2003.7.7 てらしま
既刊の評
マリア様がみてるシリーズ
マリア様がみてる レイニーブルー
マリア様がみてる パラソルをさして
マリア様がみてる 子羊たちの休暇
マリア様がみてる 真夏の一ページ
なんだろうこの物足りなさは?
思わず知人の日記(T-ruth's Home)と同じことを書いてしまったが、まあそんな感じなのである。このシリーズに対しては期待が大きいだけにね、恋から冷めてしまったような気分だ。
ひょっとしてと思う。このシリーズ、それぞれの巻で完結した話をやるという方式をやめてしまったのではないだろうか。だとしたら、ここにこんな書評を書いていることの方が間違っているのかもしれない。
別に、完全に続きもののシリーズになるというならかまわない。そういう小説にだって面白いものはあるし、私の好きなものもある。でも、そうだとしても、好きなシリーズの一話を読んだという満足感はほしかったのだ。
週刊の少年マンガ雑誌で、マンガを一つ読んだような気分なのである。
少年マンガにも一週一週が面白い奴と単行本で読んだ方がいい奴とがあるが、最近のマリみては後者になりつつある感じだ。しかし、あとでまとめたものが改めて出版されるわけでもなし。半年ほど我慢してからまとめて読んだ方がいいのかもしれないが、そんな我慢ができるはずもない。
少年マンガのインフレの法則と同じで、いつのまにか、我々読者は既刊以上のカタルシスを求めてしまっているのかもしれない。しかし、それはないものねだりだ。これは人間関係の物語なのだし、学校という閉じた世界である以上、少年マンガのように無限に拡がっていくことはできない。
それに、『レイニーブルー』と『パラソルをさして』での盛り上がりは特別なものだった。このシリーズでは今のところ、主人公が変わらないかぎりは、あれ以上の話はありえない。
ひどく不吉なものがいま、私の頭にちらついている。
『ドラゴンボール』で、孫悟空が天下一武道会でピッコロ大魔王を破った時。『グラップラー刃牙』で、最強トーナメントに決着がついてマンガのタイトルが変わった時。インフレを運命づけられた少年マンガでは、そういう瞬間がどこかにある。
『パラソルをさして』がそういう瞬間だったのだとは思いたくない。これは少年マンガじゃないんだからと自分にいいきかせながら、しかし思いあたる事実もあるのだ。近頃のブームでは、かなりの数の男がこのシリーズを読んでいるようなのである。
以前行ってみたカードゲームの店で、マリみてを「お守り」と称して卓の横に積んでいた連中がいた。私自身は、そういう無批判な盛り上がり方にはどうも乗り切れず、もうその店には行かなくなってしまった。
でもそんな奴らがたしかにいる。彼らもきっと私と同じ、少年マンガで育った男なのだろう。そう思うと、不安が増してしまう。
このシリーズには少年マンガに通ずるなにかがあるのではないか。だからこれほどの数の男性ファンを獲得することができたのではないか。
無理のある推論だ。だが、いちファンの不安を煽るには充分な説得力がある。
としたら、なんということ。インフレのバブルが崩壊することだってありえるではないか。
そうして考えてみるとだ。
以前は敵役だったキャラクターがいつのまにか仲間になっている、という構図は悪い傾向だ。次第に物語が学園の外に拡がってきているあたりも気になる。主人公の強さもかなりインフレしてきて、最近では向かうところ敵なしではないか。
気になり始めるともう夜も眠れないのである。