遊星ゲームズ
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ボードゲームだけがゲームである へのコメント


xenoth -2011/01/05 21:52
私の知る限り、たいていのボードゲームは、雑談やロールプレイ、身振り手振りのノンバーバルコミュニケーションも含めてゲームの楽しみであり、そうした楽しみを誘発するようにデザインされています。これらの楽しみは、ホイジンガ的な遊びの領分です。

ですから、それらを切り捨てたボードゲームデザイン論は、痩せたものになるのではないかと危惧します。
逆に、それらもボードゲームの面白さであり、デザインの一部とするのなら、「ボードゲームだけがゲームである」と限る必要もないでしょう。

ここで必要なのは、線引きではなく、世間一般のゲームの面白さには「ゲーム的ルール的駆け引き」の面白さと、「遊び」の面白さの両方があり、多くのゲームは、それらの混合やインタラクションで出来ているという視点ではないでしょうか。


てらしま -2011/01/05 23:31
 ゲームの定義に関しては「おもしろい」を含む必要はないと思っています。ゲームに関する議論をしょっちゅう混乱させている混同ではないかと。
 少なくとも上で語っている範囲に限れば、おもしろさは関係ありません。おもしろくなくても定義を満たせばゲームです。
 もっといえば、議論の結果ボードゲームが定義から外れたとしてもかまいません。ただ現状、狭義のゲームにもっとも近いのはボードゲームです。

 ゲームの楽しみと遊びの楽しみがあるというのはわたしも賛成です。
 特にボードゲームは、用具やインタフェースの楽しみが大きい場合があります。その部分に関しては、上の文章では議論が足りていませんね。
 楽しさを演出する用具やインタフェースの設計も、もちろんゲームデザインの一部ですが、そこには、ゲームを実現するための個別の技術があると思います。
 ゲームの枠組みで語れない遊びの領域はあるかもしれませんが、少なくともゲームがなんであるかを知っていれば、遊びの中にゲームを組みこむことはできます。
 あるいは、そうしたことを体系的に考え開発できるようになります。ゲーム以外の、上の記事でいえば「遊び」にスピンオフできる技術もあるでしょう。
 なので、狭すぎる定義であっても定義があれば有用ではないのか、というのが上の主張です。
(たぶん、それをすでにやっているアナログゲームデザイナーたちがいると感じています)

「ゲーム」という言葉はどうも扇情的なので、別の言葉にしたらいいのかもしれませんが。


xenoth -2011/01/05 23:55
日常的な言葉の意味での「ゲーム」を考える際、それは面白さと切り離して使うことはできないでしょう。
日常的な言葉の意味としてではなく、専門用語として特定の定義を行うのは自由ですが、その定義を単純にゲームと呼ぶ場合、日常の用語としてのゲームと混同され、それがゲームの本質であるという印象を与え、おっしゃる通り、扇情的になります。

そもそもユールによるゲームの定義は、別に「本当のゲーム」を定義しようという試みではなく、一般に「ゲーム性」とされるものを複数の要素で定義し、その組み合わせで、多くのゲームがカバーできる、という枠組みの話ではありませんでしたっけ?
コンピュータゲームを古典ゲームから排除するのではなく、それらの連続性や関連を調べるための定義である、と、最初に書いてありますよね。


てらしま -2011/01/06 00:13
 ユールの定義はそれでも、ゲームであることを断言できる範囲がだいぶ限られています。むしろ、他の論と比べても狭いほうではないかと。
「ボーダーライン」を含めてさまざまなものの関連を探る手がかりを提供することが意図と思っていますが、その「六つの特徴すべてを備えたゲームとみなされるもの」だけで語れることもあるのでは。というつもりで引用しています。
 たしかに、日常的な意味での「ゲーム」と混同してしまう問題はあるので、他の語なども検討しますが……、そうすると、別の問題として、アナログゲームなんて存在自体がかき消えてしまうという気も(笑)。


xenoth -2011/01/06 01:02
ユールの定義が狭いかどうかですが、例えばコスティキャンの定義だとライフゲームはゲームではありませんが、ユールの定義だと定義「3、4、5」を満たすゲームとして定義されますね。
完全とは言いませんが、巷間ゲームと言われるもののほとんどを、1、2、3、4、5、6のどれかの中に取り込んでいるのは評価できると思います。

