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髑髏と薔薇
 ボードゲーム

2011/05/19 01:05 てらしま
髑髏と薔薇
Skull & Roses
2011年
Lui-même
Hervé Marly
3~6人
45分
thx to play:game
amazon

 ブラフゲームらしい。近ごろ元気なフランス製で、なにやら海外でも評判が高いらしい。
 そんなことを聞いたので買って、ルールを読んでみたら。ルールを読んだ率直な感想は
「大丈夫かこれ」
 だった。
 シンプルさを求めすぎてなにかを失っちゃったゲームって、しょうじきたくさん見てきてるじゃないすか。いわゆる「ジャンケン」と呼ばれるやつ。ルールを流し読んだだけでは、いかにもそれだったのだけど。
 でもやってみたらおもしろい。むしろ想像を超えてエレガントな美しいルールだったというわけなのだけど。

 日本語タイトルは『髑髏と薔薇』。漢字で。書けねーよこんなの書けるのは暴走族だけだよと思ったなら、それは正しい。暴走族が自分の度胸を示す、乱暴な意地の張り合いがテーマなんである。この日本語タイトルもいい。
 手札として、4枚のタイルを渡される。
 コースター型の、手のひらほどもある大きさのタイルである。
 タイルには「髑髏」と「薔薇」の2種類がある。髑髏が1枚、薔薇が3枚だ。
 まず全員が、手札から1枚を選び自分の前のマットに伏せる。このマットもまた過剰な大きさの豪華な厚紙製なのだけど。
 手番がきたら、さらに手札から1枚を伏せるか「チャレンジ」を宣言する。
 チャレンジというのは「薔薇を何枚めくれるか」というのを宣言する。順番に宣言していき、一番多い数をいったプレイヤーがチャレンジャーとなる。
 で、チャレンジ。まず自分のまえのタイルを全部表向きにする(ここに和訳ルールの誤植があるらしく、全部らしい)。
 次に、他のプレイヤーのタイルを1枚ずつ表向きにしていく。
 宣言した数の薔薇をめくったら成功だ。もし1枚でも髑髏をめくってしまったら、失敗である。
 それだけ? ルールを読んだ感想はそんな感じだった。それでゲームになるの? という。相手が髑髏を置いたか薔薇を置いたかなんて読めるのか。いわゆる「ただのジャンケン」ではないかと、思ったんである。
 しかし、そうではなかったということになる。

 少し理屈をいうと。
「ただのジャンケン」でないためには、相手が伏せたタイルがなんなのかを「読む」ための情報が必要になる。
 この情報というのは、ゲーム上に表現されていないといけない。
 いや「いけない」ということもないのだけど。
 いわゆるコミュニケーションゲームだと思えば、情報ゼロで読み合いをさせてもいいのだが。しかし、情報はあったほうがはるかにおもしろいだろう。これは断言できる。
 このゲームの場合。「読む」ための情報は、相手プレイヤーの宣言。この宣言に意味がないといけないということだ。
 そうでないと全部デタラメをいっていればいいことになり、これもゲームプレイの意味とならない。ただのデタラメは読みようがない。
 プレイヤーの思惑が情報として乗った宣言があり、それをもとに他のプレイヤーが考える。
 そういう前提が、ブラフゲームにはある。
 この『髑髏と薔薇』でいえば。
 チャレンジャーとなるためには、相手よりも高い数を宣言しなければならない。だが高い数をいうほど、失敗のリスクが高まる。チャレンジャーになりたい気持ちが強いほど、高い数をいえる。宣言には常にそういう意味がある。
 加えて、嘘をいうことができる。
 チャレンジャーになったらまず自分のタイルを全部めくる。つまり、自分で髑髏を伏せていたらその時点で失敗だ。でも、髑髏を伏せて宣言してもかまわないのである。次のプレイヤーがそれより大きい数字をいえば、チャレンジャーにならずにすむのだから。
 つまり、髑髏を伏せて宣言し、相手をはめる罠を張るのだ。
 そうして、ひとつひとつの宣言に意味があるから(少なくともありそうに見えるから)、他人の宣言の意味を考えることができる。
 名作『ブラフ』(ライアーズダイス)と、ゲームの構造はまったく同じである。ただしそれを、たった2種類のカードでやったということになる。

「ちょっと少なすぎじゃね?」と思ってしまったところが、わたしが最初にルールを読んだときに感じた「大丈夫か」の原因だろう。
 少なすぎなどではない。むしろ、こちらの浅はかな想定を超えたエレガンスだったんである。
 最初の印象は怪しかったが、やるたびに少しずつ評価を上げている。これすごいんじゃね。

cut4.jpg

てらしま -2011/05/24 18:19
 twitterでご指摘いただいた箇所を修正。手札は5枚ではなく4枚です。
 ありがとうございました。


髑髏と薔薇を