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ボードゲームの宣教師たち
 ゲーム・論考

 以前から思っていたことなんだけど。ボードゲーマーって「ボードゲーム界の発展」とか「プレイヤーの増加」とか、そういうことをよく口にする。と思う。
 表題に「宣教師」と書いたのはそういう意味だ。別に宗教とは関係ない。
 例えばアニメ好きな人が「みんなアニメ見ようぜ!」などとというだろうか。いやまあいうかもしれないのだけど、ボードゲーマーほど頻繁にいうかなあ。
 なんでだろうな、と考えてみると、もっともらしい理由はいくつか思いつくのだけど。

  • ボードゲームは一人で遊べないから

 とてももっともらしい。
 例えばなにもないところからいきなりボードゲームを知った人が、買ったゲームを遊ぼうと思ったら、まずは友人たちに教え説得しなければならない。多かれ少なかれそういう経験をしたことのあるユーザがかなりの数いるだろう。
 仲間を増やさなければ自分が遊べない。ボードゲームの特性だ。

 あとは、こんなのもありそうだと思う。

  • 普通の人に話しても伝わらない

 普通の人に「ボードゲームが好きです」といっても、さっぱり話が通じないだろう。「人生ゲームですか」「桃鉄ですか」ならかなり上等な反応。「えっなに?」くらいがほとんどだろう。ほとんどの人にとって、そもそも脳の中にある語彙データベースに登録されていない語だ。
 だから、自分のことをわかってもらうためにはまず、ボードゲームとはなんなのかを説明しなければならない。この説明が「布教」とつながる。

 そんな理由があるかもしれなくて、それでかどうか、ボードゲーマーには宣教師が多い気がする。あくまで自分の印象なんだけど。


 さて、それを前提として。このためにおもしろい現象が起きている気がする。それは、ゲームを見るときに「布教しやすさ」が評価されているんじゃないかということだ。
 例えばゲームについて、こんな感想を聞くことがある。

  • シンプルでいい!
  • すぐ終わっていい!
  • 初回から楽しめる!

 こうした言葉のおもしろいところは、ゲームとしてのよさにあまり触れていないところだ。もちろん加味されているはずだが、言葉からはまるで、ゲームのよさは関係ないかのように見える。
 この背景には、もしかして「布教しやすさ」があったりしないだろうか。

 供給されるゲーム自体も、そんな環境に適応してしまっていると思う。日本だけの話じゃなくて。
 近年、といってもけっこう前からだけど、よく見る奴で「拡大再生産っぽいのにじっさいには拡大しないゲーム」というのがある。
 拡大するということは差がつくということで、経験者と初心者との間で得点に大きな差がついてしまう。圧倒的に負けた初心者はそのゲームをつまらないと思うかもしれない。そりゃ勝てそうな方がおもしろいだろうし。大差がついてしまうゲームは布教に向かない。
 または、なにをやっても勝利点が入り差がつかないゲーム。これも同じだ。見た目上差がつかず、上級者が初心者と遊びやすい。あるいは、そもそも「上級者」が発生しえない。これも多い。
 布教しやすければいいから、複数回やりこんだときのおもしろさは考慮しなくてもいい。数回遊べば飽きるようなゲームでも、初回プレイがおもしろければ問題ない。
 このあたり、布教される側がそういうものを求めるケースは当然あるのだけど、同時に、布教する側の都合でもあると思うのだ。

 ゲームを買いまくるタイプのマニアは、ひとつひとつのゲームをやりこまない。たぶんほとんどのゲームを1回かそれ未満しか遊んでいない。やりこむ時間がないのだ。そしてたぶん、そうしたマニアたちが宣教師の役をやっている。
 いわゆるリプレイ派とノンリプレイ派の話なのだけど、これ、業界全体から見れば、ノンリプレイ派が多いほうが都合がいい。
 一生カタンをやり続けるプレイヤーばかりでは市場が回らない。ボードゲームを買いまくるノンリプレイ派のマニアが、ゲーム会などで初心者相手に1回遊ぶ。そうした環境に特化したゲームが増えるのは、市場の動きとして自然なのかもしれない。
 ボードゲームの世界が大きくなったのはたしかなのだ。種類も増え、プレイヤーも増えた。そこで「宣教師」たちが果たした役割は小さくないだろう。
 でも、例えば、わたしやあなたが宣教師になる必要はないのではないか。
「布教」は最終目標ではないはずだ。布教しやすさがそのままゲームの評価となる、わたしが感じているような状況が本当にあるとして、それはゲームを楽しんでいるといえるのか?
 じっさいのところ、自分だってゲームを買うほうだし、布教っぽいことをしないわけではない。「軽くていいね!」なんて自分だってたまにいう。だからこそ、ときどきこんなことをふと考えたりする。


 やりこみについては。
「初心者と楽しめなくなってしまうからやりこまない」
 と公言する人さえいる。けっこういる。
 この言葉、すごいと思う。自分の楽しみの一部を犠牲にしてしまっているのだから。
 こうなると、そもそもボードゲームってなんだったっけという話になる。
 相手が誰でも楽しめる、そういう遊びの側面は確かにあるだろう。一方、ゲームである以上、やりこみや技術の向上を楽しむ遊びの側面もある。これ、両者はそもそもなんか違う遊びを遊んでる。
 どちらがいいという話ではないよね。
「軽くていい」は「重いから悪い」ではない。
「初回から楽しめる」は「1回でわからないから駄目」ではない。
 ただ、布教が大目標になりすぎると歪むなあと思う。
 ゲームを買いまくるマニアがノンリプレイ派になるのは自然なことだ。一方、あまり買わない初心者と呼ばれる人がゲームを1個買ったら、それは飽きるほどやりこむわけで。そんな人の遊びは純粋かもなあと思ったりする。マニア側の人間の端くれとして。


seeryu -2013/12/11 10:24
大変面白い話、読んでいただきました。
差支えがなければ、このエッセイを韓国語に翻訳して韓国のボードゲーマーにも見せてやりたいのですが、よろしいでしょうか。
もし良かったら、horrible2000@msn.com でご返事お願いします。


てらしま -2013/12/11 21:56
ありがとうございます。
はい。問題ありません。


阿部勝利 -2013/12/19 11:42
山口の阿部勝利と申します。
カルチャーセンター等で、ボードゲーム教室を
やっているボードゲーム宣教師です(笑)
確かについ、ライトなゲームを紹介しがちです。
(ピットとか、オバケキャッチ)

宣教師の楽しみの一つは、インストの喜びです。

「こんなゲームに出会えてよかった!」

とそう言って頂けると本当に嬉しくなります。

いつも、投稿楽しみにしています。
失礼しました。


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