日記はやらないと前に自分でいってた気がするのだけど、ブログ風《ふー》(風でしかなく)のテストに書いてみるかーみたいな。
とはいえ、知人の日記とかブログとかは読んでいるんである。
そうするとときどき、コメントしたくなるわけなのだけど、わたしはどうもコメントというのが苦手で、なぜかあそこに書こうとするとうまく書けなかったりする。
そこで思ったのだ。自分でブログやってればトラックバックできるし、落ちついて自分とこで書けるし、いいかもじゃないか。
……ああ、みんなそうやってブログに堕ちていくんだなあ。
でもトラックバックはどう実装するか考えてるのでまだだったり(いや、だから、自前で作る必要はないんだって)。
という話題を、英-Ran氏のブログで見たんである。
なんか疲れてて眠い時に見ると、コメントしたくなることが多い。それでコメントしたのだが、意味不明のことを書いて荒らしてしまった。反省している。
なので自分のサイトで書いてみようかなと思ったんである。
彼もいうとおり、モラルハザードというのは経済だか保険だかの専門用語らしい。「倫理崩壊」という意味ではない。でもそう思ってしまうのはしかたない。
本当の意味は、これはぜひgoogleで調べてください。おもしろいから。アホみたいにいろんなページがかかります。
そして、混乱してることもよくわかります。「ほんとはこういう意味なんだよー」と書いたページが複数あって、互いに矛盾してたり、しまくり。こりゃ騒ぎたくもなるね。
さらに「モーラルハザード」だか「モラールハザード」だかという言葉もある。こっちの説明もいろいろ出てくるけど、これまたちゃんと理解してないサイトが多いらしく。
だいたい、英語のmoralとmoraleなんて、英語圏の人にとってもe一個の違いでしかないわけで、eというのは英語でもっともありふれた文字なわけで、そんな違いをわざわざ使い分けようなんていう奴が出てくるんだから、日本に入ってきたところでもう混乱や誤解があったということだ。もともと、専門用語としてはまったくできの悪い言葉だったんである。
moralという言葉はたぶん、根本的に、道徳という意味ではない。
たとえ道徳としかいいようがないとしても、そもそもキリスト教の道徳と日本の道徳は、現在はもう表面上似たものになっているが、根本が違う。
人間の意思決定を方向づける要素とか、そういう意味だとわたしは解釈している。(断っておくが、あくまで、語学がとっても苦手なわたしがそう考えているだけだけど)
e一個の違いなんて英語圏の人だって区別してるわけない(と思う)し、moralとmoraleという二つの言葉はほぼ同じ意味と考えていいと思うのだ。
だいたいわたしはボードゲームの人なので、これが倫理だの道徳だのとはまるで違う話だということはわかる。いや、わかってないのかもしれないから、そう理解している。
例えば、トランプの「ババ抜き」で、ババを引いてしまうと不愉快だろうから、ババの裏だけ色を変えて、ストレスのない爽快なゲームを実現しようとしたとする。ってそんなゲームはもう爽快でもなんでもなく、誰もやらないんである。
あるいはスゴロクで、1なんて振ったらストレスがたまるだろうから全部6ということにしようとか。
まあ極端だけど、こういう話だと思っている。倫理が介在する余地はどこにもなく、プレイヤーはそれぞれが最適の行動をとっているだけだとしても、デザイナーが意図したものとは逆の効果を生んでしまうことがあるのだ。
これは実際、ボードゲームにはよくあること。キツいゲームはウケないからダイスを振る場面を増やすのだが、増やしすぎてただの運勝負になっちゃったーみたいなゲームが、よくある。
「これはモラルハザード、これはダメ」という議論はずいぶん活発らしい。のだが、ちゃんと説明されているサイトを読んでも、例として挙げられているのが倫理感の欠如みたいな話だったりする。間違ってはいないのだろうが「誤解を助長しちゃいそうだなあ」という違和感がある。つまりどうしてもみんな、道徳という言葉に引っぱられているのだ。
自分でウェブに文章を書いていると、言葉の無力さを実感してしまうことのほうが多いのだけど、それでもやっぱり、言葉には力がある。そんなことを思ってしまう。
ってつまりわたしは、一つの言葉をめぐる現象としてのモラルハザードに興味があるだけで、本当の意味がどうとか、そういうことはまあ、どっちでもいいや。