服飾業界のメーカーとなり、服を売って稼ぐ。
デザインを手に入れて、必要な材料を買い、作る。作ったらファッションショーに出品する。ファッションショーで高い評価を得るほど、そのコレクションは高く売れる。
ゲームシステムは、いわゆるワーカープレイスメントだ。ワーカーコマをボード上のアクションに置き、それを実行する。個人的には久しぶりに遊んだ感のある、素直なワーカープレイスメントなのだ。
アクションはだいたい次のようなものがある。
基本的にはデザインを手に入れて、必要な材料を買ってきて服を作る。しかし、それだけではなかなか利益が出ない。そこで、外注契約、施設、社員の能力をつかう。
これ、3種類あるのがおもしろいのだけど、要するに特殊能力を持ったカードだ。種類が違うのは、少しづつ用途が違うから。
外注契約は1シーズン(3ヶ月)しか効果が続かない使い捨て。施設は建設にお金がかかり、毎月の維持費もかかる。人は建設費がかからないが、維持費はかかる。
はじめは、服を作ってショーに出展しても赤字だ。だから、銀行で借金したりもする。しかし、いろいろな効果を積み重ねていくと、だんだんと黒字になっていく。拡大再生産の楽しさがある。
ワーカープレイスメントと拡大再生産というわけで、なんかこう、こういう素直なゲームやるとやっぱり楽しかったりする。
ゲームルールはきれいに整理されているとはいいがたい。聞くところによると、旧版はもっと遊びづらかったらしい。タイルの特殊効果がポーランド語のテキストで書かれていたとか。
わたしが遊んだ新版では、効果はすべてアイコンや図になっていた。とはいえやっぱり、もともとテキストだったものを図に置きかえるのは無理がある。整理整頓されたアイコンとはいいがたく、わかりにくいところがわりとあったりする。旧版の話を聞いて、なるほどと思った。
他にも、細かいルール面や調整でそれはどうなんだろうというところが少し出てきたりもする。
とはいえ、なにしろ枠組みは素直なワーカープレイスメントである。全体の把握自体は難しくない。
ワーカープレイスメントは、じつはこういうゲームに向いているのではないか。そんなことを考えた。
まとめきれていない、完成度の低いコンセプトをまとめてしまう、そういうプロジェクトに向いているのではないか。ワーカープレイスメントのような、強力なフレームワークはそういう風に使うのではないか。
完成度の低さからくる魅力のようなものも、ある。スーパーな職人が作る見事なゲームデザインよりも、若手の熱気にあふれる、しかし完成度をみれば高いとはいえない、そういうゲームのほうが、売れてしまったりする。
もちろん諸刃の剣というか、狙ってやるようなことではないと思うけど。そういう熱は、ともすればゲームを破壊してしまう。でも、強力なフレームワークはそれを防ぐために有効なんじゃないか。
ワーカープレイスメントの亜種はもう腐るほどあるわけなのだけど。じっさいのところは、素直なそのまんまのワーカープレイスメントというのは意外と、思うほど多くない。ワーカープレイスメントだといわれているゲームであっても、じつはけっこうアレンジされていて、やっていることは違ったりする。
そういうのを見ていて、ちょっと思うことがある。
ベテランのゲーム職人が、誇りと技術力をもって本気で練り上げ洗練していくと、ワーカープレイスメントじゃなくなってしまうんじゃないか。
本気の完成度っていうのはそういう面があるんじゃないか。
だって、本当にそのゲームにもっともふさわしいシステムが、既存のものとまったく同じだなんてことがあるだろうか。
これは、最近のデッキゲームムーブメントにもいえることなのだろうけど。
逆に、そこまで磨き上げられていないのならば、むしろ既存の強力な枠組みに乗せられたことが結果的に正解になったりするんじゃないか。
(これはデザイナーじゃなく、ユーザの視点からの話だ。デザイナーはそんなこと考えていない。作りたいから作るだけだろう)
プレタポルテはおもしろい。でも、どこか整理されていない感がある。決して破綻しているわけではないのだけど。
素直なワーカープレイスメントのおもしろさと、ルールの微妙な乱雑さを許容しても作ってしまった熱量。それが素直におもしろい。そんな風に感じた。