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遊星ゲームズ
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2009/02/18 22:49

ワシズ
 読書

amazon こんな企画、おもしろいはずがない(笑)。まあ作家見て買っちゃったんだけどさ。
 麻雀放浪記モノで一番おもしろかった奴を書いた人なんだが。なに書かされてんだしかし……。
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2009/02/16 21:11

パンデミック
 ボードゲーム

2009/02/16 21:11 てらしま
パンデミック
Pandemic
2008年
Z-Man Games
Matt Leacock
2~4人
60分
thx to play:game
amazon.com

 未知の病原菌が、世界中に蔓延しようとしているんである。しかも、4種類も同時に。
 人類の滅亡を食いとめるため立ち上がった、熱き勇者たち!
 というお話。

 協力ゲームということで、ゲームの結果は「全員勝利」か「全員敗北」だけ。
 こういうゲームではよくある「裏切り」もない。
 4種類のウイルスに対するワクチンをすべて完成させたら勝利、そのほかはとにかく敗北だ。「アウトブレイク」が規定回数起きたら敗北だし、山札が尽きても敗北。
 ゲームが進行すると、病原菌はだんだん増えていく。まだまだ大丈夫と思っていても、感染はどんどん加速するようにできている。「あっ」と思ったらもうゲームオーバー、という展開になったりする。
 この感染の広がりかたが、とてもよくできている。最初は少しずつだけど、ある時点で突然「アウトブレイク!」で一気に拡大する感じがウイルスらしいし、緊迫感の演出がすばらしい。
 アウトブレイクは連鎖する。ウイルスがすごい速さで世界中に拡がっていく様は、プレイヤーとしては負けてるんだが、なんとなく快感があったりして。

 協力ゲームはいままでにも多くあったけど、このゲームの特徴はこの早さ。運が悪ければ15分ほどで負けて、終わってしまうんである。
 山札が尽きても負けだから、ゲームは必ず収束する。終わりが決まっているから、ゲームがだらだらと長引かないし「あの行動がミスだった」など反省点もわかりやすい。
 だから「もう一回やろう」ということになりやすい。
 こうした早さは近ごろのゲームのトレンドだ。それを、協力ゲームにも適用してみたら、こうなったというところだろうか。

 通常のマルチゲームで「1位をとる」ことの価値は、人によって違う。
 勝つことより「盛り上がる」ことのほうが大事だと思う人もいるだろうし、「2位でいい」と考える人もいる。
「全員が1位を目指すべきだ!」という人にとって、2位でよしとする発言はいらだたしい。逆に「盛り上がる」ことを目的とする人にとっては、勝ちにいくプレイと喧嘩との区別がつかない。
 そのあたりは、ゲームがずっと抱えてきた問題点だ。
 しかし協力ゲームでは、勝ち負けの価値がよりはっきりする。プレイヤー同士は必ず味方であり、得点の優劣もつかない。結果は「全員勝利」か「全員敗北」のみなのだ。
 協力ゲームでは、間違いなく全員が目的を共有できる。
「盛り上がる」などというあいまいな概念ではなく、明確な「勝利」を共有できる。
 ウイルスは強敵だ。プレイヤーはまじめに考えないと、簡単に負けてしまう。全員が間違いなくゲームに参加できるという点で、協力ゲームは優れているのではないか。と感じた。
 目的を共有しているから、みんなでああだこうだと議論できる。ちゃんと議論しないと負けるから、みんな真剣になれる。
 勝つために議論するという、コミュニケーションツールとしてという意味では、非常によくできているのではないか。

 もっとも、協力ゲームに特有の問題はある。
「全員分の行動を一人で考えて命令する人」が、いるかもしれないのである。
 しかも、そのほうが有利かもしれない。たいていの場合、頭は少ないほうがいい。
 そういう人がいれば勝ちやすくなるだろうが、なにもしなかったプレイヤーはつまらないかもしれない。
 みんなが同じレベルならいいが、特にやりこんだ経験者がいる場合、彼が一人で考える展開になってしまうことが多い気がする。パンデミックの敵は、決して甘くない。経験者である彼が手を抜いたら、おそらく負けてしまうのである。
 ゲームの構造的に、そうした事態を防ぐことができない。この点は、致命的な欠点になるかもしれない。

