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遊星ゲームズ
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2007/03/05 21:25

XHTML1.1になってみた
 日記

 なにやら、XHTML1.1は<ruby>タグOKらしいじゃないですか。ということでなってみる。

 ところでこういう話題、お客さまにはまったく関係ない話でしてね、なにしろ見た目は変わらないわけだし。
 というわけで恐縮ですが、これは日記なのです。

 っていうか、httpヘッダにapplication/xhtml+xmlって書いてもIEが理解しねーがな。なんかダウンロードしはじめるがなorz
 どうすればいいのかけっきょくよくわからないんだけど、とりあえずhttpヘッダにはtext/htmlと書いとくことにした。
 しかも、本題の<ruby>をレンダリングするのはやっぱりIEだけだったり(そりゃそうだが)。世の中なんでこんなに複雑なのだろう。


[2007.03.07 01:37]てらしま :
 うーん、それにしても、IE6はなにを思ったか互換モードになってるんですなあ。これほんとにひどいバグだなあ。
 xml宣言外せばいいらしいけどやだなあ。
 ほかの解決方法は動的制御しか思いつかないし、それもなんだかなあなので、まあIEなら7を推奨です。


[2007.03.07 02:37]てらしま :
 あ。textareaと一緒で、tableにfont-size:100%と指定したらOKぽい。テーブルのフォントサイズに関しては解決。へー。


2007/03/05 15:29

勝利へ近づこうとしないプレイ
 ゲーム・論考

 それがいいか悪いかは別の話で。そういうプレイを見てしまったときどうするべきかというお話。
 例によって古い話だけど、2ヶ月以上ぶりにmixiのぞいたらそんな話があったのです。

 まあたいていのゲームは「プレイヤー全員が勝利を目指している」ことを前提においてデザインされている。勝利を目指さないプレイヤーがいると、この前提が崩れてしまう。
 その人のせいで負けたから腹が立つとか、そういう問題もあるだろうが、それ以上に、こうしたプレイはホイジンガ(『ホモ・ルーデンス』)のいう「遊び破り(スポイル・スポート)」にあたる。
 遊びにとって、遊び破りはイカサマ師よりもたちが悪い。なぜなら、卓を囲んだメンバーが共同で作りあげているはずの遊びの幻想を壊してしまうから。
(ただし、ゲームのルールとは別の遊びを遊んでいる場合というのはありえるし否定できない)
 イカサマ師は少なくとも、遊びに参加している。遊びの結果を受け入れる心がまえがあるから、イカサマをしてまで勝とうとするのである。
 しかし遊び破りはそうではない。
 遊び破りは、勝敗以前に、遊びそのものを危機に追いやってしまう。それも容易に。
 小説『麻雀放浪記』に登場するキャラクターは誰一人としてゲームのルールを守らない悪人ばかりだが、それでも、どこかに一体感がある。それは、彼らがイカサマ師ではあっても遊び破りではないからだ。
 という話はわき道だが。

 正直感心したのは

後で「あのとき、どうしてこの手を打ったの?」と感想戦する

 という意見だ。まったく正しいやりかたという気がする。オシムのコーチ法でも重要な位置を占めるのが試合後の感想戦という話だし。なにかを習得する方法として、実に理に適っていると思う。
 ただ、これでこちらの意図が伝わるとは限らない。たぶんみんな感じていることだろう。

 よく思うのは「勝利を目指す」という概念自体があまり一般的じゃないんじゃないかということ。
 言葉として理解できても、人と競争をするという概念が意識の中に形成できているとは限らない。
 その場の誰より早く勝利条件を満たす、高い勝利得点を獲得する、という、いってみればそれだけのことだけど、考えてみれば、日常生活の中でこうした思考を必要とする場面は少ないんじゃないか。むしろ、ゲームをしても常に「目立たない無難な手」を捜してしまう人も多い、のかもしれない。

