遊星ゲームズ
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ドラゴンイヤー
 ボードゲーム

2008.01.08 00:49 てらしま
ドラゴンイヤー
Im Jahr des Drachen
2007年
alea
Stefan Feld
2-5人(4-5人)
2時間
thx to play:game
amazon

 わたしこれ好き。すごいいろんなことやってみたい。けどまあ、「要素多すぎ」とか、「いろいろ複雑すぎ」とか、いう人がいるのなら、そりゃーもうもっともだと思う。

 いろいろ手順が修飾されているが、要するにやっていることはサンクトペテルブルグである。
 整理してみればけっこう明確に、ある種の様式そのもののシステムが切り出せる。わたしが勝手に「街系」と呼んでるゲームだ。

 ここで「街系」と呼んでみているのは、サンクトペテルブルグを代表とする、よく街の名前がタイトルについたゲーム群のこと。
 別に街の名前であることが重要なわけではなくて、ああいう感じのデザイン方法というか、そういうものを共通して持っていればいい。
 なんか獲得できるカードが数種類あって、たぶんそれは、典型的には「職人」「建物」「貴族」とかそういうようなもので。
 それらのカードから、だいたい「お金」「勝利得点」とか、そのあたりのリソースを生産することができて。
 ゲーム中リソースを運用するためにはお金が必要なんだけど、お金は勝利得点ではない。お金をとりすぎると得点が足りなくなるけど、お金を稼いで投資しないと得点の伸びが悪い。
 そのあたりの、バランスとタイミングを見極めるのが重要な要素になっている。
 だいたいそんなゲームだ。

 別にサンクトペテルブルグをもちだすまでもない、ずっと昔のゲームにだって、そういう要素はあった。もちろんあったわけだけど、サンクトペテルブルグのえらいところは、余計な要素を極力省いてみせたことだ。
 おかげで、ああいう種類のゲームのゲノムがずいぶん明らかになったという気がしている。
 で、いまはそのサンクトペテルブルグ以後の時代なのだ。
 サンクトペテルブルグがいったんまとめあげた街系ゲームは、それ以後、サンクトペテルブルグにルールを追加するかたちで再生産されている。

 ……と、まあ少なくともそういうとらえかたはできる。
 このドラゴンイヤーも、サンクトペテルブルグの拡張という解釈が、ひどく素直にあてはまってしまうゲームなのだ。あるいは、サンクトフレームワーク上で実現されたシステムとでもいうべきか。タイトルは街の名前じゃないけど。
 サンクトペテルブルグでは、3種類のカードを獲得できた。「職人」「建物」「貴族」である。
 それが、このドラゴンイヤーでは9種類に増えている。実に9種類だ。なんともまあ。
 サンクトペテルブルグを、そういうふうに拡張したんである。

 いや、わたしの勝手な分類なんてどうでもいいわけだけど。
 少なくとも、そう解釈しておけば、インストを受けるとき混乱しなくてすむかもしれない。なんの心構えもなく説明を受けるには、ちょっと複雑だと思う。


 舞台は中国。
 辰年にはさまざまな災厄が起こることになっていて、それは毎月、10ヶ月にわたって続く。
 大変である。
 災厄は、12枚並べられたイベントタイルというかたちで表現されている。
 1ラウンド1ヶ月。12ラウンドで終了である。(はじめの1月と2月は平和)
 9種類の人物タイルは、それらのイベントや各ターンのアクションに対応して効果を発揮する。
 たとえば「飢饉」イベントを乗りきるためには、食料が必要だ。この食料を獲得するためには「農民」タイルが必要になる。とか。
「モンゴル人の襲来」イベントを乗りきるには「兵士」タイルが必要になるとか。
 9種類全部を毎ラウンド使うのではなく、対応するイベントが発生するタイミングで必要になるわけだ。
 そして、そのイベントが起きる順序は、ゲーム開始時にすでに全部見えている。
「3ヵ月後の疫病に備えて医者を雇わなきゃ」
「あーでもその前に、来月モンゴル人が攻めてくるんだけどどうしよう」
「っていうかこんなときに、皇帝が貢物を要求してる……」
 とかそんなことを、盤上にあふれかえっているさまざまな要素について考える。
 イベントに備えつつ、その合間をぬって、あるいはイベントを利用して得点を稼いでいかなければならない。


