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ボードゲームが語れること
 ゲーム・論考

 わたし個人の意見としては、ボードゲームがなにか他のものの役に立つ必要はない。
 頭がよくなるかもしれないし、コミュニケーションツールとして役に立つこともあるかもしれないけれど。でも、じゃあそういう効果がなければゲームをしちゃいけないのか? もちろんそんなことはない。ゲームはゲームである。ただそれだけのことで充分な意味がある。
 そうした前提の上で、それでもボードゲームの効能の第一を挙げるなら、それはたぶん「勝つためにしなければならないことを学べる」だろうと思う。そう、つまり、ゲームだから。

 でもね。

http://blog.livedoor.jp/carrom/archives/51383891.html - キャロムボードのある部屋

「どうして、戦争をしちゃいけないの?」という問いに、きっと戦争の悲惨さや、道徳論を説いたりするだろう。
「どうして、戦争するの?」あるいは、「どうしてもっと戦争しないの?」という問いには、不機嫌に「そんなことは考えることではない。」と、叱りつけるかもしれない。
が、現実に戦争がある以上、大人は子どもに説明する必要がある。

 こういう記事を読むと「確かに」と思ってしまったりもする。ボードゲームがそうしたことを語れるなら、それはそれでクールかもしれないという気もする。
 なんというか、ビートルズ世代の子供だからか、平和を祈る言葉というのはムダにかっこいいと感じてしまったりもする。
 戦争をするボードゲームはたくさんある。それらのゲームが「なぜ戦争をしてはいけないのか」を語れるだろうか。


 以前も何度か書いていることだけど。
 ボードゲーム、というかマルチゲームでは、攻撃の選択をすることは基本的にまちがいである。
 攻撃のためには多くの場合、コストがかかる。
 以前も使った例だけど。「1のコストを支払い誰かに2のダメージを与える」という選択を選んだ場合。
 この結果もっとも得をしたのは、攻撃をしたプレイヤーでもされたプレイヤーでもない。第三者プレイヤーが、労せずして得をすることになる。つまり、損だ。多くの局面で、この選択はできれば選びたくない。
 というか、生産性を上げるための投資として使えたはずの資源をつかって生産以外の行動をしたのだから、普通に損はしている。
「どうして、戦争をしちゃいけないの?」 これはルールにもよるが、多くのゲームから語れることとして、ひとつの答えを与えることができる。
「損だから」
 である。

 この問いを発する人が求めている言葉はそんなものではないかもしれない。もっと道徳的な、きれいな言葉をほしがっているかもしれない。
 でも、それはボードゲームが語れることの範囲を超えているわけで。

※1 戦争のほうが得なゲームもある。もっとスマートなシステムでは「基本的に内政のほうが得だけど状況による」という微妙なバランスを作ることに成功している。

 ただし、これには「そういうルールだったら」という前提が必要になる。
 このあたりはゲームにより千差万別なので、ここでは語りきれないけど。理由はともかく、多くのゲームで採用されているルールではそうだということだけ書いておく。
 だから、ここでいえるのは「多くのボードゲームでは、戦争は損だ」というところまでだ(※1)。


 では次の問。「どうして、戦争するの?」についてはどうだろう。
 ゲーム的に、プレイヤーが他のプレイヤーを攻撃する理由には、だいたい↓のようなものがありうる。

  • a) 2位以下のプレイヤーがトップの足をとめ、自分が逆転する可能性を高めるため。
  • b) トップのプレイヤーが他のプレイヤーの足をとめ、自分がトップのままゲーム終了を迎える可能性を高めるため。
  • c) 自分がトップになる可能性を失ったプレイヤーが、攻撃の選択をする。
     攻撃を受けたために可能性を失ったプレイヤーが「報復」する場合などもこれに含む。
  • d) その選択の結果得られるものが大きい。
     上に書いたように、多くのゲームの多くの局面で、戦争は最適手でない。でもゲームによるため、ここでは残しておく。
    (戦争の結果、他人を攻撃すると同時に、他の選択肢よりも多くの得点を得られるゲームがありうる)
  • e) 他にすることがない。
     手札が攻撃カード1枚しかないとか、ゲームではありえることだ。
     また、そもそも戦争をテーマにした、戦争しかできないゲームも多数ある。
  • f) 充分に考慮していない。
     プレイヤーはつねに最適手を選べるわけではない、というのもあるが、それだけではない。ゲームのルールを理解してないとか、となりのカードを出してしまったなどの単純なプレイミスとか。あるいはそもそも勝利を目指しておらず、嫌いな人がいたから気分で攻撃とかもある。

