遊星ゲームズ
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ゲームとは生存競争?
 日記

自分の意見を超大雑把に書きますと:遺伝競争というゲームにおいて適応して勝利してきた我々は、必然的に「ゲームっぽい構造を見たら思わず戦って勝とうとしてしまう」ようになっている(そういう行動特性を持った奴ほど勝つ確率が高く、勝った奴の方が生き残りやすい)。

 に反応。
 特に異論もないけどひとつ。「野球中継の途中で台所に立つ」ことができてしまう女性については説明しきれない気がした。(差別的な意図はないつもり。というかそういうのが女性の強さだと誰かがいってた)

 それはともかく。
 生命の生存競争は、ゲームとして非常におもしろい。なにしろ、空力で空を飛ぶ動物だの何百メートルも根を伸ばす植物だのウイルスだのと、これほど多様な展開を見せることのできるゲームはなかなかないのである。理想的なゲームのひとつであるといえる。
 で、これがなぜ可能かというと、つきつめれば、この宇宙の物理が単純ではないからだ。基本相互作用が4種類あり、それぞれがまったく違うロジックで記述されているからなのである。
 遺伝は化学反応で、これの基礎はもちろん電磁相互作用とか強い力とか弱い力とか。こうして高い密度で活発な反応が起きるためには、たくさんの粒子が集まる必要があって、それは重力で実現している。
 重力と強い力弱い力が全部あるから太陽は燃えることができ、地球の化学反応にエネルギーを供給している。ちょっとスケールを落とせば、そういういろいろのせいで、水は凍ると体積が増える。おかげで海に対流が起こり、地表での化学反応を複雑にする。
 みたいなつまり、「究極のゲームは宇宙!」ですよ先生。

 ……なにもそこまで話を広げなくたっていいんだが。
 ゲームの本質はプエルトリコにあるで書いた理屈の発想のもとは、思えばそんなところにあった気もする。
 と思うと、ゲームがおもしろいために必要なロジックの種類は4種類でいいということになりはしないか。プレイヤー人数に関係ある気がしてたけど、そうではないということか。

 あー、しかし、ヴァイオレット・モサラとかが登場して万物理論が作られちゃうとひとつになっちゃうのかな。スタープレっクスに出てきたみたいな新しい力が発見されないとも限らないし。
 SFかボードゲームかどっちかにしろよとはいまわたしも思った。


[2006.12.12 02:12]つつい :
巨視的な世界の複雑性を語るのに、強い力、弱い力を持ち出すのは如何かと思う。
法則の単純/複雑と、現象の単純/複雑を混同してはいないかね?
単純な法則の上に、複雑な現象が現れるからこそ、世界は驚きにみちているし、単純なルールから複雑な展開が生まれるから、ゲームは面白いのではないかと私は思う。


[2006.12.12 07:14]てらしま :
 そうは思わないからプエルトリコにあるとかいっちゃうのです。というか、生物の話はそれほど巨視的ではないような。
 では重力だけでゲームが作れるかというと、これは太陽系の形成が例になるわけですが、見てのとおり太陽の一人勝ちです。もはや逆転は不可能な大差がついてます。ルールが単純すぎた。
 単純にすることが悪いとはいいませんが、重力だけではゲームにならないわけで、じゃあどこまで単純にしていいのかという話では。
 まあ、そういうのじゃなくてふつうにメンデルの法則でゲーム作れという話もあるけど。


[2006.12.12 14:55]なかた :
いや、逆転できないほどの差がついてるだけで太陽系における質量集めそのものはゲームとみなせるのは間違いないでしょ? それが面白いゲームになってるかと言われるとNoだろうけど。


[2006.12.12 19:23]つつい :
 果てしなく論点が拡散する予感がするけど、続けましょう。

>生物の話はそれほど巨視的ではないような

 強い力、弱い力なしに生命は存在し得るかというと、多分ノー。でも、生物のスケールから見ると強い力、弱い力は太陽、宇宙放射線、原子核のようなものの中に隠蔽されていて、そのポテンシャルの形がどうなっているかとか、細かいことはどうでもいい。つまり、直接は関係ない。それを
>基本相互作用が4種類あり、それぞれがまったく違うロジックで記述されているから
と書いてしまうのは、電波的だと私は思う。


[2006.12.12 19:33]つつい :
>重力だけでゲームが作れるかというと、これは太陽系の形成が例になるわけですが、見てのとおり太陽の一人勝ちです。

 このゲームはもう終わっていますからね。
 ところで、(この議論の仮定では)太陽は均一な質量分布中の1点からいまの質量を獲得したんですよね。
 では、太陽の勝因を述べることができるでしょうか?
 あるいは、太陽が太陽系の全質量を独占できなかったのはなぜでしょう?
 これらの問は単純でしょうか?

 あるいはこのゲームには太陽的必勝法があるかもしれません。では、このゲームの勝利条件を「星系中2番目の質量を獲得すること、」としても、面白いゲームとはいえないのでしょうか?


[2006.12.12 19:42]つつい :
>太陽系における質量集めそのものはゲームとみなせるのは間違いないでしょ?