 ちょうど最近、「ボードゲームはコミュニケーションツールではない」という記事を書いた。パンデミックは、この記事の中に書いた「パーティゲーム」の問題点を、そのまま抱えている気がする。
 ゲームルールの中に、プレイヤー同士の相談に関するルールがない。ということはつまり、ゲーム外の人間関係がそのままゲームに持ちこまれてしまう。
 ウイルスに勝利したとしても、なにも口を出せず楽しくなかったプレイヤーが、いるかもしれない。ひょっとしたら、ルールすらわかっていないプレイヤーがいてもおかしくない。ただいわれるままに駒を動かしていれば、ゲームを進めることができてしまう。
 これはパンデミックに限らず、協力ゲームが構造的に必ず持っている弱点だと思う。


通りすがり -2010/01/16 15:19
記述がないからダメだってどこのクレーマーですか?
誤解を招くような書き方だと思いますよ?


てらしま -2010/01/16 15:59
 わたしは協力ゲームも好きです。ダメとはいっていないつもりですし、じゃあなにがいいたいかというと上に書いてあります。
 もちろん、意図と違う読み方をされた方が1名いらっしゃったことは憶えておきますし、表現のつたなさへのご指摘と受けとって今後に活かそうと思います。
 がとりあえず、ご自身がクレーマーでないことを証明する気がおありなら、もう少し書かれたらいいと思います。できれば「通りすがり」以外のお名前を名乗られると、ここを読んだ方があなたに対して抱く印象も変わるのではないかと。


ボヤッキー -2010/01/18 22:39
多人数で協力あるいは対戦するゲームの場合、大抵どこかで盛り上がる場面が発生します。
しかし、そのピークを過ぎてしまうと、逆にダラダラと消化試合をこなしているような状態に陥る場合が多々あります。
パンデミック」は常に緊張感を持たせることにより、そういった時間を極力生まないようにしている感じがします。

>「全員分の行動を一人で考えて命令する人」
言い換えるとソロプレイが可能とも受け取れます。(携帯ゲームのコンテンツに最適かも…)


てらしま -2010/01/19 01:32
 コメントありがとうございます。
 パンデミックはよく調整されているなあと思います。アウトブレイクの危機!がだいたい1度くらいあって、ぎりぎりで勝てるくらいの展開が多いようにできてる。
 ムダのないデザインになっているし、ムダな行動はじっさいできません。ゲーム時間も長くないですがそれだけではなく、おっしゃるとおり、ゲーム中ダレるところもないですね。よくできているなあと思います。

言い換えるとソロプレイが可能とも受け取れます。(携帯ゲームのコンテンツに最適かも…)
 たしかに、ソロプレイ可能ですよね(笑)


トール -2010/03/15 20:54
昨日プレイしました。
おっしゃる通り、「一人で考えて命令する人」が出る可能性がありますね。
幸い、「十年以上の付き合いがある仲間たち」が「全員初めて」プレイしたので
そういう展開にはなりませんでしたが、そう考えるとあまり親しくない人や
目上の人とはやりにくいゲームなんですかね


ゆーぐ -2010/05/15 20:15
先日はじめてプレイしました。
私は誰とでもよく話す方なので、あまり考えずにどんどん作戦を立てる。
他の人はそれをたたき台にして、より能率的な動きを提案する。
最後に出た案をみんなで吟味して、
私が最終案を出す
という感じでプレイしました。
それなりにうまく機能したんではないかと思います。


N.K. -2010/05/16 20:15
パンデミックは非常にシステマティックで、最適戦略がわかってしまうのが問題かと。そうなると、多人数である意味がほとんどない(最適処理を目指すとソロプレイで複数駒動かしても同じになる)。
やり始めの数回はシステムが理解しきれなくて、みんなでバタバタして楽しめるけど、数回やって何人かシステムを理解すると、協力ゲームとしては微妙になるような気がします。いや、きれいにまとまったゲーム・システムとは思うけど。
ただ、パンデミックはこの手の問題が顕在化しやすいだけで、普通のゲームでも同じような問題は起こりうるのでは。逆方向だけど、人数合わせのために参加させられた人が、適当なプレイしてゲームを壊すとか。
結局、ゲーム論よりプレイヤー論(各プレイヤーのやる気の差とか、初心者育成問題とか)の割合が大きいような気はします。
長文失礼しました。