 基本的に足りない時間とリソースをなんとかやりくりしていく。イメージはそんな感じ。
 炎上プロジェクトのマネジメントみたいなもんか。

 そう思ってみるとだ。
 これほどの量のリソース、ふつう管理しきれないわけで。というか少なくとも、管理しきれるつもりでデザインしたとはあまり思えないわけで。
 最近教えてもらった言葉だけど、「"マジックナンバーセブン"」とかいうらしい。人が一度に処理できる事柄の数は7個前後なんだそうだ。
(ふだんのゲームプレイにてらしてみると、わたしはたぶん4個くらいまでしか管理してない気もするけど……)
 というか、マジックナンバーセブンの話が本当なら、現実的にゲームにつめこんでいい要素の数が限られてくる。個人差もあるだろうから、だいたい5個くらいまでが限度ということになるのじゃないか。
 それはつまり。
 5個くらいを超える要素を同時に管理しなければならないシステムがあった場合、そこにはそういう意図があるんじゃないか。と考えたくなる。
 管理しきれないということを、デザインの意図として組みこんでいるんじゃないか。

 問題が山積みで、なにをどうしたらいいんだかもうさっぱりで、徹夜続きでノイローゼ寸前で……。
 そういうのを表現したかったのかもしれない。
「いろいろ複雑すぎ」なのも当然。解決しきれない問題の中での混乱こそが、このゲームのテーマとも思えてくる。

 そうすると、ファーストプレイが一番、このゲームの趣旨を経験できるときなのかもしれない。
「全員ファーストプレイ」という状況で、ルールも数箇所間違えてるくらいの場でしか経験できないゲームというのも、あるかもしれない。わたしはやっちゃったのでもうムリだが。


 まったくのところ。
 エレガントなシステムとはいいがたい。でも、だからといってつまらないわけではない。
 余分な要素がないかといえば、おそらくはかなりある。半分以下のサイズまで切りつめることができるだろうし、たしかにたいていは、そうすべきだろうと、わたしも思っている。
 だが、そうして小さくまとめたドラゴンイヤーは、まだドラゴンイヤーだろうか。
 なーんか大げさなこというと。
 このゲームに、たとえば「美しさ」がないかといえば、どうだろう。
「美しいゲーム」の分類には誰も入れない。それはそうだ。
 でも。「混乱」をゲームシステム上に表現するという目的のために、明らかに過剰な要素をあふれさせたこの手法にだ。ある種の美しさが、ないとはいいきれないような気も、少しする。

 もっとも、よく見るゲームと似たようなもんだとわかってしまえば、管理しきれないというわけでもない。数回やれば、切りすてていい要素がわかるし、問題をまとめて整理することもできるようになるだろう。
 というか、「なんとか管理できる」ラインにとどまっていなければ、ゲーマーは逆に離れていきそうな気もする。
 混乱がなくなればもちろん、得点も伸びる。数回やって慣れたプレイヤーには大きなアドバンテージがあるハズ。
 見るからに、いかにもゲーマーズゲームなのである。

 そういうゲームが苦手な人もいる。いっぽう、そういうゲームが好きな人も多い。両者のバランスのあいだにゲームは作られる。
 このゲームは、どう見たってゲーマー寄りに偏っている。
(もっとも、システムにエレガンスを求めるゲーマーもいるし、好みは人それぞれなわけだけど)
 偏ったゲームだからこそ、ゲーマーズゲーム好きにとっては大変楽しい。しばらくパーティーゲーム寄りのものが多かった(わたしの主観)だけに、なんだかもう興奮してしまう。
「疫病と飢饉を無視してみたらどうだろう」
 とか、
「坊主をたくさん集めてみたい!」
 とか、とにかくいろんなことやってみたいのである。なにしろ要素が多すぎなだけに、いろんなことを試せる。

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ドラゴンイヤーを