2006.10.10 21:17 てらしま
新刊が出るたびにすごい勢いでおもしろくなっていく、稀有なシリーズである。一巻を読んで「微妙」とかいっていた立場としては、なんつーかいやまいった。
とにかく文章が俄然うまくなっている。一巻ではおぼつかないところが多すぎだったのに、巻が進むにつれてどんどん読みやすくなり、この巻ではもう貫禄が漂っている。
文章だけではない。ちょっと場面転換がムリヤリだなとか、不必要に同じ表現をくりかえしてしまったりとか、キャラクターがストーリー上の要請から喋っていたりとかそういうのが、はっきりいって一巻には多すぎたのだ。よくこれで受賞したなと思うくらい。
しかし、三巻まできてしまえばもう、そんなものはまるで感じさせない。たぶん、世界観やキャラクターがこなれてきたということだろうとは思うのだが。
読んでる最中は、電撃文庫だなんてことはすっかり忘れてたくらい。
というか、よりいっそうライトノベルからかけ離れたモノになりつつある。
アクションがあるわけでもなし。ネタは相場だし、主人公は少年じゃないし。
少年ジャンプにカイジが載ってるようなものだと思うんだが。もちろんおもしろいんだからいいんだけどさ。だいたい、おもしろいマンガって同じ雑誌に連載されてる他のマンガからは浮きまくってるものだし。
一巻からそうだったのだが、主人公のキャラクターがいい。
この人、切羽詰ったときに感情や気合ではなく商人としての知識と経験に頼る。どうしたらいいかわからないからとりあえず商売になることを考える。
基本的には相手を騙そうがなにをしようが気にしない。世界観が現代だったら犯罪小説になっている。でもこの世界の商人にとってはそれがあたりまえで、周囲の商人たちもそれをわかってるし、利益があるとなればみんな平気で詐欺の片棒を担ぐ。
いまの世の中、そういう考えかたのほうが納得できちゃったりする時代だったりするんだろうと思う。『カイジ』なんかめちゃくちゃおもしろかったわけだし、『ジパング』でも石原莞爾がそんなこといって、草加の理想に説得力ある手段を与えてたりしてたわけで。もちろん、ライブドアだのなんだのの騒ぎがあれだけ加熱するのは、みんなああいう世界にあこがれてるからなのだ。村上みたいに、見るからに人間を捨てちゃった顔になるのはやっぱりごめんだけど。
「最後は愛の力」なんて話は読み飽きてるしもはや白けるだけじゃないか。三十年ほど前の日本かいまの韓国ならともかく、世界一成熟した市場を持ついまの日本の読者であるわたしたちは、ストレートに正論を述べられるだけじゃ納得できないのである。
でもライトノベルはそればっかりやってきて、しかも若い読者向けに、ものすごくわかりやすくそのまんま「愛」って書いちゃったシロモノばっかり、いまだに読まされてるわけなのだが、やっぱりそれじゃものたりない。ていうか飽きた(いやそれはもちろん、わたしの歳が想定読者層よりだいぶ高いからなんだけど)。
金儲けのためにしか動かない、利益のためにはなんでもする商人たちの世界というのは、わたしのようなちょっと年齢の高すぎるライトノベル読みにとっては、待ち望んでいた話だったという気がするんである。
で、そういういろいろの上で語られるあのオチだから、おもしろいんである。
いやもう、この巻あたりになればそろそろはっきりいわなければならないと思うのだが。傑作シリーズだ。