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『王への請願』を10面ダイスで遊ぶ
 日記

王への請願』というゲームがある。非常にいいゲームで、昔けっこう流行った。最近日本語版が出て、また遊ぶ機会が増えている。
 遊びやすくリプレイ欲求も高く、いろいろな場面で重宝するタイプのゲームだ。またゲーム史上でも、後にいくつかのフォロワーを生み、ひとつのパラダイムを作ったといっていいかもしれない。その魅力はいまも色あせていない。
 この王への請願について、先日ちょっとおもしろい話を聞いた。6面ダイスの代わりに10面ダイスを使うとおもしろいというのだ。

 背景から説明する必要があると思う。
王への請願』は非常にいいゲームなのだけど、欠点があった。最適解がほぼ決まっているのだ。
 サイコロをいくつか振りそれで役を作る。そういうゲームだ。
 ツーペアとかストレートとか、そうしてできた役に応じ、能力を持ったカードを獲得する。カードを獲得すると、サイコロが増えたり、出目を操作する能力を獲得できたりする。サイコロは1個以上を確定すれば他を振りなおせるというルールもあり、このあたりはGREEDに似ている。
 サイコロが増えれば、さらに獲得できるカードが増えていく。最終的には、7個ものサイコロを使わなければ獲得できない最上級カード「王」までたどりつく。
 サイコロゲームゆえ気楽でプレイしやすいこともあり、一時期はかなりくりかえし遊んでいた。そうするうち、戦略が固定化していったのだ。
 その戦略とは、とにかくサイコロを増やすこと。出目を操作する能力はもちろんあれば便利だけど、そんなことよりも、できるだけ早くサイコロを増やさないと勝負にならない。サイコロを増やす能力は、ほとんどがゾロ目を出すことで獲得できる。だから、全員がまずゾロ目を目指してサイコロを振る。そういうゲームになってしまった。カード獲得の順番もだいたい固定化してしまい、もはやほとんど考えるところがない。
 考えどころがないのでは、これはもうゲームではない。ビンゴかなにかと変わらない。
 ただ、それでも充分おもしろいのがこのゲームの罪深いところだ。なにしろサイコロだから、同じ展開にはならない。普通のゲームなら飽きてやめているだろうけど、このゲームの魅力はそれを許さない。考えどころがなくなっていても、やればちゃんと楽しい。そういう、なにか危険なところのあるゲームなのだった。
 そういう事情が、まず前提としてある。

 そんなことを思っていたのは自分だけではなかったらしく。先日twitterでこのゲームの話をしていたとき、こんなことをいわれた。

 なにそれすごそう。
 6面ダイスだったものを10面に変えるということは、役を作りづらくなるということだ。ごく単純な数学の問題で、確率がだいぶ違う。そうなれば、出目を操作する能力の必要性が上がる。一辺倒にサイコロを増やすだけでは勝てなくなるかもしれない。
 なるほど……。なるほどたしかに、バランスがよくなるかもしれない。これはいいかもしれない。