2009/02/13 01:43

ボードゲームはコミュニケーションツールではない
 ゲーム・論考

ボードゲームはコミュニケーションツールだ」という。
 そのとおりだと思う
 ボードゲームのことを真剣に考えたことがなければ出てこない言葉だと思う。こういっている人の意見は信じていい。その発言がコピペでない限りは。
 でも、コミュニケーションできればそれでいいわけじゃない。とも思うのだ。

 たとえば真剣な議論をしていると「喧嘩をやめろ」と割りこむ人がいるように、真剣に勝ちにいくことが理解されないことが、あるのである。
 善意で場を和ませようとしてるんだろうけど。でも、真剣なゲームをこそ楽しんでる種類の人もいる。理解されないのでは残念だ。
 それはもしかしたら「コミュニケーションツール」だからかもしれない。コミュニケーションが目的だから、勝利を目指す必要がなくなってしまうんじゃないか。

 と考えた。
 だからあえて「コミュニケーションツールではない!」と。いってみる人がいてもいいんじゃないかなあと。じゃあわたしがいってみようかなあと。


 勝利ではなくコミュニケーションを目的としてしまうと。つまり、ゲームの勝ち負けにこだわらず、楽しめばいいじゃんといってしまうと、どうしても、友人関係が有利になる。
 そりゃそうだ。彼らはゲームがなくても楽しいのだから。
 逆に、部外者には不利だ。
 考えてみればいい。
 はじめて参加したゲーム会で、お気に入りの「アップルトゥアップル」をやって、いつものメンバーなら爆笑をとれるはずのネタに首を傾げられたら。「ジョージ・ブッシュって誰?」という顔をされたら。次もそのゲーム会に参加したいと思うだろうか?
 初参加の場でパーティゲームにまきこまれてしまったら、あなたははじめから負けているんである。
 みんながなぜ笑っているのかわからなかったり。メンバーの空気に溶けこめなければ、疎外感を感じるばかりになってしまう。
 あまり好かれていない人も不利。社交が苦手な人も不利だ。なにより、苦手な相手がいると楽しめない。
 パーティゲームを楽しめるかどうかは、メンバーによる。パーティーゲームには実は、そういう危険がある。
(ちなみに、個人的にアップルトゥアップルは好きなんだがw)

 初参加の人がいるからと気を使って「いつも盛り上がる」パーティゲームをとりだすのは、逆効果かもしれない。
「盛り上がる」かどうかは、決して一般的なものではない。新しいメンバーが一人いるだけで、急に白けてしまうかもしれない。
 そのあたりはたぶん、ゲームに限らず誰でも経験があることと思う。

 いっぽう、勝利のみを追及するゲームは違う。
 どんなに嫌いな相手とでも、楽しむことができる。ゲーム自体がおもしろければ。
 プレイヤーはみな同じ「このルールの上でどう勝つか」を考えている、そういうゲームの上では、相手のことが好きか嫌いかなど関係ない。

 ゲームとしてのおもしろさのほうが、普遍的なのじゃないか。
 そう考えるとむしろ、初参加の人はガチガチの真剣ゲームに放りこんだほうがいいのかもしれない。(むろん逆かもしれないけど)


 パーティーゲームには「攻撃」に関する問題もある。
 たとえば「嫌いな相手を無条件に攻撃する」という選択は、多くの場合ミスチョイスだ。そのプレイヤーはおそらく勝てない。勝ちを目指しているなら、その選択はありえない。
 だが「楽しめばいい」のであれば、そうした行動も肯定されてしまう。「俺はこれで楽しい」といわれた場合、否定できるだろうか。
 さらにいうなら、一人のプレイヤーに攻撃が集中する、いわゆる「いじめ」は、さらに肯定されやすくなってしまう。現に「盛り上がる」だろうから。

