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わたしは虚無を月に聴く
 読書

わたしは虚無を月に聴く
上遠野浩平 徳間デュアル文庫

2001.9.3 てらしま

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 いつもけなすくせに新刊が出ると必ず買ってるんだから、それは要するにファンってことか、とか思う。実際、小説としちゃあ欠点は多くあると思うし、タイトルも、なんともかっこわるい。それでもなにか惹かれるものがあって、つい読んでしまっているのである。
 読みやすいというのが一番大きな特徴だといえるだろうと思う。要するに、読者(少なくとも私)の期待を裏切るようなことはきっと書かれていないだろう、と思えてしまうのである。
 だから、ちょっとつまらないな、と感じても安心して読み飛ばしてしまえるし、それで物語の理解に支障が起こることもたぶんない。私は普段、どうしても文章を一字一句読んでしまうために速読ができないのだが、上遠野浩平を読むときだけはかなり速い。
 この本は、同じデュアル文庫の『僕らは虚空に夜を視る』、「少年の時間」の一編「鉄仮面をめぐる論議」などと同じ(もっと言えば、上遠野作品は全部同じ世界ということになるようだが)世界を舞台としている。その中でも、月面上を舞台とした話を集めた、短編集である。
 この世界では人類とその「天敵」虚空牙との戦いがもうずっと続いていて、もう地球圏はかなり危ない、という設定になっているのだけど、それはともかくとして、前作『僕らは~』から続いているのは、バーチャルリアリティの世界を現実と信じている女子高生がこの世界の真実を知る、というプロット。「この世界は実は~かも……」というのは万人に共通する感覚で、それをあつかった作品も多くある。だから真新しさは特にないんだけど、そういうところもやっぱり先に書いた読みやすさの一因になっている。
 少し話はずれるのだが、最近『ガンパレードマーチ』とかを見ていて、日本人の感覚で普通に「SFを作ろう」と思ったときにできあがってくる世界観というのはこういうものなのかもしれない、と思う。
 この世界は本当ではないかもしれない、という話は実際、なぜか多い。日本SFは昔からディックが好きだし。
 それは、この世界から逃避したいという欲求が社会に浸透していることの証明にも見えるし、そういうものではなぜか、「本当の世界はもっと厳しい」みたいな話になることが多いのは、人々が現実に生き甲斐をもてていないことを表しているのだと思う。
 SFを書こう、と思ったときに始めに考えるのはやっぱり異世界なんだろう。そして、日本で異世界が果たす役割というものは、生き甲斐をもてない現実からの逃避なのだ。
 と、そういうことをふまえて、この本ではそこに、作者上遠野浩平なりの答えが明確に与えられている。それもなんか現代っぽくて、悪く言えば意外性がない。だがその分、つまり読みやすいのだ。


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