まあじつのところ、ケイラスをやってない。なのであまり語りませんが。
ケイラスといえば、ワーカープレイスメントを世に知らしめた傑作(らしい)。それをより気軽に短時間で終わるよう作りかえたものがこれ。らしい。
プエルトリコに対するサンファン……よりはオリジナルに近そう?
それほどワーカープレイスメントっぽく感じないなと思う。
まず、やることがワーカーの配置だけじゃない。ワーカーを配置する代わりに「手札を引く」なんて行動を選べる。
「建物を建築」もワーカーを使わない。ラウンドの最後に「宮殿の建設」というフェイズがあったりもする。
真性のワーカープレイスメントなら、こうはしないだろう。建物の建設にも手札の補充にも、専用のワーカー配置ボックスを用意しようとするのではないか。
ワーカープレイスメントの真価は、ゲーム上の選択肢をすべてワーカー配置に集約してしまったところにある。
それにより、従来は複雑なステップ処理が必要だったさまざまなリソース変換ロジックを、簡易に組み込めるようになった。
そこまで集約してはじめて、ワーカープレイスメントは魔法のシステムになった。
ケイラスはやっていないけど、どうやら、マグナカルタよりは(真性の)ワーカープレイスメントっぽいようだ。
簡易版であるはずのマグナカルタが、システムとしては洗練の逆をやったということになる。
「いくらでも建設できる」としたほうがストレスが少ない、ということかなあと思う。
ワーカープレイスメントは、いくら資源を持っていようがワーカーの配置で行動を制限される。そこにストレスがあるのかもしれない。
また「意志がなければ得点できない」というのもストレスの要因になっているかもしれない。
得点をとるためのワーカー配置を、プレイヤーの選択でする必要があるのである。プレイヤーは確固たる意志を持って考えなければならない。だから長考が多くなる。
ワーカープレイスメントが「わかりづらい」という人もいるようだ。
憶えることは少ないようになっているシステムなのだが、たぶん、抽象化されすぎているのかもなあと思う。
プログラマの業界で「オブジェクト指向の教育コストが高い」という話と同じだろう。理解してしまえばそれなしでいられなくなるのだが、そうでない人は何年たっても理解しない。
いやこういうのは技術屋の悪いクセなので別のいいかたをするなら「世の中には社会科が得意な人と数学が得意な人がいる」ということだろうと思う。
憶えることが多いほうが理解できる、抽象化されていないほうがわかりやすいという人がいても、不思議はないのかもしれないんである。
ともあれ、ゲームを重くするのは思考時間だ。軽くしたいなら、できるだけ考えなくてすむようにすればいい。
駆け引きを減らし、自由度を減らし、運を増やす。そうすることでゲームは軽くなる。このゲームではそれをやったというわけだ。
その過程で、真性のワーカープレイスメントからは少し外れてしまった。ゲームを1時間以内におさめるためのデザインがこれだったのだろう。
もちろん、どちらがいいという話ではなく。
だから個人的な好みの話になるわけだけど。個人的には、マグナカルタじゃないほうをやろうと思った。
とはいえこれもおもしろい。