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ドミニオン
 ボードゲーム

2008/12/08 21:26 てらしま

 どうでもいいが、記事書きづらいゲームだな(笑) あちこちで議論がありすぎて。
 くわしいことはぐぐるとたくさん出てくるので、そっち読んだほうがいいと思う。
 わたしまだプレイ数回なのでね。bswで何百回もプレイしてる人たちはいるので、戦略面とかはそちらに譲るとして。

 さて、ぐぐってると紹介するのもアホらしくなってくるくらい話題のゲームなのだが。
(そしてこのサイトを比較的上位に見つけちゃって、無駄なSEO対策を後悔するんだが)
 たしかに、間違いなくおもしろいです。

 とりあえす自分のデッキと墓地と手札があって。
 自分のデッキからカードを引いて、使ったら自分の墓地に捨てる。トレカゲースタイルの、そういうゲーム。
 で、プエルトリコみたいに、場に特殊能力を持ったカードが10種類出ている。
 それをお金で獲得して生産力を増やし、またお金を稼いで得点を買う。
 お金はもちろん必要だけど、どこかで得点にシフトしないといけない。そういうロジック自体は、大変見慣れたボードゲームと同じ。
 でも違うのは、獲得したカードが「デッキの中に入る」というところだ。

 自分の前に並べておくとか、そういうことじゃない。カードを獲得したら、まず墓地に置く。デッキが尽きたらシャッフルしなおすので、獲得したカードはそのあとで使えるようになる。
「自分の場」という要素は省略されている。とにかく、全部デッキの中に混ざってしまう。お金カードも、アクションカードも全部だ。
 得点カードも、獲得したらデッキに混ざる。
 得点カードは、ゲーム中にはなんの価値もない。引いてもがっかりなんだが、しかし勝つためには得点が必要になる。

 とそういうゲーム。


 余分な要素を徹底的に排除してみせた、このデザインがまずすばらしい。極限まで熟考されたデザインだ。
 自分のデッキと手札があるトレカゲースタイルで、余分な要素というのは場のこと。
 ふつうなら、クリーチャーを召喚したり土地をセットしたりして、場にカードを並べる。しかしドミニオンは、そこを省略してしまった。
 こうして見せられてみるとたしかに、場はなくてもいい。パーマネントとソーサリーと、「ターゲットをとる」とかとらないとか、たしかに、「場」という要素があるせいで、多くの複雑なルールが生まれていた。
 このゲームにあるのは、「アクション」と「購入」のみ。
「アクション」はアクションカードの効果を解決することで、基本的に1ターンに1回。
「購入」はお金カードを使ってカードを購入すること。これも1ターンに1回。
 これまでの常識にとらわれず、熟考を重ね、必要な要素だけを抽出した結果だ。

 トレカゲースタイルのこのシステムが、ここまでシンプルになりうるとは、おそらく誰も考えていなかった。
 こうしてゲームとして提示されてしまうと、簡単なことに見える。むしろ、ずっと前から知っていたシステムとさえ思えてしまう。
 あまりにもきれいにまとめられているがために、約束されていたシステムとさえ見えてしまう。
 だが、もちろんそうではない。
 発明はなんでもそうだ。こういうのを発見するのは簡単ではない。拍手である。


 さてしかし、こうなると、アクションカードの出来がゲームを左右することになってしまうんである。
 なにしろこのゲーム、「どのアクションカードを購入するか」という点にしかゲームとしての選択がない。
 また、このシステムの上では、どんなアクションカードでも作れてしまう。Jester's CapがあってもHymn to Tourachがあっても、まったく不思議はなかった。
 ドミニオンのデザイナーはここで、冒険をした。

 たとえばそのひとつが、「村」というカードである。
 このカードの効果は、

  • 「カードを1枚引く。アクションが2回増える」

 というもの。
 通常、アクションは1回のみなので、このカードを使うことで2回に増えることになる。

 身体にコンボデッキの血が流れている人なら、すぐにわかったと思う。
 このカードだけならどうということはないのだ。
 だが、横に「カードを3枚引く」というカードがあったらどうか。
 それが「鍛冶屋」というカードである。
 つまり。「村」「鍛冶屋」とプレイしたら、手札が3枚増えてアクションが1回残るんである。
 ということは、ここでさらに「村」をプレイして……。

 冒険と書いたのはこういうことだ。
 アクションが連鎖する作りにしないことは、簡単にできるのだ。それなのにこのデザイナーは、あえて「村」というカードを作った。
 デザイナーの立場に立って考えてみればいい。ゲームバランスをとる上で、こんなに厄介なカードがあるか? それでもあえて、「村」を採用したということになる。

 理由はようするに、それが楽しそうだから。だろう。
 じっさい、これほど多くのプレイヤーがハマってしまっているのは、「なんかいろいろできそう」なところが楽しいからだと思う。


 で思い出したのは昔の格闘ゲーム。
 ごめんなさいわからない例えで。
 しかもここから先は、うっかり意味不明な専門用語が入ってしまったりします。意味わからない方のほうが多いと思いますが……てきとうにそんなもんだと思っていただければ。

 ごぞんじのとおり、『ストリートファイターⅡ』は大ブームになった。それでその後、SNKとか他のメーカーがいろんな格闘ゲームを出したわけだが、やっぱり最先端をいっていたのは、いつもカプコンだった。
 で数年後に『ヴァンパイア』が出て。格闘ゲームがもっとも輝いていたころの話だ。

