なんとなくサイトの名前変えようと思ってあれしたけど、ゲームマーケット前にすることじゃなかったような気もしますね。
Magicmaker っていう、Steamのインディーゲームを最近やってて。これが大変おもしろいんだけど、別に話題作でもなんでもなく、むしろぜんぜんやってる人いない。それはまあいいんだけど。
いろんな効果を組み合わせて自分だけの魔法を作ろう! っていうゲーム。
たとえば壁に反射するとか、3方向に撃つとか、そういうのを3~4個組み合わせるとオリジナルの魔法ができあがる。
写真は、6方向に撃つやつと途中で5つに分かれるやつを組み合わせた状態。6×5は30。
これを光線にしてみるとこんな感じ。
あるいは、重力に従うようにして壁に反射させると、こうなる。
こういう調子で、好きなように魔法を作れる。
まあありそうなゲームだしじっさいいくつもあるので、このゲームが特別すごいというわけでもなかろうけど。ただ難易度とか自由度とか長さとか、そういうのが全体的に、自分の好みに合っていたのだろう。やっていてとても楽しい。
創発という言葉があって。ゲームの話ではよく出てくる言葉なんだけど、Wikipedia から引用すると
創発(そうはつ、英語:emergence)とは、部分の性質の単純な総和にとどまらない性質が、全体として現れることである。局所的な複数の相互作用が複雑に組織化することで、個別の要素の振る舞いからは予測できないようなシステムが構成される。
|
ということらしい。つまり、言葉だけ有名な「バタフライ効果」とかのカオス理論の話だ。
単純なシステムから複雑な結果が生まれる、このことは、よいゲームの特徴として語られることが多かったりする。
便利な言葉なので、ビジネスとか芸術とかあたりの意識高い人たちが少しずれた使い方してたりしていて、だんだんバズワードに見えてくるのだけど。でもゲームの話ではとても大事なので、誤解を恐れず使うしかない。
あいまいになっちゃうことには理由があって。定義はあっても現象の特定が難しいのだ。たとえばゲームでいえば、ストーリーの分岐を選ぶだけのアドベンチャーゲームはどう考えても創発しないだろう。しかし、その選択で100個ある内部パラメータが変動するとしたらどうなのか。けっきょく結果は選択肢の数しかないのだから、プレイヤーから見たらなにも変わらないけど、創発しているといえないこともないのではないか。あるいは、文字で語られるストーリーがプレイヤーの内面になにか影響を与えるとしたら、それこそ選択肢などなくても創発があるのだと言い張ることもできる。じっさいそういう無理目の議論が、ゲーム界隈ではしょっちゅう語られていて、混乱を招いているところはあるよなあと思うけど。
というややこしい話はあるとした上で。 Magicmaker は創発のゲームだ。わたしが好きなのもまさにそこ。
組み合わせによってはとんでもなく強い魔法ができたりする。ボスも瞬殺できてしまったり、ハメパターンみたいなことも発生したりする。バグに見える振る舞いもけっこうある。
作り手がコントロールしきれていないと思う。でもそれでいい。魔法でなにができてしまってもかまわないと、覚悟してしまったゲームなのだ。インディーでしかありえない作り。そこが楽しい。
自分の場合、ゲームをおもしろいと感じるとき、創発があることは重要な要素になっている。これはいわゆる加点法の評価だ。
でもこれ、いわゆる「バランスが悪い」といわれたらそのとおりというしかないだろう。こちらは減点法の評価。
創発が強すぎるとバランスは崩れる。創発するということは、ゲームデザイナーが意図しない展開も起こりうるということで。「バランス」を求めるならないほうがいいという話になりかねない。欠点を埋めていく作り方では創発をスポイルしていくことになる。
作り手によりしっかりコントロールされた展開を望むプレイヤーも、もちろん多い。
この二律背反って、ゲームにはつねにつきまとっていて。たぶん、ゲーム関連のめんどくさい話の半分くらいはこれじゃないかなあ。みたいなことを、なんか考えた。