 これはけっこう、他人事ではない。
 ゲーム会に初参加の人を無視して盛り上がるとか、初参加の人がゲーム会の不文律を犯したために攻撃されてしまうとか。
 残念ながら、まったくない話ではない。
 初参加の人はまだコミュニティ外の人間だ。コミュニティが、外の人間を攻撃することで結束するという現象はよくあるのである。残念ながらだけど。


 もちろん、パーティゲームだって楽しい。しかし、ゲームの真価はもっと先にある。
「嫌いな人間とどうつきあうか」という問題の、解答になりうるのである。

 このことをさして「コミュニケーション」というなら、わたしもうなずこう。
 どんなゲームでも、プレイには性格が出る。「この人はこんな顔でこんな手を打つのか」と思うことができれば、それはふつうの会話より、ずっと密度の濃いコミュニケーションとなりうる。
 通常の会話とは違う、ゲームというプロトコルでのコミュニケーションである。それならもちろん大賛成なのだ。
 ピッコロ大魔王やベジータがなぜ仲間になっちゃったかというと、主人公が彼らと、密度の濃いコミュニケーションをしてしまったから。あの話ではそれが自然な流れだったんだよなーという話。

 いわゆるパーティゲームというのは、コミュニケーションをゲームルール外の環境に委譲してしまったゲームのことだ。
 パーティゲームを無条件に楽しめるメンバー同士は、ゲームがなくてもコミュニケーションできてしまう。
 じつはゲームが必要ない。ビールでいい。

 だからあえて「コミュニケーションツールではない!」と。いってみた。
 ゲームはゲームなのである。ゲームだからこそ、友人同士の会話とは別のコミュニケーションができる。
 真剣に勝とうとすることで、はじめてなりたつコミュニケーションがある。それこそビールでは実現できない、ゲームにしかできないコミュニケーションなのじゃないか。


通りすがり -2010/01/16 16:51

パーティーゲーム理論
ゲームの勧めるチョイスが悪いのをゲームが悪いと
決めるのは早計ですよね。
単にその人の判断ミスでは?

ゲームを真剣にやってる人云々…
真剣にプレイするというと勝ち負けに執着するのとを
混同してはいけません。
ゲームに真剣になること自体は良いことだと思います、
でも勝利に執着し、フランクなプレイになってしまうとか
非人道的なプレイとかは困りますよね。
まずゲームのルールを読み、ゲーム制作者の意図を理解
出来れば、どう楽しむのが適切なのから解ると思います。
その上でげームのインスト(説明)の時に一言話せば、
それで済むと思いますよ?
特に近年のボードゲームはプレイヤーに優劣を付ける
様なルールにはなっていないので、それこそワイワイ楽しく
楽しむのがいいと思いますよ。


てらしま -2010/01/16 18:15

ゲームの勧めるチョイスが悪いのをゲームが悪いと
決めるのは早計ですよね。
単にその人の判断ミスでは?

 ゲームを選んだ人の判断ミスです。プレイヤーのミスではないところが、問題となりえますね。また、ゲームが悪いとはいっていません。

 できるだけ、ゲームの範囲を超える議論はしないことにしています。とはいえこの記事は、けっこうゲームの外に踏み出し気味なので微妙ですが。
 この立場から語れる範囲では、どんなに非人道的なプレイも許されます。あえていえば。また、真剣にプレイすることと勝敗にこだわることは完全に同義です。
 もちろん現実には、ゲーム外の要素がからんできます。ゲームをするというのはそういうことです。そこで、できるだけみんなが楽しめるにはどうしたらいいか。という話が、上の議論の前提です。ご理解いただきたいですが。
「みんなでワイワイ楽しく」という方法で、本当にみんなが楽しめるでしょうか? もちろん、それでいい場合がほとんどでしょう。ボードゲーマーはいい人ばかりです。ですがいっぽう、部外者が入りづらい、閉じた世界になってしまっているサークルもあるのが現実です。
 そろそろお気づきと思いますが、上の議論ではパーティーゲームを否定していません。ワイワイ楽しくという主張も、もちろんそれはそれであると思っています。
 でも万が一、そうしたサークルが部外者を排除してしまっていたら(気の合う仲間であるほど、危険が高いでしょう)、残念だなあと。