 意思の介在する余地がないという点で、まったくゲームとはみなせません。
 星系形成の物理にいくらかの要素を加えてゲームを作ったらどうなるか、という暗黙の仮定がわたしには存在し、てらしまさんにも多分ありますが。
 ただ、私とてらしまさんは「系を記述する法則の複雑性と系の複雑性の関係」および「ゲームのルールの複雑性とゲームの複雑性の関係」を議論しているのであって、ゲームとみなせるかどうかは問うていないと思われます。


[2006.12.14 02:46]てらしま :
 電波というより、わたしがマジメだと思ったら大間違いだという感じですが(笑)
 現実問題として、4つの力から生態系ぽいゲームをデザインするのは不可能ですね。それはそのとおり。もちろんわたしがいってるのは極論なので、反論はつねにあるはずです。

 で。
 人間原理を持ち出すつもりもありませんが、人間の目から見て、ナノメートルくらいからキロメールくらいのスケールで起きる現象だけが特におもしろいわけです。その上も下も単純すぎてつまらない。
 n体問題はたしかにそれなりに複雑で、考えればおもしろいゲームを切り出すこともできるだろうけど、幾度も斬新な逆転が起こっている生態系に比べれば展開に起伏がありません。
 このスケールの問題を生んでいるのは、4つの力のポテンシャルのかたちにあるというべきでしょう(他の説明で本質を語れるとはかぎらないわけだし、まずいってみるにあたっては)。

 ただ、たしかに4つの力から生態系ゲームをデザインすることは現実的じゃないです。もう少し高級なロジックの中にルールとして採用すべきものがあるはずではあります。
 それに「ごちゃごちゃして汚い生態系より簡潔な太陽系のほうがおもしろい」という人もいるのかもしれません(あまり想像できないけど)。


[2006.12.15 00:06]つつい :
 てらしまさんがまじめに言ってるとはまったく思ってないのでご安心を。が、てらしまさんが言ってみている事は極論を超えて暴論だと感じます。

 ナノメートルからキロメートルくらいのスケールの問題が、複雑な様相を呈するのは、n体問題のnが大きいからではないのですか?
 そのオーダーの距離で強い力、弱い力を考えるのはナンセンス、と思います。
 私は「標準模型(のようなもの)で生命を記述するのが現実問題として無理だ」と言いたいのではありません。そのアプローチでは生命の多様性の本質(あいまいな言葉ですみません)に迫れないだろう、というのが私の主張です。

 てらしまさんの主張の核心は、「系の複雑性に関して、系を支配する法則が複雑ならば系の振る舞いが複雑になる(ことが多い)」というものではないかというのが私の推測で、これは理解できます。
 その上で、振る舞いの複雑性を決めるのが法則の複雑性だけではないと思いますよ、と言いたい訳です。
#そろそろ複雑性の定義をしないとダメですね。

余談ですが、私はゲームにするなら生態系より初期太陽系が面白いと思います。
#さらに余談ですが、星系形成のシミュレーションは重力と電磁気力で計算するものだったかと。もちろん、私は重力だけでも面白いゲームにできると思いますが。


[2006.12.15 02:39]てらしま :
 ようやくなにがすれちがってるのか理解しました。わたしは、系の複雑さのことは気にしていないのです。ゲームがおもしろいかどうかの話ですから。
 たぶん、もともとのプエルトリコに対する印象がだいぶ違うんでしょうなあ。

 おもしろさは主観なので、なにをどう感じる人がいても問題になりません。定義もいりませんね。見ればわかります。
 したがって、はっきりいえばもともと、議論が起こるようなエントリではないつもりで書いています。電波でナンセンスだから適当なことも書いてるし(ちなみに議論ゲームとしては、こうした言葉をつかうことはミスチョイスでしょう)。

 とりあえず乱暴に筋をまとめます。

 法則が複雑ならふるまいが複雑になるのはあたりまえで、ここはすでに共通理解になってる。でも複雑だからいいかといえばそんなこともなく、統合できる部分はある。やっぱりできるだけ少なくしたいよなー。

 ここまですでに、この議論では決着がついています。
 ていうかこんな大事なところに共通理解があるんだから、あとはとらえかたと言葉の問題だけです。

>そのアプローチでは生命の多様性の本質(あいまいな言葉ですみません)に迫れないだろう
 そこはすでに認めましたが、わたしの立場は極論(というか常にフィクションに近い)なので、いっておくべきことは
「(迂遠でも)迫れないわけがない」
 です。ちなみに、計算に何兆年かかってもこの立場の人は気にしません。
 もちろんもっと何億倍もいい方法は絶対あるのでそっちを捜すべきでしょう。それはすでに認めました。

>その上で、振る舞いの複雑性を決めるのが法則の複雑性だけではないと思いますよ、と言いたい訳です。
 そこです。たとえば比例関数が百個あって百のリソースをトレードオフするとしたら、これはたぶんひとつに統合できる。システムは複雑だけど無駄があるわけですね。
 というわけなので、ゲームシステムはチューンナップされていなければなりません。そこははじめから認めてる(だから極端にシンプルな暴論をもちだしてるわけで)。
 もちろん余分なルールは省くべきです。で、そうやってチューンした上で、どれだけのルールが残ればおもしろいのかといってるわけです。
(逆に、プレイヤーにとって意味のわかるシステムが必要だから、あえて統合していない場合もありそうだけど余談)
 なので、本当なら魅力的な対案を出してくれないといけません。暴論を暴論だといってもしかたないし。

 こういう神学論争は信仰を吐露するだけで終わっちゃうのであまり好きじゃないのだよなあ。


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