 ひとつ、読んでて思いあたったことがあった。わたしも、とあるサークルで、ゲーム後にいわれたことがあるのである。「このときどうしてこうしたの」みたいなことを。
 ああ、あれは、遠まわしになにか反省を促されていたんだなあと。
 もちろん、こういわれたら必ずそうだということではなくて。むしろ、もちろん、そうでないことのほうが多い。純粋に、感想戦は常に有意義だし、ゲームのあとには必ずやることにしてもいいというのが個人的な意見だ。
 しかしあのときは、特殊な雰囲気というか視線というか、そういうものがあったから気になっていた。
 わたしとしては当然、自分なりに勝利を目指す一手だったわけだけど。
 たぶんあのとき、わたしはその場の遊び破りになってしまっていたんだろう。おそらくは、そのサークルが求める「お仕事」の基準を無視してしまったのだと思う(わりとそういうところのあるメンバーがいた記憶がある)。
 おもしろいのは、こうした経験が負けたときに限らないということだ。勝ってさえ、遊び破りになってしまうこともあるんである。

 まあしかし、いちプレイヤーとしては実際のところ、こんなことは気にしてもしかたない。
 同じ「勝利を目指す」でもメンバーによって意味が違う。それは具体的には「お仕事」が求められるかどうかなどに顕れる。
 ……そんなの、何度もプレイしている相手でなきゃわかるわけないし。
 これは複数の人間が集まっている以上しかたのないこと。卓による意識の違いなんて、気にしていたらゲームなんてできない。それにたぶん、完全に順応してしまったら勝てないだろう。
 全部にあわせることは不可能だし、最終的には、明確な自分の基準を持っているしかないと思ってみたりもする。

 またわき道でした。話を戻すと、
 極端にいえば
「道を伸ばすことに勝利以上の魅力を感じさせてしまうカタンが悪い」
 を結論としてしまうこともできるし、そうだと思うし(ぉ

 しかしそれじゃあアレなので、解決方法を考えてみると、けっきょく

  • 「勝利を目指す」ことに魅力があるかどうか

 ということになる。遊び破りを減らしたければ、そのゲームで勝利することの魅力をアピールする必要がある。
 カタンでいえば
「勝つことは道を伸ばすよりも楽しい」
 と、そのことをはっきりとアピールしなければならない。実はこれ、いわれなければわからないことだと思う。
 確実な方法とはとてもいえないけど、たぶん他にどうしようもない。なにしろ他人の意識の問題だ。解決策を考えるなら、とりあえずは地道な方法しかない。

 最長交易路のないカタンをやってみるというのもいいかもしれないけど、よほどの仲間内でない限りあまり現実的じゃない。
 効果がありそうな方法としては、賞品を出すとか。
 あるいは、上にも書いた「常に感想戦をする」というのもこれまた地道だが、いい方法だと思う。


2007/02/21 23:00

カタンロボ(カプコンスタンダード版)
 日記

 なんとなくカプコン版スタンダードカタンを買ってみた。カタン持ってなかったんですよそういえば。

catanrobo まずやることはもちろんこれを作ってみること。せっかくだからカプコン版らしく緑で 。

 いやー、作りづらいのなんの。
 建物の下に丸いでっぱりがありまして、ゲームするときはこのでっぱりがボードの穴にぴたりとはまるというわけだけど、ロボット作るには実にジャマ。おかげで、なんか隙間が空いちゃってます。
 そしてこの顔……。なんか先行者みたいだ。
 いや反対向ければいいんだけど。

 ちなみに、ドイツ製の木製コマだとこんな感じtoカタンロボ
 実に安定感があります。

 で、いろいろ考えたんですが……
catanrobo
 こんなもんかなあ。

 しかし、これ大変なんです。なにしろ、ドイツ版の木と違ってプラスチックは軽い。あと端が平らじゃないから、道がまっすぐ立ってくれない。
 あんまりこっちに熱中しても迷惑なので、ゲーム中に作るのはおすすめしません。

 あ、家5個使ってるからゲーム中には作れないのか……。


2008.10.25 08:17 bisco :
あまりの格好よさに吹きました。その発想に脱帽。
機会があれば僕も作りたいと思います。


2007/02/18 17:24

タイトル画像作ってみたり……
 日記

 そもそもここはなんのサイトなんだっけとか悩みつつ謎のタイトルイメージを作ってみたらもっと悩みが深くなってみたり。なに一つサイトの内容をあらわしてないなー。


2007/02/17 19:04

バグダッドの盗賊
 ボードゲーム

2007.02.17 19:04 てらしま
バグダッドの盗賊
Der Dieb von Bagdad
2006年
exact
Thorsten Gimmler
2-4人(4人)
60分
thx to play:game

