ローゼンベルク。これがすごくいい。新鮮なシステムと完成度の高さ。この感覚は久しぶりだ。
全員共通の15枚の職人カードを持っているのだけど、各ラウンドで使うのは5枚だけ。まず最初に、15枚から5枚を選び伏せる。
次にスタートプレイヤーから順番に、1枚ずつ使っていく。カードには資源を獲得するとか、資源を使って建物を建てるとか、いろいろ書いてある。
でこのとき。他のプレイヤーは、伏せた5枚の中にいま使われたのと同じカードがあったら、公開して相乗りする。しなければならない。
カードには効果が2個ずつ書いてあって、誰も相乗りしてこなければ両方とも使えるのだけど、誰かが相乗りしてきたら1つしか使えない。
各ラウンドでは、これを各プレイヤー3回ずつやる。5枚伏せたのだけど3回しか使えない。つまり、あとの2枚は他のプレイヤーに相乗りしなければ使えない。
このルールがとてもいい。計画を立てなければならないけど計画どおりにはいかない。
相乗りは義務で、権利ではない。他のプレイヤーが出したカードと同じものを手札に持っていたら、これはもう自動的に公開しなければならない。つまり職人は仕事があれば勝手に働いてしまう。資源を使って建物を建てるのだから、建てるアクションよりも先に資源が欲しいのだ。しかし、他のプレイヤーが建設アクションを使ってしまったら、勝手に反応して相乗りしてしまう。このままならなさは独特だ。
このゲーム、とにかく職人たちは、仕事があれば勝手に働く。この思想は資源システムにも反映されている。
資源は→のようなダイヤルで示されている。これ最初は見づらいけど、すぐに慣れる。要するに資源コマの横に書かれている数字が持っている数だ。
資源の中でもガラスとレンガは高級な資源で、直接手に入れることはできない。どうやって手に入れるかというと、他の資源を消費して手に入れる。そこでこのダイヤル。たとえば上のダイヤルの1のマスに資源がなくなる(=ダイヤル上のすべての資源を1個ずつ持っている)と、ダイヤルが1マス右に回る。これはゲーム中どのタイミングでも、自動的に回ることになっている。そうすると、各資源が1個ずつ減り、ガラスが1個増える。ダイヤルに書かれている数字を見ればわかるが、ガラスは数字の並びが逆になっているのだ。
つまり、ガラス職人は必要な資源ができたら勝手にガラスを作りはじめる。レンガも同じだ。
そんな感じで、とにかく職人たちは勝手に働く。そんな彼らをうまく乗りこなして、建物を建て得点を稼ぐのが目的のゲームだ。
デジタルゲームの話だけど、ドラクエは4が好きだ。それも最初のファミコン版。
ドラクエは4からAIによる自動戦闘が導入されたのだけど、ファミコン版4だけは他と違い「めいれいさせろ」コマンドがない。仲間たちはAIで勝手に動き、コマンド入力することができない。このAIがバカで、ザラキが効かない敵にザラキを連発するクリフトなどは有名だ。ああいう、仲間が勝手に動くゲームが好きだ。楽だし、なによりAIのキャラクター性から物語を感じられる。
もちろん、思いどおりにいかないことはプレイヤーのストレスだ。クリフトの頭の悪さには多くのプレイヤーが不満をいい、後のシリーズでは「めいれいさせろ」コマンドが追加された。個人的には、あれはないほうがいいと思っている。そりゃ「めいれいさせろ」があればそのほうが効率的に動けるし、強いんだから使ってしまう。けれど、そうじゃないのだ。思いどおりに動かないことこそがおもしろさだったのだ。自分にとっては。
プレイヤーはストレスに不満をいうものだけど。それを全部聞くことが果たして正しいのか。そんなことをちょっと考えてしまう。まあドラクエほどのシリーズでは聞かないわけにもいかないだろうけど。
ちなみに後のシリーズでは、命令させろ以外を使ったほうが有利な局面(ターンの途中でダメージを受けた仲間を回復するなど)が用意されていたりして、せっかく作ったシステムを無駄にしていなかったりもする。