 さて、これらのうち、現実の国家関係にもあてはまるものはあるだろうか。
 現実にはゲーム終了条件がない。したがって、勝利はない。だから「ゲーム終了時でのトップ」を目指すための行動は除外しよう。
 a)、b)はこれで除外される。
「勝利」はなくても「敗北」はありえるかもしれない。少なくとも、国家をプレイヤーとするなら、国家の消滅は絶対に受け容れがたい結末であり、敗北かもしれない。
 だから、c)は文章を変えて残す。

  • c') どの選択肢を選んでも敗北(受け容れがたい結果)の可能性が高いプレイヤーが、攻撃の選択をする。

 上で「多くのボードゲームでは、戦争は損だ」といった。これはたぶん現実でもそう。数字を示さないから理由が希薄だけど、たぶんそうだと思う。
 とはいえ、ちょっと根拠が足りない。d)は残しておこう。現に、現実の戦争の話としては「戦争のほうが得だった」という時代もあったかもしれない。いまはたぶん損だろうけど。
 またe)は、選択肢の多い現実ではまずない。
 というわけで、残ったものは下の3つ。

  • どの選択肢を選んでも敗北(受け容れがたい結果)の可能性が高いプレイヤーが、攻撃の選択をする。
  • その選択の結果得られるものが大きい。
  • 充分に考慮していない。

 これが、ボードゲームが語ることのできる「どうして、戦争するの?」の答え。の一例というあたりではないかと思う。

「どの選択肢を選んでも敗北する可能性がある」については、回避する方法がある。他のプレイヤーが援助して、敗北する可能性が低い選択肢を作ってやればいい。
 ただこれは、次の「充分に考慮していない」がありうるために、ゲームでもなかなかうまくいかない。
 敗北を回避できる援助をしたはずでも、相手はそれに気づかないかもしれない。あるいは、一言に「敗北」といってもいろいろある。基準が人によって大きく違うことがありうるんである。
 相手が「充分に考慮していない」可能性がある。と思ってしまえば、これはもう、なにが起こっても不思議がない。だから、損でも戦争に備えて、軍備に投資しておきたくなる。

 とか。そういう演繹もできる。


※2 コミュニケーションゲームの類で、これを語れるゲームもありうるかもしれない。

 ゲームは、道徳的とは限らない。上の話でいえば「得なら戦争をしてもいいのか」ということになってしまう。
 それについては、ボードゲームが語れることとしては否定できない(※2)。
 戦争が得というルールのゲームもありうるし、実際にある。
 けれど、道徳とかなんだとかは他にまかせておけばいい。ボードゲームが、現実世界の戦争について語れることがあるとするなら、とりあえずは「多くのゲームでは戦争は損」というあたりになるんではないかと思う。

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arn -2009/09/18 22:33
ボードゲームが経済について語れることは結構あると思われ。カタンをやれば自由貿易がプラスサムであることに気付くはずだし、実力がすべてではなく運も重要とか、弱者救済がないゲームは負けた人が取り残されて暴れ始めるとか。


てらしま -2009/09/19 11:01
 そうですねえ。じっさい、自由貿易がプラスサムであることをちゃんと実感するには、カタンは理想的なツールかもしれないと思います。カタンの場合は「だから君とは交渉しない」になるけど(笑)
 戦争と同じで、競争のための行動は効率を損ねてるわけだけど、しかしボードゲームはゲームだから、あえて競争の選択肢を選ぶことになるんだよなあ。
 じっさい、キャッシュフローゲームじゃなくてカタンのほうがよほどいろんなことを語れるよなとかは思います。


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