、「「六つの特徴すべてを備えたゲームとみなされるもの」だけで語れること」ですが、正直、私はあんまり無いと思っています。が、そのへんは見解の相違ですし、あると思う方が良い議論を積み重ねていただければ是非参考にしたいと思います。

アナログゲームがかき消えるかどうかですが、「ボードゲームだけがゲームだ」と煽ったほうが個人的にはまずいと思います。「あぁボードゲーム好きな人は、心が狭い、理屈屋なんだな。近づくのよそう」と思われてしまう可能性が高いでしょうから。
それよりはむしろ、他のゲームをやってる人に伝わる形で、ボードゲームの面白さを語ったほうがいい。
そのためには、「独自性」だけでなく、「共通点」を意識したほうがいいと思います。


てらしま -2011/01/06 02:48
 独自性を強調する気も、ボードゲームだけを特別視する気もありませんしそう書いたつもりです。ボーダーラインを認めればかなり多くのものを含めることも、はじめから書いてますし、だからこそあえてユールをとりあげていることは先ほども書いたとおりです。それを否定したつもりはありませんし、むしろそれはそれで大いに議論してください。
 しかしまあ、多少タイトルが挑発的だったようで。
 共通点については話がすり変わっているところがありますが、それはともかく。むしろ本来、共通点を捜しているのはこちらです。上の文章はだいぶ雑に書いているので、それが問題といわれればしかたないでしょう。


xenoth -2011/01/06 09:09
タイトルやゲームという用語だけに限らず、たとえば「コンピュータゲーマーたちが知らないことを、ボードゲーマーはすでに知っているのである」というのは、独自性の主張であり、特別視ではないでしょうか?

実際には、ボードゲームの特定あるいは全部のゲーム性と共通するゲーム性を持つコンピューターゲームは、いくらでもあるわけです。
またユールの条件を満たすゲーム性においても、ボードゲームでないと実装できない面白さがあるのと同様に、コンピューターゲームでないと実装できない面白さもあるわけです。


てらしま -2011/01/06 10:16
 たしかにコンピュータゲームを否定しているようにも読める文章です。否定はしていないのですが。コンピュータゲームでなくボードゲームの話をしているという意味で、たしかに独自性を強く主張しているということになりますか。ボードゲームに可能なことを示しただけで特別視となるとなかなか難しいところではありますが。
 コンピュータゲームにしかできないことがある、もちろんです。それはみんな知っていて、前提といっていいでしょう。現にその点については語られすぎるほど語られています。むしろコンピュータがうらやましくてしかたない(ただ、本質的にコンピュータゲームのみからゲームを語るのは不可能ですが)。
 より語られていないのはボードゲームのほうです。アナログゲームの中でさえ、少ないといっていいです。コンピュータゲームに立脚した優れた論が、必ずボードゲームに言及している、せざるをえないのに。
 そのあたりの事情と目的が抜けているというご指摘かと理解します。


ynakata -2011/01/06 12:17
>コンピュータゲームに立脚した優れた論が、必ずボードゲームに言及している、せざるをえない
というのは、ビデオゲームよりはボードゲームの方が構造がシンプルなため、ゲームに必要な構造を論じるのにとても適しているためだと考えます。ゲームというものを考える上で、ボードゲームというのはとても論じやすいサンプルです。

ビデオゲームはとても複雑です。たとえば、身体性の問題。コントローラーを介するところで論理的な構造が複雑化してしまいます。そのようなハードルがビデオゲームにはいくつも用意されている(だからこそビデオゲームは楽しくなるのですけれども)。そこで「楽しい」と感じる構造には、必ずしもゲームでない構造も含まれている。だから議論が混乱しやすくなってしまいます。

