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ディアスポラ
 読書

ディアスポラ
グレッグ・イーガン ハヤカワ文庫SF

2006.08.08 00:29 てらしま

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 わたし自身の好みでいえば『宇宙消失』よりも『順列都市』が好きだ。同じように『万物理論』よりも『ディアスポラ』が好き、ということになるだろうか。
 なぜなら……なぜだろう。人間を描くよりもまずSFだから、かなあ。

 この上もないほどわかりにくい話なので、大まかなストーリーをなにかに例えようと思ったら、該当するSF作品が山ほどあがった。
 一部を書いてみれば、
・『果てしなき流れの果てに』
・『遥かなる地球の歌』
・9桁(×α)スケールが違う『宇宙のステルヴィア』
 ほか。
 もちろんここに『順列都市』を加えるべきだし、それこそ『宇宙都市』シリーズとか『タウ・ゼロ』とか。読んでないけど、もっとまんまの『人類播種計画』というSFもあった。
 ……まあ、そういう話だ。
 そういういろいろを踏み台にして、いまできるSFの究極を目指しちゃった、んじゃなかろうか。

 イーガンというのはたぶんまじめな人で、というかおそらく、小説を書くことに、いまだにあまり慣れていない人なんだろうと思うんだが、人間を描きはじめるとちょっと赤裸々になりすぎてしまうところがある。
 そのあたりが出てくるとちょっと白けてしまうのが毎度のことだったんだけど。この本ではそういうことがほとんどなかった。
 というのはだ。
 登場人物が全員、もはや人間なのかどうかあやしいレベルまで進化してしまっているからである。

 遺伝子工学で人魚になったり翼がついたりなんてのは、あたりまえどころかすでに時代遅れ。
 ここですでに、ほとんどのスーパーヒーローをとおりこしたわけだが。
 主人公たちは、ナノマシンで意識を走査して電脳空間に「移入」したソフトウェアなのである。
 このナノマシンも、なんの制限もないし暴走もしない、完全に開発された技術。ほんとに分子一個一個を、自在に作ってしまう。
 これが、この世界では単なる道具。
 現在、ある程度以上「ハード」なSFが想定する道具の中で、最強装備のひとつがナノマシン。それも、当然そこにあるものとして登場する。
 そういう、ほとんどなんでもできるハードウェアがつくる情報空間に、棲んでいるソフトウェアが、主人公たちである。
 自分自身の精神をくみかえることなんかあたりまえにやるし、それどころか、けっこう平気で自分のコピーを作ったりもする。
 なにしろソフトウェアなわけで、しかも母体のハードウェアは不滅のナノマシンが構成してるわけだから、これはもうほとんど完全に不死だ。
 ここまでが、なんの説明もなくあたりまえとして存在する世界である。
 非常にわかりづらい。

 はじめから、ほとんど理解不能なのである。
 冒頭からもう大変だ。言葉は難しすぎてまったく理解できないし、イメージもいまの人間の想像力を超えている。
 もちろん感情移入なんかできないし、そもそも描写されている風景を思い浮かべることすらできない。
 それがだんだんできてきたかなと思ったら、さらに想像不能な風景が現れてしまったり。なにが5次元空間だ。
 しかし、そのころには読むほうも麻痺してきている。想像はできないのだが、ついていけるようになっていたりはする。
 しかし、誰がそこまで読むんだ。……それはもちろん、SFファンしかいないわけだが。

 はじめのうちは、1日単位で時間が進む。1日といったって、ソフトウェアにとっての1日は長い。現実世界の数千倍の密度がありそうだ。
 しかしそれが次第に加速していき、というか幾何級数的に加速していき、最後には大変なことになる。
 話のスケールもそれにつれて、大変なことになっていく。
 なにしろ、ほとんどSF人類史上最強に近い、普通どう考えたって死なないこいつらが、大変な危機におちいるのだから大変。

 まあしかし、極めつけのSFといっていいんじゃなかろうか。これはいろんな意味で。実際、ここまでやっちゃったSFをわたしは知らない。
 さすがに読む人は選ぶだろうが、わたしみたいな奴はもちろんこういうのも好きである。

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