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我が家のお稲荷さま
 読書

我が家のお稲荷さま
柴村仁 電撃文庫

2004.3.28 てらしま

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 まんま『うしおととら』だから悪の妖怪と戦う話かと思ったら違う。うしとらで、とらがたまに、現代の街を見てはしゃいでいた場面があったが、あっちの方を本題にした話という感じだ。
 戦う話だとどうしても主人公たちには特別な力があって、けっきょく他の妖怪よりずっと強いのだということになってしまうが、この話では違う。そのあたりがいいところなんだろう。
 代々続く巫女の家系なのだが、どうも最近その超能力が弱まってきているらしく、主人公の代にはとうとう、女子が産まれなかった。それでしかたがないので、先祖が封じた狐の封印を解いてボディガードにしよう、というのが第一章の話。
 この第一章では主人公の兄弟を狙う悪い妖怪が出てきたりして、狐はもちろんそれを首尾よく撃退するわけだが、驚いたのは、そこで本当に話が終わってしまったところだ。さらに強い黒幕の存在がほのめかされるでもなく、ただ単に、悪い妖怪を一匹退けた。それで終わってしまうのである。
 第一章で話が終わってしまったのだから、そのあとはもう、狐と一緒に街で暮らす、その様子を描くしかない。へーと思っていたら、ほんとにそのままずっと、だらだらと生活してやんの。
 大きな危機が訪れるでもなく、スラップスティックというかハートウォーミングというか、それ系の話が展開する。
 問題は、わたしがそれに気づかなかったことだ。
 やっぱり『うしおととら』だし、敵が出るの?とか、狐が妖力を駆使して戦うの?とかずっと考えていた。それが間違いだったのである。
 ずいぶんがんばって読んできたつもりなのだが、いまだにこういうのを読むと戸惑ってしまう。さすがに金賞受賞作品、おもしろいとは思うのだが。
 つまりこれは、キャラクターの動きを見るための作品なのである。なにか深いテーマが、ないとはいわない(まああるのだ)が、第一の目標はキャラクターを描き出すことなのであり、そのキャラクターを通じて宇宙の真理が解き明かされたりとか、そういうことではないのだ。
 こういう小説を読んでも抵抗を感じない人たちがいるんだろうなとか思いながら、いやたしかに、わたしの知人の中にもそういう読み方をできるだろう人たちがいるのだが、つまりそれは新しい小説の読み方であり描き方なのであって、わたしの方が時代遅れなのかもなあとか考えた。でもやっぱり、わたしには少し難しいのです。


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