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餓狼伝ⅩⅢ
 読書

餓狼伝ⅩⅢ
夢枕獏 FUTABA・NOVELS

2003.3.19 てらしま

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 最近、グレート巽と聞いてアントニオ猪木を連想しなくなった。ではなにを連想するか。あたりまえといえばあたりまえなんだけど、グレート巽を連想するのである。
 絵として浮かんでくるのは、板垣恵介のマンガ版だ。現実のイノキよりも美男子タイプで、もう少し常識の範疇に入る性格をうかがわせる顔。口調は慇懃で、しかしいつでも奥でなにかをたくらんでいる。
 グレート巽のモデルはアントニオ猪木だったはずだ。事実、始めのうちはそのつもりで読んでいたし、違和感なかった。それなのに、今や私の中では、二人はまったく別の人物になってしまった。
 松尾象山についても同様。やはり絵としてはビデオや写真で見た大山倍達の顔ではなく、マンガ版のものが浮かぶ。
 それはつまり、この小説のキャラクターが独自の人格として、いつのまにか二足歩行を始めていたということだろう。
 ベストセラー小説に対して今さらなにをいっているのかとも思うが、しかしこれは重要だ。
 これからも、現実にいる(いた)格闘家をモデルとしてキャラクターが描かれるのは変わらないと思う。だがその扱われ方は変わるだろう。
 事実。本巻に登場した力王山と現実の力道山とは別人なのだ。これは読めばわかる。
 ちなみに、マンガ版とも違う。前巻のあとがきからすると、またストーリーの予定を変更した様子。
 さあ、こうなってくると油断できないのだ。格闘技経験や身体つきの描写を見れば、たいていは「あ、あいつかな」と連想される格闘家が現実にいる。しかし小説の中では、その格闘家たちの人生に、思いもよらない展開が起こったりする。
 そうすると、読んでいるこちらが揺らいでしまう。本当にこのキャラクターのモデルはあのプロレスラーなのか。実はモデルなんかいないんじゃないのか。そんなことを考えてしまうと、キャラクターのイメージが揺らいでしまうのだ。
 あたりまえの小説として、キャラクターはキャラクターだと思って読めばいい。そうは思うのだが、でもどうしたって、知っている格闘家に重ねてしまうのが人情というもの。しかもその格闘家がけっこう好きな選手だったらなおさらだ。
 さて。そんな話はおいといて。
 物語が進む速さは並の小説の五分の一くらい、というのが夢枕獏の特徴の一つだと思う。それでいうと、このシリーズ五冊で普通の長編一冊分くらいのストーリーになる。
 そこでちょっと考えてみた。『餓狼伝』を五冊読むのにさほどの時間はかからないが、その間に何人のキャラクターが登場するのだろう。
 これはけっこう、すごい人数になると思う。普通なら長編1冊で描ききれる数ではない。ではこのキャラクターたちは無駄なのか。ストーリーを追うためにキャラクターを減らし、丹波文七の周辺だけを追っていったら(本巻は10分の1ほどの尺になる)どうなるだろう?
 それはもう『餓狼伝』ではなくなってしまう。これほどの長さでありながら、『餓狼伝』を要約することはできないのだ。
『餓狼伝』に登場するキャラクターはそれぞれが重要だ。しかしストーリーに重要なのではない。キャラクターはキャラクターとして重要なのである。
 キャラクターが見たいから『餓狼伝』を読む。一冊を読むと、だいたい三回くらい、キャラクター対キャラクターの戦いが見れる。それで一度は満足するが、次に続く話が必ずあるので、先が待ち遠しい。
 これはもう小説を読んでいない。感覚としては、スポーツを観戦しているのだ。
 さらに、あえて、現実のスポーツに近いものをあげるなら。あたりまえだ、プロレスである。格闘だからという意味ではない。選手と選手の間の因縁があり、それに基づいてマッチメークが決まっていく、勝敗以外の部分に大きな意味を持たせている、という部分が、エンドレスで続く『餓狼伝』のような小説シリーズに似ている。
 アメリカのプロレス団体WWEは、低俗さとソープオペラで世界一の団体となった。あのショーにおいて、低俗さとソープオペラはどちらも重要だ。どちらも、我々大衆が常に求めるものだから。
『餓狼伝』は、このWWEの方程式と同じものを、さらに高いレベルで持っていると思う。暴力という低俗さは美や宗教感情にまで昇華されている。因縁のソープオペラは、そのキャラクターがおくってきた人生全体にまでおよぶ。
 結論としては、またあたりまえのことだが、『餓狼伝』は良質のプロレス小説だ。現実の、日本のプロレスでは、今では絶対に得られない満足を得られる、ユートピアのプロレスなのである。
 我々はテレビの前に座って、ギリシャ彫刻みたいな男たちの戦いを観戦している。『餓狼伝』を読むというのはそういうことだ。日本ではとっくに失われてしまっていた、しかし最近のブームで、桜庭やボブ・サップや吉田秀彦がとり戻しつつある、「強さ」というファンタジーを見せてくれる。私たち大衆は、いつだってそういうエンターテイメントを求めている。


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