあるわけではなくて。じっさい、偉い科学者の人がそれまでの知見から書いた、内容もわかりやすく示唆に富んだ本だったりもするんだけど、それでも「ここは笑うべき」という本はあるんである。
たとえば……といって例はあえてあげないけど。
だいだい、歳をとって引退したか前線から退いたかした科学者が、宇宙のこととか脳のこととか、哲学とかを語っちゃってる本が怪しい。あー、これは科学に限らないか。
「笑うべき」ポイントは何種類かある。
一つは、なにか壮大だけど予言性のない理論、たとえば人間原理とかが結論として登場したとき。
二つめは、科学の話がいつのまにか人間の生きかたとか倫理とかの話になっていたとき。
三つめは、よく考えればわかる論理の飛躍で、人間の意識とか宇宙のありようとか、そういう未解決の問題を自分の専門分野の話にすりかえてしまったとき。
そういう本のタイトルにはよく「宇宙」とか「人間」とかが入っている。何冊か読んでいると、本屋で見かけたときに雰囲気を嗅ぎとれるようになる。
この本。いかにもそっち系の匂いがしていたわけである。
そりゃあおもしろい本ならおもしろいんだから読みたいけど、笑うべき本だって笑えるんだから、それはそれで楽しめる。むしろそういうのを読みたい気分のときだってあるわけで、これはそういうときに買った本だった。
ところがこれが、予想に反して、ちゃんとおもしろかったのだ。
どちらかというと、宇宙の話でもプログラムの話でもなく、量子コンピュータについての本として読んでもかまわない。
量子論理演算とはなんなのかとか、具体的にどうやるのかとか、そのあたりの概説がわかりやすく書いてある。
その上で、エントロピーというのは情報のことなんだとか、なぜエントロピーが増大するのかとか「計算量は使えるエネルギーの量に比例する」とか、横断的な議論がおもしろい。
このあたりは、サイエンスフィクションの立場に似ているという気がする。けっきょく、専門的なことだけ書かれた教科書は誰が読んでもつまらないし、こうして視野の広い話に還元してくれないと、少なくともわたしたち読者にとっては、科学なんてなんの意味もないわけでね。
いってみれば、SFじゃなければ科学じゃない!
……逆にいえば、おもしろければ多少トンデモでもかまわなかったりもするけど。
この本にしても、量子計算の話が万物理論の話にまで広がってしまう必要が果たしてあるのか? という気はした。
あと一歩で「笑うべき」領域にいくところなのかもしれないし、本当はわたしの理解が足りないだけで、笑うべきポイントを見逃したのかもしれないんだけど。
でも「あらゆるものは量子ビットに還元できる」という主張は現代人には理解しやすいし、それはつまり計算機に理解しやすいということだ。納得するしかない説得力があると感じた。
たとえば一匹一匹のマグロの単純な習性から、容易に群れのシミュレーションを作れる。群れ全体を記述する方程式を考えるより、シミュレーションを作るほうがずっと簡単だ。
それに、群れが形成されるメカニズムを方程式で表現されても意味がわからないと思うけど、シミュレーションなら一目瞭然。
シミュレーション科学の有効性はそろそろみんな知っている。
物理法則について、そういう理解のしかたをしてもいいんじゃないか、というのがこの本のいいたいことと思う。たしかにそうかもだ。