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マンマミーヤ!
 ボードゲーム

2006.03.08 22:27 てらしま
マンマミーヤ!
MAMMA MIA!
1999年
ABACUSSPIELE
Uwe Rosenberg
2〜5人(4〜5人)
30分

 ピザを作るのがテーマ。なんかこういう、あえて軽いテーマを選んだみたいな感じのものはなんとなく手が伸びないのだが(わたしだけだと思うが)、やってみると、おもしろい。やはり名が知れたゲームにはそれなりのものがある。
 とりあえず、一見には記憶ゲームである。
 各プレイヤーの手札には、トッピングカードとレシピカードがある。トッピングはサラミとかパイナップルとかマッシュルームとか。レシピカードには、ピザを作るために必要なトッピングの枚数が描かれている。
 手番には、このトッピングカードかレシピカードを場に出す。
 この「場に出す」をやるときは、下に重なったカードが見えないようにきちんと重ねなければならない。
 つまり、憶えておけと。記憶ゲームだ。
 レシピを出すときは「いま(・・)場に重なっているトッピングカードでこのレシピが完成するだろうか」を考える。その時点で、下にあるトッピングカードが、レシピカードの条件を満たしているかどうかを考えて、大丈夫と思えばレシピを出す。
 レシピが完成していたかどうかは、この時点ではわからない。あとでチェックするのである。
 手札を山札から補充しながらこれをくりかえしていき、山札が尽きたら、いよいよ調理に入る。
 調理ラウンドでは、場に重ねられているカードを丸ごと裏返し、一枚ずつめくっていく。
 そこでレシピカードが出たら、そこまでに出ていたトッピングカード(と、余っている手札から加えることもできる)を使って、そのレシピを完成させる。
 完成させることができたら、その分のカードを消費して、レシピを出していたプレイヤーに1点。完成させることができなかったら、トッピングカードは消費されずにそのまま場に残され、レシピはプレイヤーのもとに戻ってくる。
 3ラウンドやって、一番多くのピザを完成させた人の勝ちだ。

 たしかに、一見には記憶ゲームだ。だが、やってみるとそうでもないことに気づく。
 もちろん、すべてを記憶していれば有利なのは間違いない。だが、自分がこれから出すレシピがどれなのかを考えておけば、なにも全部を憶える必要はない。レシピに描かれているトッピングの種類は多くないし、それを完成させられるかどうかだけを考えていれば、憶えなければならない部分を絞れる。
 正確に何枚だったかというよりも、むしろ、流れの中でいつ出すかを見極める目のほうが重要だ。と気づく。
 たとえば、他人が出したレシピがもし完成しなければ、トッピングカードは大量に余るわけで、その後にレシピを出したプレイヤーのピザはだいぶ完成しやすくなる。そういうチャンスを、ちゃんと見つけられるかどうか。

 ただし、もちろん、最強のプレイヤーはコンピュータだろう。
 隠れているすべてのカードを、コンピュータは憶えている。完全に記憶することができるのならば、あとはそれなりに適切な評価関数を与えてやれば、簡単に人間を超える強さになると思う。
 コンピュータでなくてもいい。人間でも、この程度ならば苦もなく憶えてしまう人たちはいるだろう。棋譜を始めから終局まで再現できてしまう棋士とか。
 そういう人はもちろん、強いに決まっている。
 だがマンマミーヤ!は、そこまでの記憶力がなくても、むしろ感覚でプレイすることもできるのだ。だからおもしろい。

 これは、多くの人が楽しいと思うゲームの、条件の一つだと思う。
 ただ記憶させられるのではなく、自然に記憶できるようにデザインされていることだ。
 たとえばこのゲームでいえば、レシピカードである。
 レシピは「一種類のトッピングが6枚ともう一種類が1枚」「全種類1枚ずつ」「なんでもいいから15枚」という感じに、それぞれに性格が違う。達成するために重点をおかなければならない要素が、それぞれに違うのである。
 だから、それぞれのレシピカードを別のものとして考えることができる。別々の条件を与えて、チャンスをうかがうことができる。
 同じようなものがたくさんあると人間の脳は「飽きて」しまうが、別々の目的ならば飽きない。
「決められた3種類を3枚ずつ」などの、安易なレシピがあったら、たぶん駄作だった。
 考えてみるといい。
「パイナップルとサラミとペパロニを3枚ずつ」というレシピと「ペパロニとオリーブとサラミが3枚ずつ」というレシピが自分の手札にあったら、どうだろう。けっきょくすべてのトッピングカードの枚数を記憶しなければならなくなってしまうだろうし、たぶんまちがいなく、そんなゲームはつまらない。
 さりげない部分だが、こういう細かいところで傑作と駄作がわかれるのだと思う。

 余談になるけど。
 マジック・ザ・ギャザリングがつまらなくなるときというのは、友好色、対抗色の区別なく多色カードが乱発されてしまったときだ。
 単純に強すぎるカードが登場しがちになるということもあるが、それ以上に、やはりプレイヤーが、色の特色や関係に注目することができなくなってしまうのである。カードがすべて均一に見えてしまい、色の区別がなくなってしまう。輪郭が薄れ、一つ一つに注目することができなくなる。
 チューニングが合っていないラジオのノイズは不快だ。だが、音楽が流れていれば不快ではない。
 では、チューニングを合わせた音とノイズとの間にはどんな差があるのか。
 音が出ていることに変わりはない。違うのは、周波数の分布や、変化のしかただ。ノイズでは、低音から高音まですべての周波数成分がでたらめに強さを変える。音楽はそうではない。
 音の変化から、人間が情報を引き出せるかどうかが違うのだ。
「人間は均一な分布が嫌いなんだ」と、以前友人が論じていた。だから、1D6を使うゲームはつまらないものが多い。まさにそのとおりだと思う。
 均一な分布、つまりノイズからは、情報を引き出せないのである。だからストレスになる。
 ちなみにマジックは、ちょうどいまが「ノイズ」の時期なんだが……。
 これは人間の本能の問題だ。ゲームをおもしろいと感じるのは人間の脳なのである。もしも異星人がいるならば、彼らにはマンマミーヤ!のおもしろさがさっぱりわからないかもしれない。

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マンマミーヤ!を