ボードゲームはその点とても単純です。究極的には論理しか存在していないと言ってもいい。ライフゲームが論理構造だけで構成された、とても扱いやすい事例であるのと同様に。
だから、ボードゲームを論じることで見えてくるものを、ビデオゲームの議論から「引き算」することで、ビデオゲームのビデオゲームらしい部分が見えてくるのだと思います。


x -2011/01/06 12:59
この記事のタイトル、センセーショナルとかじゃなくて、本文からはボードゲームがゲームであることの十分条件であるとしか言えないのに、仮定と結論が逆になってるので恐ろしく馬鹿っぽく見えるんですよね。
書いてる内容には大体同意できるのですが。


てらしま -2011/01/06 19:44
>xさん
 そうお読みいただくのが一番いい(笑)


xenoth -2011/01/13 14:58
>terrasima
>なんかレスが。 http://d.hatena.ne.jp/xenoth/20110111 はい、いいんですよそれで。ただ、いわゆる文系の人はしばしば、理系の人に「答えを捜すな」といってしまうんです。そこには抵抗せざるをえないので、線引きがほしいかな。 11:12 AM Jan 12th

ツイッターで、こちらのように言及いただきましたが、おっしゃることがよくわかりません。
「いいんですよ、それで」とは何が良いのでしょうか?
そして、文系の人が理系の人に「答えをさがすな」というのは、どういう状況でしょうか?
私は上記のようなことを書いておりますが、「答えをさがすな」という文系(?)の方からの圧力を感じたことはありません。
また複数のパラメーターの関数として表せるものを、である/でないのデジタルに線引きするのは、理系の発想ではないと考えています。


てらしま -2011/01/13 21:10
 そうした立場もあっていいと思うし、そうした立場からの意見もあっていい。という意味です。どうお読みになられたか存じませんが、皮肉でもなんでもなくそのとおりの意味です。記事おもしろかったですよ。

上記のゲーム理論は、xenothが「あれはゲームじゃない、これはゲームじゃない、これが真のゲームだ」というタイプの論考に接して「そんな風に分けても意味ないんじゃね?」という感想を持っているこが前提となっています。

 これはわたしが上の記事を書いた動機に近いところでもあるので。きっと大して違わないことを指摘してると思いますけどね。
 じっさい、自分の好きなゲームを含めるためにくりかえされている定義論争よりは、おもしろさのほうを語る立場のほうが有益でしょう。
 わたしはすでに、あなたの主張をほぼすべて受けいれています。それを忘れないでいただきたい。「である/でないのデジタルに線引き」が目的ではないと、すでにいったはずです。
 ただボードゲームにも語れることがあって、それはごく狭義の、おそらく同意を得られるであろう明確な定義から作れるモデルの中で展開される現象のことだ、ということです。それが、あなたのいうおもしろさの一部を説明できるかもしれません。
 そうした立場がわたしの考える科学ですが。これを否定するのは「答えを捜すな」と同義です。
 という意味です。
 喧嘩を売りたいのでなければ、もはやとうてい意味のある議論には思えません。たぶん同じことをいってますよ。


xenoth -2011/01/13 22:45

 ただボードゲームにも語れることがあって、それはごく狭義の、おそらく同意を得られるであろう明確な定義から作れるモデルの中で展開される現象のことだ、ということです。それが、あなたのいうおもしろさの一部を説明できるかもしれません。

操作的な定義は、いくらでも好きな定義ができるので、定義する意味、目的を最初に書くのが重要です。
ボードゲームならではの面白さを研究する」ことが目的なら、そのように書けばよいでしょう。
「ゲームの面白さは様々と思うが、種類の違う面白さが混在している状況では、議論が難しいので、まずはボードゲームの面白さを研究したいと思う。そのために、ここではまず、二人以上のプレイヤーが明文化されたルールの元で遊び明確に勝敗が決るタイプのゲームを対象とする」と言えば済むことです。