まつざわ -2010/01/17 02:13
「パーティゲームか否か」という話題は、ひっくり返せば「(そのコミュニケーションに用いる)プロトコルがゲーム内で閉じている否か」って視点ですかね?
切り口として面白い話ですね。

以下馬鹿話。
上記切り口に則ると、非パーティゲームの方向性として
(1)非ゲーム外プロトコルを不要とする為、ゲーム内プロトコルを豊富にする
(2)    〃                 プロトコル少なくてもゲーム進行可能なルールにする
(3)そもそもゲーム外プロトコルを禁止する
ってのが考えられますね。
(3)はなんつーかディスコミュニケーションを楽しむパーティゲームって気もするし、(1)は究極的には自然言語に近づくだけだし、やっぱ(2)の系統に進むのが真っ当なゲームなんでしょうかね?


部外者の閉鎖感とは… -2010/01/17 09:16
その人に対し、いかに説明下手であるか、その人を引き込めるだけの
プレイが出来ていないかを露呈している様に聞こえますね。
それ以前にみんなが遊べるゲーム選びはとても大切だと思います。
その結果うまれた「読めない空気」とかによる疎外感であれば、
やはりゲームを選んだ人に責任がありますよね、ゲームにも段階を踏む
必要はあると思います。
しかし、実際みんながゲームのプレイ上の目的のために夢中になって
遊んでいる状態での閉鎖感とはどういうことなのでしょう?
TRPGじゃあるまいし、自分の順番があってきちんとゲームを
プレイしているのですから、本来閉鎖感なんて発生するはずは
ないのです。
そのプレイ上で場を盛り上げる、とか面白いトークをすることが
より楽しくなる、パーティゲームでなくともワイワイ楽しむこと
などいろいろ出来ると思いますが、こういた疑問が出ることにすら
疑問に思います。
簡単に言ってしまえば「遊び方の問題」なだけだと思いますよ?
協力型ゲームに「スコットランドヤード」がありますが、あれって
十分ワイワイ楽しむゲームですが、パーティゲームなんですか?
私はお通やの様に寡黙にプレイするのが必ずしも良いとは私は
思わないですね。

あと気になる点が一つ、勝利条件にどん欲であればプレイスタイルが
非人道的でも良い、真剣にプレイしているなら当然だ。的な意見は
間違っていると思いますね。
ルールの範囲内で普通にプレイしていれば非人道的なプレイなんて物は
本来存在無いはずです。
(シミュレーションゲームでもしない限り)
圧倒的な一人勝ちの状態であればそれこそ場の雰囲気がシラけるでしょうし、
上記の投げやりなプレイに発展してしまうのでそれはそれで良くないですが、
最近はそんなゲームバランスのゲームはそれほど無いはずです。
(あるかもしれないですけどね)
であれば、非人道的なプレイは真剣と同意語にはなり得ないと思います。
「真剣=プレイに集中」くらいが私の解釈です。
プレイには集中してもらいですものね(^-^)

長文失礼しました。

P.S ちなみにこんな私が好きなゲームはバルバロッサや手抜き工事、
  レーベンヘルツといったたぐいのゲームです。


てらしま -2010/01/17 10:57
 いろいろと議論になっていない部分があったり、わたしの発言が曲げられていたりする部分があります。本来はひとつひとつの言葉につっこむべきところですが、ここではやめておきましょう。よくお読みいただければと思います。
 ここでは論点だけ。

TRPGじゃあるまいし、自分の順番があってきちんとゲームを
プレイしているのですから、本来閉鎖感なんて発生するはずは
ないのです。
 TRPGに問題が発生しうることはお認めになられましたね。であれば、あと一歩で、ボードゲームでも同じ問題が起こりうることを演繹できるはずです。
 もともと上の記事では、TRPGも含めているつもりでした。
 ちなみに「自分の順番があってきちんとゲームをプレイしているのですから、本来閉鎖感なんて発生するはずはないのです。」というご意見は、上の記事でのわたしの主張とほぼ同じものです。いくつかの言葉が反感をあおってしまった様子ですが。