 そんなわけで、10面ダイスを12個、買ってきた。

ouhenoseigan-12.jpg

 週末にさっそくやってみた。
 感触としては、かなりいいのではないか。
 ゲームの最序盤から、決定的な違いに戸惑うことになる。「農夫」が、取れない。
 6面ダイスバージョンでは、第1手目の絶対のセオリーがこの農夫だった。なにしろサイコロはパワーだ。サイコロが増えることは正義。そして、農夫はもっとも獲得しやすいサイコロなのだ。より高い役ができていたとしても、他のプレイヤーの妨害のため農夫から取る、そういう戦略が横行していた。
 しかし10面になると、そもそも農夫が取れない。狙っても取れる気がしない。
 結果「下女」と「哲学者」の評価が大きく上がる。というより、農夫を狙うリスクが高すぎて、下女や哲学者の役があるときにそれを崩せない。
 初手以外もだいぶ変わった。6面ダイスの場合、操作系能力は使わないか「天文学者」を1枚とる程度だった(天文学者をいつ取るか、それとも取らないかという選択は、それでも少し残っていたのだ)。これが10面ダイスになると、操作系能力の価値がだいぶ上がる。操作系の能力がないと、役を作っていくことができない。最終決戦の結果がゾロ目3個なんてこともわりと起こる。
 6面ダイスでは、操作系能力は1枚使うくらいがせいぜいだったのだけど、10面バージョンでは最低2枚は欲しい。3枚あってもいいかもしれない。
 では、いつ操作系カードを取るのか。もしかしたら、サイコロを増やせる状況でもあえて操作系を取っていく必要があるかもしれない。
 サイコロを増やすか、操作系能力を取るか。そういうジレンマが生まれたということだ。これはたぶん、もともとのゲームデザインの意図に近づいたんじゃないかと思う。より『王への請願』らしいゲームになったとさえいえるんじゃないか。

 ちなみに、いくつかルールを変えた箇所がある。書いておこう。

  • 「出目の合計が20以上」などの条件は、数字を1.5倍に読み替える。
  • 魔術師は、目にかかわらず5つのストレート。錬金術師も同様に、6つのストレート。
  • 「7以上にすることができない」は「11以上」と読み替える。

 自分が遊んだときはこんなルールでやったのだけど。なにしろ勝手ルールなのだから、これが正しいわけでもなんでもない。じっさい、この遊び方を教えてくれたやおや氏のルールとも少し違っていたりする。

 10面ダイスを使う改変は非常によかったのだけど、問題ももちろんある。こんなデタラメをやっているんだから当たり前だ。
 7以上の出目でダイスを出すカードがない。というのはそのひとつ。出目指定でサイコロが増える能力では、最高の「司祭」が6だ。
 ただ、これはこれで「女王」がより強くなったところがいいという面もある。
 ダイス目を操作する能力も、いくつかのカードはもう少し強化する必要があるはずだ。たとえば「下女」の能力は、1~3ではなく1~5であるべきかもしれない。「女官」の能力は、1固定ではなく1~2のほうがいいかもしれない。
 このあたりは、ルールを変更してしまったがために起きた不整合だ。本当なら調整するべきだろう。でもまあ、そこまでやったら新しいゲームを作るのと変わらないし、フェアリールールを逸脱してしまうかな。
 そういう不具合とは別に、(たぶん)本来的なゲームバランスに近づいたために浮き彫りになった、ゲーム自体の欠点というのもあった。
 操作系カードを1~2枚多く取るということは、数ラウンド長くなるということだ。ゲームにかかる時間が少し長くなる。
 加えて、いままでよりも多様な能力を使うことになるため、考慮時間も伸びる。もともと、ダウンタイムはこのゲームの欠点だったのだけど、それがさらに顕著になる。
 このゲームはいままで、ゲームデザインの意図よりも短いゲームとして遊ばれていたと思う。それが本来のかたちに戻ったら、今度は重くなりすぎる。このあたりは興味深い。
 あと、やっぱりサイコロゲーだなと改めて思った。10面ダイスは6面ダイスよりも思いどおりにいかず、どうにもならない不運が発生しやすくなる。一方、確率は減っているものの、うまくいってしまえば勝てるのは同じ。結果の幅が広くなっている。
 このあたり、運ゲー感がさらに増しているかもしれないと思う。
 そういう問題はあるので。もしこれを読んでやってみたいと思った方がいたら、自己責任でお願いします。

 こうまでして遊びたいかとはすごく思うけど(笑)。
 可能性を強く感じるのになにか足りない、おもしろいけどなんかもったいない、そういう印象があるゲームだった。でもそんな物足りなさの一部が、10面ダイスを使うことで解消してしまったのだ。
 とても興味深い実験と結果になったなと思う。
 そうはいっても勝手ルールだしね、別にオススメするわけではないのだけど。


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『王への請願』を10面ダイスで遊ぶを