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秋天の陽炎
 読書

秋天の陽炎
金子達仁 文藝春秋

2001.6.12 てらしま

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 だいたい、地元でもないのにJ2の大分トリニータなんてチームのことなど、知ったことではないはずなのである。totoを買うときに少しスポーツ紙を見て、幾人かの選手の名前を憶えている程度、というのが私の場合で、たぶん大抵の人にとってもそうではないだろうか。
 もちろん、当初の「トリニティ」という名前の商標がとられていたために、後ろに「大分」の「イタ」をつけて「トリニータ」というチーム名が生まれた、などというエピソードも、この本を読んで初めて知ったのだ。
 1999年シーズン最終節、J2リーグ。大分は昇格争いの渦中にいた。シーズン当初は、チーム関係者の誰も、そんなことは予想していなかった。だがその気負いのなさが幸いし、最終戦を前にしてついにFC東京を追い抜き2位に踊り出た。
 勝てばJ1。他球場で行なわれている東京の結果次第では、引き分けでも昇格。そんな舞台装置の中、最終節モンテディオ山形戦は始まったのだった。
 その一戦の背後で起きていたことを、各選手、監督、審判などへの詳細なインタビューから浮き彫りにしていく。山際淳司「江夏の21球」などを髣髴とさせる、Numberらしいスタイルだ。
 例えばこの最終戦、明らかな、そして決定的な誤審があった。その背後には一体なにがあったのか。大分にとって、山形にとって、それはどういう意味を持っていたのか。それぞれの立場から、そのことが語られていくのだ。
 山際淳司と金子達仁との違いは、金子達仁は人間同士の対立を描いてしまう、というところだ。対立を描く、ということは、ともすれば両者のうちどちらかに主観をおいてしまうということであり、それはジャーナリズムの姿勢としては責められるべきかもしれないことだ。しかし、たぶん金子達仁という人は、取材対象への思い入れを捨てきれないのではないかという気がする。もちろん、それはそれでいいと私は思う。
 ミスジャッジなどの問題の時は特に、それぞれの立場の違いによって、一つの現象がさまざまな見え方に変わってしまう。それは人間が、それぞれに他人と共有できない主観を持っている限り仕方のないことなんだろうけど、そういうところから生まれるどうしようもない対立を描いた作品が、この本なのである。
 試合の結果については、ご存じの通りだ。翌シーズン、FC東京はJ1で、誰もの予想を上回る快進撃。一方大分は、2001年シーズンの現在もまだ、J2にいる。私たち一般のファンからすれば、注目しようとしなければ目に入りもしない一試合。しかしそこには、それぞれの立場と思いがあり、対立があったのだ。
 これは勝者たちの物語ではないし、特別な才能を持った人間たちの物語でもない。しかし、それが日本サッカーのレベルなのであり、J2のレベルなのだ、と言ってしまうことは、この本の登場人物たちにとってあまりに残酷すぎる。


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