あと気になる点が一つ、勝利条件にどん欲であればプレイスタイルが
非人道的でも良い、真剣にプレイしているなら当然だ。的な意見は
間違っていると思いますね。
ルールの範囲内で普通にプレイしていれば非人道的なプレイなんて物は
本来存在無いはずです。
 わたしがいったのは「この立場から語れる範囲では、どんなに非人道的なプレイも許されます」で、「この立場」というのは、あくまでゲームの中での話です。ゲームの中だけといえば、あるのはルールブックだけです。ルールブックに「対戦相手を刺し殺してはいけない」と書かれていなければ、刺し殺してもいいことになる。そういう、あくまで論理上の話です。
 たしかに非現実的な議論なので、反感を感じるのはわかります。わたしだって、そんなプレイヤーと卓を囲みたいとは思いません。ですが論理の話なので、感情を排除しなければなりません。
 現実には、対戦相手を刺し殺すことは起こりません。それは我々が人間だからですが、そこから先はゲーム内の話から外れてしまう。でもそういう矛盾の中でしかゲームは成立しない。
 で、そこで「いじめ」や「部外者無視」、「嫌いな人がいて楽しめない」などが発生しやすいゲームというのは、ゲーム外の人間関係が反映しやすいゲームでしょう。それは、いわゆるパーティーゲームと呼ばれるものに近い種類のゲームが多いだろう。
 という話です。
(あと、個人を指定して攻撃できる、いわゆる「インタラクションが強い」ゲームもそうです。が、これは論点を外れた話です)

 要は、非人道的なプレイを認めたつもりはないですと。
 あとTRPGと同じく、もともと上の記事ではシミュレーションゲームも含めているつもりでした。

最近はそんなゲームバランスのゲームはそれほど無いはずです。
 これがけっこうある(笑) ですが、最近は短いゲームが多いので、差がついてもすぐ終わるから次にいこうという面はありますかね。


てらしま -2010/01/17 11:47
>まつざわさん
 (1)はたぶん、プエルトリコとか情報量の多いゲーム? じっさいゲーム外の会話ができないほどいろいろ考えるゲームとか、けっこうありますね。
 じっさい、(1)に進むか(2)に進むかというのは、ゲームの仕上げの方向として分かれてる気もします。

 ルールブックに「自分の手番が終わったら『どうぞ』といってください」「ルールに規定された以外の会話は禁止です」とか、ちゃんと細かく書かれていれば(3)になる……? 既存のゲームでも、本気の大会ルールとかは(3)に近い気がします。コントラクトブリッジとか。
 理想型は(3)なのかな。

アポロ -2010/03/17 11:12

前提が違う。
コミュニケーションのきっかけに使える物。であって
ボードゲームの根底としては「勝つ事」が目的だ。
誰も勝つ事を目指していないゲームはそもそも成立しないし、面白くもなんともない。むしろ気遣いなんかを始めてしまったらそれこそ嫌な気分になる。

どのような場合にしても、あくまで
「このような手順で勝ちを目指すゲームで、途中で会話が必要になります。」
なんだから、誰もコミュニケーションツールだからといって勝ち負けに拘ってはいけない。とか、そんなことは一言も言っていない


2009/02/10 21:07

喰い合うゲームショップ
 日記

だが昨年あたりから、大企業による食い荒らしではなくて、中小ショップ同士の食い合いの様相が散見されるようになってきた。
同じタイトルを複数のショップが輸入し、それぞれ別々に訳を作って売り出す。発売は1日でも早いことを競う。結局同じくらいの時期に売り出すが、ユーザーが分散するため、どこもあまり多くは売れない。さらに、ユーザーの評価が今ひとつだったりすると目も当てられないような状況に……そんな事態が起こっている。

