動物園経営ゲーム。かつ、コロレットのシステムを応用したゲームでもある。非常にわかりやすい名前である。
各自にボードが渡されている。このボードが自分の動物園。
動物園にはそれぞれ3つの、檻がある。その檻に動物を入れるのが目的だ。
で、この動物を動物園につれてくるために、コロレットのロジックが使われているのだ。
なにしろコロレットは傑作ゲームだ。だから、そのシステムを使ったこのゲームだっておもしろいだろう。というのは、必ずしも本当ではない。というか普通は、そういうゲームはつまらなくなる。
現に『コロレット・アマゾナス』という、なにがしたいのかわからないゲームもあったわけだし。
でもズーロレットは、さすが大賞をとったゲームだ。
もっとも、コロレットよりおもしろいかというと疑問ではあるんだけど。
「場に出すかとるか」というシンプルな選択のみで、インタラクションも戦略性も運もすべてを表現してしまった、あれは実際かなりすごいものだった。いまやってもぜんぜん飽きない。
ズーロレットの場合は、そのコロレットロジックをリソース生産部分に使った。その後の得点ロジックはだいぶ違うものになっているが、やはり、生産ロジックの印象が強い。
ボードを使うようになって、リソース生産から得点までの間にステップがひとつ増えた。それが、動物の配置と、お金を使った動物の移動だ。動物園には大きい檻と小さい檻があるので、どの動物をどの檻に入れるかを考えなければならなくなっている。
あと、オスとメスを同じ檻に入れると子供を産んだり、他の動物園から動物を買ってこれたり、お金を払って屠殺できたりもする。
ようするに、コロレットに「リソースの配置」という次元をつけくわえ、リソース取得後の管理の要素を足したのだ。
これは「ひかえめな修正」といっていい。プエルトリコのような、リソースの特殊効果や拡大再生産を予想していたのだけど、そういったダイナミックな要素はほとんどない。
その意味では、あくまでもコロレットのバリアントという域を出ないようにしたデザインである。
ということは。
すごく悪いいいかたをすれば、いたずらに複雑さを増して、オリジナルの持っていたシンプルなエレガントさを損なっている。
まあ、そういってしまうほどつまらないゲームじゃないけど。
たとえばプエルトリコの場合、手番順の強すぎる効果を逆に活かした「実行フェイズ選択」というロジックを、リソース生産部分に採用した。ズーロレットは、そこにコロレットロジックをつかったという位置づけになる。
両者に共通するのは、プレイヤー間のインタラクションをここに限定して表現していることだ。生産よりあとの、リソースを勝利得点に変換するロジックの中には、インタラクションを持たせていない。また、ここで単純な時計回りを廃することで、障害になりがちな手番順の問題を解決している。
いっぽうの得点ロジックは、コロレットの「等差級数」型ではなく「檻が全部埋まったらX点、あとひとつで埋まるところまできたらY点」というもの。つまり、固定得点を獲得するための条件を、満たすことを目指す……なんていったらいいんだろう。「クエスト」型?
リソースによるリソースの生産、つまり再生産はないため、基本的に、終盤に近づいてもゲームが派手にならない。
どんどん得点が増えていくのではなく、逆に盤上に残された得点が減っていくのである。
この得点ロジックの差異ために、ゲームの印象はだいぶ変わっている。本質はさほど違わない可能性もあるとはいえ。
さて、ここで考えるべきは、前提として採用した生産ロジックとこの得点ロジックが、本当に理想的な組みあわせなのだろうかというところだ。あるいは、理想的な組みあわせを捜した結果としてのシステムになっているだろうか。
わたしは、そこが疑問だと感じている。
もっとも、単体で見ればふつうにおもしろいゲームだ。ふつうにもっとやりたいと思っているんだけど。
つまり、コロレットロジックにはもっと大きな可能性があったはずじゃないのかなあというようなことを、なんとなく感じてしまうのだ。
……まあ、家族向けっぽく動物園で、ちゃんと短時間で終わって、「特殊効果つき建物」みたいなマニア向けっぽさのない、大賞向きのゲームにはなってるけどさ。そういうゆがみを感じると少しやるせなくなるっていうのが本音。
悪そうなこと書いてるけど、おもしろいんですよ。
[2007.09.10 23:39]てらしま :
あー書いてて思ったけど、こないだはいろいろな新要素に化かされてた気がする。今度はもっとふつうにコロレットのつもりでプレイしてみよう。