いわずとしれた傑作。もうなんつーか、見ただけで傑作である。
ボード、駒、タイル、すべてにおいて手抜きがない。ゲームシステムも含め、デザインにおいてやれることはすべてやったという感じだ。
ゲームは、二つの大河の間の肥沃な大地に、いくつもの王国が現れては滅びる様子を描いたもの。農業、商業、宗教、国家の4色のタイルが盤面に配置されていくことでそれを表している。
この4色に対応した4つずつの「リーダー駒」なるものを、各プレイヤーは持っている。これはタイルと同じように盤面に配置できるのだが、一つの王国(タイルのかたまり)には、4色のリーダーがそれぞれ一つずつしか存在できない。
もし二つ目のリーダーが現れたら「内戦」。同じ色のリーダーがいる他の国と接触してしまったら「戦争」が起こる。
考えてみればさほど難しいルールではない。しかしここから生まれるゲームの展開は多彩だ。
戦争で国が荒廃したり、また復興したり、大帝国ができあがったり。始めのうちは小競り合いという感じだった戦争が、終盤には大戦争に発展したり。突然クーデターが起こったり。
そういった、たぶん千年以上の歴史の流れが、ボード上に再現される。しかもそれが非常にドラマチックなのだ。ゲームの展開そのものがまず楽しい、そういう種類のゲームである。
大河ゲームである。プレイヤーの立場はよくわからないが、視点は神のもの。大河文明の勃興を上空から見おろし、宗教やら経済やらによって動いていく人々を眺めている。中の人間からすればそれは歴史そのものなのだろうが、神の視点からは、いわゆる箱庭なのである。
その神であるプレイヤーが、4種類の勢力のリーダーを担当し得点を稼ぐ目的のもとにプレイすることによって、歴史が展開していくわけだ。ゲームでしかできないダイナミズムで、物語が生まれていく。
これはゲームのために作られた世界ではない。それならば、プレイヤーは明確な誰かの視点を持っているはずと思う。例えば金とか、名誉とか、勝利点に明確な意味があるわけでもない。
大河流域の歴史をダイナミックに表現する、それこそがこのゲームのテーマだろう。ゲームという表現メディアを使って、文明の興亡をシミュレートしているのだ。
そしてそれは、見事に達成されている。ゲームだからこそできる表現方法で。やるたびに違う歴史が現れ、あるときは大戦争が起こり、あるときは大王国に内乱の陰謀が渦巻き、そういったさまざまなストーリーを描き出す。プレイヤーは勝利に向かってプレイするだけだが、その結果は一つのストーリーを持っている。
だから傍目から見ていても楽しい。
もちろん、いろいろな戦い方をでき常に一発逆転を狙えるゲームバランスも秀逸だ。
これがデザインされたのは、偶然だったのではないかとさえ思う。なんとなくだが、クニツィアらしくない気もするし。人の手で作られたとは思えないほどの、傑作なのである。しかし、傑作になりうるルールだからこそボードや駒には最上のものを用意しようとした、そこはさすがクニツィアだ。