 宮殿が6個あり、そこには盗み出すべき宝が積まれている。
 プレイヤーは盗賊団のリーダー。部下たちを宮殿に送りこみ、宝物を盗み出す。しかしこの宝、けっこうな大物らしく、どれも一人では運べないのである。宝には運び出すために必要な人数が書かれていて、それだけの人数を宮殿に集める必要がある。
 宮殿には門番がいる。しかしこの門番、黒い色の奴以外は、実は盗賊団の一味なのだ。仲間の盗賊を導くために送りこまれているのである。

bagudaddonotouzoku.jpg

 そうした舞台設定があり。
 プレイヤーはカードを使って、自分の盗賊と門番を移動させる。自分の色の門番がいる宮殿には盗賊を送りこむことができるし、宝を運び出すこともできる。
 門番が少ない宮殿ほど、盗賊を送りこむのはたやすい。具体的には、消費するカードの枚数が少なくてすむ。
 ちなみにこのカード、要するに宮殿の色である。ある宮殿に盗賊を移動したければ、その宮殿の色のカードを規定枚数消費しなければならない。そして補充されるのはもちろん山札から、ランダムである。
 基本的にはそんなゲーム。
 ただし、これがなぜだかよくわからないのだが、自分の門番しかいない宮殿では盗みをはたらくことができない。
 手番にすることは、カードを消費してコマを投入したり移動したりすること。その結果どこかの宮殿で規定人数を超えれば、宝物をゲットできる。
 そして手札補充。そのターンなにもしていなければ、1枚多く補充することができたりもする。
 すべての宝物がなくなったらゲーム終了。もちろん、一番多く盗み出した盗賊団の勝利である。

 手札は毎ターン規定枚数が補充されるが、1ターンに使用できる枚数に上限はない。そして手札の補充枚数は、そのターンなにもしなければ1枚多い。つまり、できるだけなにもせずにカードをためてから動いたほうが有利である。
 しかし、宝物のほうは、早く手に入れるほど運び出すコストが小さい。
 そのあたりのバランスを見極めて、いいタイミングで効率よく動くことを目指すゲーム……ということに、理屈ではなるのだが。
 このゲーム、インタラクションが非常に大きい。6個しかない宮殿で4人のプレイヤーのコマが動き回っているわけだし、一人の行動で盤面をがらりと変えることができてしまう。
 宮殿の門番の人数が1人変わると「その宮殿に盗賊を一人送りこむためのコスト」がカード1枚増える。やってみればわかるけど、これは大変な違いなのだ。つまり、上家のちょっとした気まぐれで致命的なダメージを受けることがありうる。というか必ずある。
 しかも、1ターンのアクションに制限がない。
 いくら計画を立てていても、上家の行動で台無しになる。計画がほとんど無意味なのだ。
 資源の産出量に差はないわけだし、基本的には、ミスをすればするほど勝利から遠くなっていくゲームだ。もっとも効率よく行動したプレイヤーが勝利する。
 インタラクションが強いと書いたが、だからといって他人を邪魔できるわけではない。どこかの宮殿をブロックしても、トップのプレイヤーがその色を狙っているとは限らないし、その色のカードを持っているとも限らない。
 それ以上にこのゲーム「行動しなければ1枚多く補充できる」のである。他人を攻撃するために行動するというのは、そのために使用するカードの枚数も含めて、非常に大きなロスになる。現実的に、なにかのついででなければ不可能だろう。
 インタラクションは強いが、狙ってやっているわけではない。どんな行動をとっても、プレイヤーが意識できないところで、他人に非常に大きな影響があるのである。
 結果的には、補充カードの色という乱数とインタラクションの強さが、相乗効果を生んで混沌を増している。他プレイヤーの選択を乱数と同等のものにしてしまっている。ルールを単純にしようとしたがための弊害だろうが、そのあたりは評価できない点だ。

 だがまあ、なにしろ1ターンでいくら行動してもいいのだ。他人の行動はインタラクションではなく乱数なのだと割りきれば「この手札と盤面でもっとも効率のよい行動」をパズル的に考える(あるいは、盤面がさらに悪くなることを見こんでもまだ動かないほうがいいと考えるか)、そういう種類のゲームにはなるだろう。実際、それほど悪いゲームではないとは思う。

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