 このゲームで、どのキャラクターでも例外なく使えるコンボ

  • 弱パンチ→弱キック→中パンチ→中キック→強パンチ→強キック

 いわゆる「チェーンコンボ」というのが発明された。
 これは大ヒットで、わかりやすい上に戦略の幅が大きく広がった。

 さてその先。
 チェーンコンボをさらに推し進めたコンボ「エリアルレイブ」が導入されたのが、『マーヴルスーパーヒーローズ』である。
(その前に、『X-MEN』が一部導入していた)
 エリアルレイブというのはなにかというと、「相手を攻撃で吹っ飛ばして、ジャンプで追いかけて空中コンボ」というもの。
 地上でチェーンコンボがつながり、ふっ飛ばしたあと空中で、もう一度チェーンコンボがつながる。
 もちろん途中でキャンセルして必殺技につなげたり(このゲームにはもうひとつ、「すべての通常攻撃は必殺技でキャンセルできる」という非常識なルールがある)、ダッシュや2段ジャンプが絡んだり、もうとにかくいろんなことができる。

 これが、ドミニオンの「村」と同じだなと、思ったんである。
 バランスをとらなければならないデザイナーとしては、こんなもの、ないほうが楽に決まっている。そりゃそうだ。
 だが、あったほうが楽しいじゃないか?
 それこそ「無限コンボ」や「即死コンボ」が、できそうな気がするくらいのほうが楽しい。
 その代わり、そういう方針でゲームを作るには、本当に長時間のテストプレイが必要だと思う。しかも、あくまで「村」というカードを残すためには、そういう決意が必要だ。
 ドミニオンのデザイナーはそれをやったんだと、感じるんである。

「カードが500枚!」も同じだ。ただ単純に、たくさんあったほうが楽しそうじゃないか。
 25種類あるアクションカードから10種類だけを使う、というのは、ゲームが難しくなりすぎてしまわないための、これまたうまい解決策だったんじゃなかろうか。
 でもこれだって、ゲームを成立させるためだけなら、25種類も用意する必要はなかった。
 いろんなカードの相互作用で変なことがおきてしまうリスクを、あえて犯していることになる。


 また格闘ゲームの話。
 実は『マーヴルスーパーヒーローズ』には、無限コンボも即死コンボもあったんである。

 当時、いまでは考えられないようなクオリティの攻略をしていたゲーメストという雑誌が、徹底的に攻略し、数々の無限コンボが開拓されていた。
 ゲームセンターでは、暗黙の了解として「無限コンボ禁止」となっているところも多かった。だがそうでないゲームセンターでは、スパイダーマンから小足払いを一発喰らったら無限コンボがはじまって負け。本当にそんな世界だった。

 開発チームはもちろん、そういう可能性もあるとわかっていたはずだ。しかしあえて、無限コンボができるかもしれない調整のまま世に送り出したんである。
 システムでガチガチに固めたゲームもいいが、このゲームはそうじゃない。このゲームはとにかく楽しそうな方向を目指すと、そういう決意を、たしかに感じるゲームだった。
 一発喰らっただけで負けてしまうというのは、ゲームとしては失敗かもしれない。
 じっさい、ゲームセンターにいっていきなり即死をやられたら、もうやらないプレイヤーが多いだろう。
 そんなこともあり、まあかなり稼動していたものの、ストリートファイターやヴァンパイアなどと比べたら、大ヒットゲームとはいかなかったようだが。
 しかし、たしかに楽しかった。

 で。
 その後発売された同システムのゲーム『X-MEN VS ストリートファイター』は、無限コンボを持たないキャラクターが数人しかいないというとんでもない出来で……。
 こういう挑戦にリスクがあることがよくわかったわけだが。

 もっともドミニオンには、システム上無限コンボがない。そこはゲームとしての調整だったのだろう。
(使ったカードは即墓地にいくわけではなく、ターン中にデッキが一周しても、ターンが終わるまではデッキにシャッフルされない)
 まあ、本当に即死コンボがあるようなゲームだったら、これほどの人気は獲得できないと思うし。あえて好きという人もいるだろうけど。

 楽しさを優先したデザインだが、デッドラインよりは手前で、踏みとどまることができているんである。


 ただし、そうした挑戦の弊害はもちろんあるはずだ。やっていくうちに見えてくると思う。
 たとえば、これだけたくさんのカードの組みあわせがある以上、「誰も使わないカード」は発生するだろう。数回プレイした段階で、すでに怪しいカードがいくつかあるし。
 即死とはいかないまでも、明らかに強いプレイが出てくるかもしれない。
 組みあわせが多いとはいえ、インタラクションは弱いわけで。インタラクションが弱いということは、一つ戦略が開発されれば、邪魔されないから何度でも再現可能ということになる。

※1 そうならない場合のほうが可能性は高い。とは思う。
 最強作戦があったとしても、その中に数枚の「遊び」があるのなら、その枠になにを入れるかでインタラクションが生まれるから。

 本当に本当の最強作戦が発見されてしまったら。その先はもう、先手が少し有利な引き運ゲーでしかなくなってしまった、そういう可能性も、ないとはいえない。※1

 そういう意味では。
 たとえばストーンエイジは(インタラクションが強いから)何年たっても遊べる可能性が高いが、ドミニオンは1年後に飽きられていても不思議はない。

 とはいえ、ここまでわたしが把握している範囲では、まだまだ楽しめそうだ。よくぞここまで調整した、と思う。
 傑作といっていいのはまちがいない。

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ドミニオンを