ボードゲームでは、勝手に動くシステムというのは実現不可能だ。なにしろアナログだから、すべてのトークンをプレイヤーが手で動かさなければならない。しかし工夫次第で「自動感」を出すことならできなくもない。このへんはここ10年ほどのモダンなボードゲームの特徴的なところだと思っているのだけど、プレイヤーの操作が、プレイヤーの認識以上の影響を盤面に与える、そういうふうになっていればいい。洗練されたインタフェースは時に、そんな魔法を可能にする。
グラスロードの場合は、資源ダイヤルがそれ。資源をチットで示す方法で同じルールを採用したら、煩雑な印象のゲームになっていただろう。チットが5種類そろったら必ずそれを支払いガラスチットを1個獲得する? たぶん処理しきれず、忘れる。でもこのダイヤルなら、1クリック回すだけだ。
加えて、職人カードが勝手に相乗りしてしまうこのシステム。これは『レース・フォー・ザ・ギャラクシー』からの派生かもしれないと思うのだけど、最初に5枚をプロットするというルールの追加が非常におもしろい効果を生んでいる。なにしろプロットしなければならないのだから、計画性が必須だ。でもそれなのに、計画どおりに動いてくれない。計画性とランダムと読みが一箇所に集約されている、とてもきれいなシステムだ。これもやはり、ダイヤルほど鮮烈ではないものの、洗練されたインタフェースの一種といえる。プレイヤーは5枚を選んだだけだが、その結果は単純ではなく、相手に影響を与え、また相手の影響を受け順序が変わり、予想できない。プレイヤーの操作を超えた結果が発生しているのだ。
なにしろ計画どおりにいかない。ランダム性は強い。このことはプレイヤーにとってストレスだろう。ファミコン版ドラクエ4が好きでないという人がいたとして、同じ理由でこのゲームも苦手かもしれない。でもわりと、ボードゲーム好きはこういうストレスが好きなんじゃないかと思ったりもする。多くの一人用デジタルゲームと違い、相手がいるボードゲームでは思いどおりにいかないことが普通だ。そのストレスが好きなマゾヒストがボードゲーマーになるのだ……といったらいいすぎだろうけど。
それに。ままならないといっても、最終的には自分の責任なのだ。ランダムと書いているが、もしも他のプレイヤーの手を読み切ることができるならそれはもうランダムではない。けっきょく読み切ることなんてできないんだけど、それでも自分の選択の結果。「ああしておけばよかった」と思うことができる以上、ただのランダムとは決定的に違う。
欠点? もちろんこのランダムさは欠点だ。資源獲得の不安定さに加え、さらに場の建物カードがランダムにめくられるシステムになっていて、計画が立たなすぎる感じはじっさいある。ちょっとやりすぎかなと思うところもなくはない。とはいえそれも意図されたものだろうと思う。『アグリコラ』や『ル・アーブル』のような、すべてを計画できるゲームではなく、ランダムさも含め展開を楽しむゲームだ。
あとは、いきなり15枚ものカードを渡されてそこから5枚選べというハードルの高さとか。
もっと細かいところに踏みこむと、このバッティングシステム。潜在的にすごい差が生まれうるため緊張感があるのだけど、現実には、均されて大きな差にならなかったりする。それよりけっきょく建物の引き運のほうが少し大きく、やはり運ゲーだろとか。批判の緒になりうる部分はけっこうある気もする。
でも個人的には、これでいいと思う。うまくいかなくてももう一回やればいいのだ。意外と軽いし、とにかくプレイ感触がいい。だからもう一回といいやすい。
とても気に入っているゲームだ。ローゼンベルクのお仕事シリーズではダントツで一番好き。とてもいい。
機会があればいつでもやりたいゲームというのがあると思う。自分の場合は『ストーンエイジ』『ドラゴンイヤー』などがそれに当たるのだけど、グラスロードはそこに入るかもしれない。