 これは市場が拡大してるという意味なので、危惧にはあたらないですよと思った。むしろ歓迎していいのではないか。
 つぶれるショップがあるなら、それはしかたない。というかそれは競争の結果なので、健全な現象だ。

 わたし自身のことを考えても、注文する店は以前より増えている。
 ショップが増えた分、手に入るゲームの種類も増えているという実感がある。歓迎していいことだと思う。

搬送にも翻訳にもコストがかかるから、同時並行で同じことをやるのは全体で見れば大きな損失である。競争原理がはたらいて価格が下がったり、翻訳の質が上がったりするならばよいのだが、実際は売れなくて価格を上げることになったり、翻訳に手間をかけられなくて質が落ちたりする恐れのほうが大きい。

 もし本当にそれがユーザの不利益につながっているなら、それはショップにとっても不利益だろう。価格に見合うサービスを提供できないのだから。
 翻訳の質が悪いショップ、搬送費が高いショップが、つぶれていくということだ。
 または、翻訳に手間をかけず、早さという付加価値で勝負するショップも当然あっていい。
 これも、市場原理にしたがった健全な結果。
 クールすぎる意見と思われる向きもあるかもしれないが。これはむしろ逆だと思う。競争がちゃんとおこなわれることのほうが、全体の利益になるんじゃないかと思う。
 むしろ、ショップ同士の仲がよすぎて価格競争が起こらないのはまずい。自分で値札を貼れない事態になったりしたら、それこそつぶれるショップが続出してしまうと思う。

 重要なことだが。市場原理は放っておけば働くのだ。
 客は、価格に見合わない商品を買わない。ショップとしては、売れなければ価格を下げるか、付加価値を向上させるしかない。

「翻訳ゲームルール屋」が商売として成立する段階が近づいている、という見方をすればいいんじゃないかと思う。各ショップに、横断的に翻訳ルールブックを売る商売である。
(……思いつきをいってるだけだけ。こんな少数販売の商品で利益を出せるのかとか、いろいろ疑問はある)

 いずれにしろ、趣味でやってる人ばかりでは限界がある。ボードゲームを商売にする人たちが増えるのはいいことなんじゃないか。


2009/02/07 12:34

Cosmic Encounter手に入れてみた
 日記

amazon
 Fantasy Flight版。去年出たやつ。
 ていうかエイリアンってこんなにいたっけ(笑)。
 ウイルス族とかボイド族とか、おなじみの奴らはもちろん。知らないうちにずいぶん増えてたようで。
 50種類入ってました。

 昔のやつは細かく憶えてないんだけど……HUMAN族なんていたっけか?
 TICK-TOCK族とか楽しそう。

 COMPONENTSをマニュアルから引用。

  • This Rulebook
  • 1 Warp
  • 5 Player Colony Markers
  • 1 Hyperspace Gate
  • 25 Player Planets(5 per player)
  • 100 Plastic Ships(20 per player)
  • 50 Alien Sheets
  • 20 Destiny Cards
  • 72 Cosmic Cards
  • 50 Flare Cards
  • 20 Tech Cards
  • 42 Cosmic Tokens
  • 7 Gruge Tokens
  • 1 Genesis Planet
  • 1 Luner Canon Token
  • 1 Prometheus Token
  • 1 Aiternate Filch Flare

 なんだかいろんなものが入ってます。
 じつはまだルール読んでないけど(英語だし)、昔やった記憶では、基本ルールは全然簡単だったはず。こんなに必要とは思えませんねー。単価を上げるためのネタというやつですかねー。
 ていうか、Luner CannonとかPrometheusとか、なんだろう……。

 M:tGのデザイナーが影響を受けたとかなんとかいわれてる、伝説的なゲームなのです。だけどかなりでたらめです。
 エイリアン50種類とか、明らかに過剰だし。昔の版でも20種類あって、すでにバランスはめちゃくちゃだった。調整しようとしてないと思う。
 でもそのでたらめさがいいんです。そういうノリのゲームです。
 まじめにやると「このエイリアンじゃ勝てないよね」とか、そういうゲームがほとんど(笑)だと思うので、まあてきとうにその場のノリを適用して楽しめばいいや的なゲーム。重くないし。


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