>そうした立場がわたしの考える科学ですが。これを否定するのは「答えを捜すな」と同義です。

ボードゲーム特有の面白さを研究することは誰も否定していません。
「「である/でないのデジタルに線引き」が目的ではない」というのは、てらしまさんの意図であったかもしれませんが、実際には。

ボードゲームだけがゲームである
とか
しかしだ。それでは、ゲーム定義は不可能なのか? あるいは無意味なのか?
とか
そうしたことを、ボードゲーマーたちはすでに、実感として感じとってさえいるだろう。コンピュータゲーマーたちが知らないことを、ボードゲーマーはすでに知っているのである。
といったようなことを言われている。
これではデジタルな定義を採用し、コンピューターゲーマーvsボードゲーマーというありもしない対立の構図を作っているようにしか読めません。

批判が起きるとしたら、そうした部分であって、「いわゆる文系の人はしばしば、理系の人に「答えを捜すな」といってしまう」というのは、的外れではないかと思うわけです。


てらしま -2011/01/13 23:05
 そのとおりです。そこはコメントの議論で先日からやっていることですね。


てらしま -2011/01/14 00:44
 わたしの記事については新しいご指摘もないし、なにもありませんが。もうひとつあったのは、xenothさんの記事のほうですか。

 じっさいには、ゲーム性に関する議論のひとつの大きな勢力として「議論なんかするな、楽しければいいじゃん」というものがあります。そうした議論の拒否、論理の拒否が個人的にとても嫌いです。
「いわゆる文系」とはずいぶん乱暴なくくりでしたが。
 xenothさんの記事がそうだとは思わないしむしろ逆でしょう。ただあのままでは「楽しければいいじゃん」派と区別するための線を引くことが困難だと感じました。
 ここで議論すべきことではありませんが。そういう感想があったということです。もし問題があれば、ご自身のブログででもフォローしてください。

 あともうひとつ。せっかくおもしろいことを書かれている記事なのに、文中のわたしへの批判で品位を落とされているのはたいへん忍びないです。


xenoth -2011/01/14 02:38

 あともうひとつ。せっかくおもしろいことを書かれている記事なのに、文中のわたしへの批判で品位を落とされているのはたいへん忍びないです。

文中に、てらしまさんへの批判を入れた意図はありませんでした。そう読めたとしたら申し訳ありません。

一部のボードゲームを前提にした理論が、ボードゲームのルール完全性を前提にするが故に、ルール的な自己実現ばかりを重視して、時に自己表現や共有といったルール外の曖昧な要素を「ゲームでないもの」として切り捨てるような態度を見せかねないことに対する危惧でもあります。

おそらく、これについてのことだと思いますが、このような議論をされる方は、たくさんおりまして、私の継続的な問題意識になっております。
てらしまさんとはこちらのコメントの対談の上で、そうではない、という合意が得られたのでそのように考えておりました。
記事自体はてらしまさんとの対話の中で思いついたことであり影響されているのは確かですが、一般論として書きその旨をはぶいたため、おっしゃるような誤解の余地を生んだかもしれません。それについては申し訳ない。

ただあのままでは「楽しければいいじゃん」派と区別するための線を引くことが困難だと感じました。
 ここで議論すべきことではありませんが。そういう感想があったということです。もし問題があれば、ご自身のブログででもフォローしてください。

ありがとうございます。机上の空論を否定するあまりに、建設的な考察すら否定する場合があることについては私も問題を感じております。
そのあたりは日記のほうで何度もネタにしておりまして、たとえば最近だとこちらになります。
http://d.hatena.ne.jp/xenoth/20101201/p2
そこも含めて、「議論が悪いのではなく、机上の空論や、イデオロギーを隠して押し付けるタイプの議論が問題である」と様々な機会で主張しているつもりです。


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