要は「材料カード」で役を作って、得点を稼ぐ。というゲームなのだけど。もちろん、それだけではない。いろいろな一工夫が施されている。それが見事にはまっていて、おもしろい。傑作だと思う。
材料カードには、色と数字が描かれている。色は5色。数字は3~7。この材料カードで、役を作る。
役は3枚一組で作る。わかりやすくポーカー風にいえば「ストレート」「ストレートフラッシュ」「スリーカード」「スリーカードフラッシュ(?)」の4種。だけ。ストレートの場合、使ったカードのうち一番小さい数字が得点になる。ストレートフラッシュでは、一番大きい数字。スリーカードは使ったカードのうち1枚が得点、スリーカードフラッシュは特別で、使ったカード2枚を得点にできる。
場にカードが並んでいて。プレイヤーは、手札から1枚カードを場に出し、場のカード2枚を手に入れる。そうやってカードを集め、役を作る。
簡単だ。ここまでのルールにもけっこういろんな工夫が施されていることが見てとれるけど、しかし不自然なところはなく理解しやすい。
で、それに加えて、各プレイヤーの前に「ヘルパーカード」というものが置かれている。このゲームの華。もっとも大きな特徴はこれだろう。
ヘルパーカードには名前がついている。「ハムスター」とか「ゴキブリ」とか。
それぞれなにか、特殊能力を持っているんである。役を作るときに1枚の色を変えられるだとか、4枚で役を作れるだとか、そういう効果だ。通常のルールとは違う組みあわせで、役を作れるようになる。
ヘルパーカードは、ラウンドが終わったら左隣のプレイヤーに渡す。そうして毎ラウンド、いろんな能力が回ってくる。
ヘルパーカードの順番はわかっている。だから、次にくるヘルパーを考えて手札を整えるとか、そういうことを考える。
これがじつにおもしろい。
役をそろえるだけのアブストラクトカードゲームでもよかったのだろうけど、その分野はもうとっくに開拓され尽くしている。新しいゲームを考えるのは難しい。
またそれ以上に、いくら斬新で洗練されたゲームを考えても、抽象的すぎると評価されづらい、という気がする。
抽象的すぎるアイコンに意味を見いだすことは、万人にできることではない。ゲームルールがわかったとしても、どこを楽しめばいいのかわからない、という現象が起こったりする。
しかし名前がついていて、それぞれ別の効果がある、そういうカードがあると、そこを足がかりにしてゲームに入っていくことができる。
抽象化し、洗練したほうがエレガントになるだろうけど。そのかわり、入りこみづらい。どこを楽しめばいいのか、慣れないとわからないゲームになる。わかりやすい「楽しさ」を演出するためには、あえて抽象化しない、煩雑な部分があったほうがいい。
たとえばドミニオンには、王国カードが必要なかった。
財宝カードと勝利点カードだけで、小箱のアブストラクトカードゲームとして成立しただろう。それでも、適度に乱数と戦略がある、良質のゲームとして成立しているんである。
しかしそれでは、あれほどの流行になれなかっただろう。
それぞれ違う効果が書かれた王国カードがあり、どれを選ぶかをプレイヤーが考える、その過程が楽しいのだ。
ゲームの一部分だけ、あえて洗練を排除する。それが、アグリコラやドミニオン、スモールワールドなど最近の傑作ゲームが解き明かした「楽しさ」の解答のひとつ、という気がする(※)。
「キャラクター性」という言葉を使いたい。名前があって効果が書かれている、つまりキャラクター性のあるカードが、あると楽しいのだ。
キャラクターについては、世界でもっとも極まっちゃった文化を持っているだろう国に、我々は住んでいるわけだけど。内容がなくてもキャラクターで商売することができると、そんなことを一番目の当たりにしているのが日本人だ。その視点でいえば、ボードゲームもついにその領域に到達しつつある、といういいかたができるかもしれない。
ネズミのパティシエは「いまモグラだけど、次のラウンドはハチがくるから……」とか、そういうことを考えるゲームだ。キャラクターの力をうまく活かしたゲームと思う。
アブストラクトな手役作りだけでは、こんなにおもしろくなれなかった。
シンプルな基本ルールにキャラクター(カード)をつけ足す、というこの方式には、まだまだいくらでも可能性がある。意識するしないに関わらずドミニオンの流行を受けて、今後もさまざまなゲームが登場するんじゃないだろうか。