2001.6.5 てらしま
私が高校生のころ、バイブルのように繰り返し読んだ本があった。ピーター・ニコルズという人が書いた『科学inSF』という本だ。
今ちょっとgooで調べたのだが、この本、翻訳者は小隅黎らしい。ちょっとショックである。というのは、当時私がやはり繰り返し読んでいた本のひとつに『タイムマシンの作り方』(ブルーバックス)というのがあるのだけど、当時の私は、SFは好きだが小隅黎という人がどんな人かということはまったく知らず、(もちろん宇宙塵の名前も知らなかった)後で知って「世界は狭いのだなあ」と実感したという経験がある。
まあ考えてみればそりゃそうなのかもしれないが、私はなんと小さな世界に生きてきたのだろう。
それは別の話である。
『科学inSF』という本、当時は金もなく、近くの図書館で返しては借りて読んでいたので、実はまだ持っていない。今手元にはないので、懐かしい記憶だけの話になるのだが、これが実にカラフルな図版でさまざまなSFを紹介し、そこに登場する科学技術について、平易な文章で面白く紹介してくれるという、眺めているだけで楽しくなってくるような良書だった(ハズだ)。
『科学inSF』との比較、というのは適切ではないかもしれないが、『新世紀未来科学』も、SFの中の科学を広く扱った本だ。
これまでのこうした本と比べて、とにかく扱っている内容が広い、というのが大きな特徴になっている。こうした本で、情報/通信や生命科学にこれだけのページを割いたものというのはあまりなかったように思う。単に、それが時流というものなのかもしれないけど。
もうひとつの特徴としては、たとえば同じ宇宙船の推進技術に関してのことでも、ワープ航法や反重力など実現のめどがない技術に関しては「ファーアウト物理」という別の項を設けて紹介してあるなど、科学者としての誠意が強く感じられるところ。著者の金子隆一は科学者ではないが、しかし、スタンスとしてそういう立ち方で書かれた本ということだ。
労作だし、参考文献もいちいち紹介してあり、各項も整然と並んでいる。我々SFファンが話題を捜す、ネタを捜す際にはとても役に立つと思う。
これはこれで、ひとつこういう本のあり方だと思うし、現時点での完成形でもあると思うのだ。
だからこれ以上難を言うのは贅沢なのだが、気になった点があった。全体に、地味なのだ。
前述の『科学inSF』は、絵を多く使った、カラー刷りの本だった。その印象が残っているためにそう感じるのかもしれない。読んでいて感じるものは、「不景気さ」とでも言えばいいのか。
白黒刷り、図版の少なさというのは、イチロー並みの守備範囲のためには仕方のないところだろうが、それ以上に、書かれている内容が、SFではなく科学技術そのものに注目されているという点が、この地味さの原因となっているのだと思う。
SFは面白いし、確かに現実の科学も同じくらい面白い。この本はその後者の面白さを求心力としてまとめられているのである。
そのために、「子供が眺めても面白い」という内容ではなくなってしまった。
まあ、それはそれで必要だと思う。役にも立つし楽しめるのだから、注文をつける筋合いのことではないかもしれない。
だから、SFの面白さへの欲求の方は、野田昌宏でも読んで満たすとすればいいか。